小悪魔な彼女
教室棟の下駄箱で蓮と別れ、自分の下駄箱で上履きに履き替える。
「伊織、おっはよ」
背中を軽く叩かれ、僕は振り返った。
「おはよう、紗奈」
同じクラスの紗奈は、数少ない気の置けない女友達だ。
「今日も蓮君と一緒に来たの?」
「うん。幼馴染だし」
「はいはい。蓮君、人気あるんだから、周りの女子には気をつけなよ」
「え、そうなの?」
上履きのかかとを指で直しながら、少し考えた。
「確かに、小さい頃からかっこよかったもんね。僕も憧れてたなあ」
「そういうところなんだよなあ……。まあ、あんたがいつも隣にいるから、諦めてる子も多そうだけど」
「僕がいたら、話しかけにくいのかな?」
「そういう意味じゃないと思うよ」
「じゃあ、どういう意味?」
「そのうち分かるんじゃない?」
紗奈は呆れたように下駄箱を閉めた。
彼女は、僕を何の含みもなく受け入れてくれる貴重な存在だった。身内に似たような境遇の人がいるらしく、以前のことを変に詮索してこない。
僕の大切な友達。
二人で昇降口を抜けると、前方から男子たちの声が飛んできた。
「おっす。おはよう、伊織。紗奈さんも」
「あ! おはよう」
「おー、おはよう」
僕はそのまま、自然に男子たちの輪へ加わった。
紗奈は別として、女子だけで話しているよりも、男子のくだらない話を聞いているほうが気楽だった。以前と同じ調子で話せるからかもしれない。
「昨日のテレビのかくれんぼ企画見たか?」
「うん、見たよ。面白かった」
「最後の隠れ場所、すごかったよな」
「あれは分からないよね」
「俺なら絶対見つからないところ知ってるけどな」
「どこ?」
「学校の体育倉庫の――」
その時、視界の端に蓮が見える。
――男子と仲良くしてたら、やきもち妬いてくれるかな。
僕は話している男子に近づき、顔を寄せた。
「ごめん。もう一回言って?」
「えっ」
「体育倉庫の、どこ?」
「いや、その……」
蓮がこっちを見ている。
ーーもっと、僕のこと見て欲しい。
「どうしたの?」
「ち、近いって」
「そう?」
少し離れてみる。
「お前、顔真っ赤じゃん」
「うるせえ!」
男子達が、からかいあっている。
「暑いの?」
「伊織のせいだろ!」
「私?」
男子が困ったように目を泳がせている。
その気持ちわかる。ごめんね。
でも、蓮が見ていると思うと、離れる気にはなれなかった。
「やっぱり赤いよ?」
「だから近いって!」
「さっきは普通だったのに」
「それは、伊織が……」
「私が?」
言葉の続きを待って見上げる。
肩が触れそうな距離。男子たちの輪の中で、頭一つ分小さな体。このまま肩でも抱かれたら逃げられないような近さに、気づけば自分から入り込んでいる。
「私がいると、だめ、なの?」
男子はしばらく口を開けたまま固まっていたが、やがて意を決したように拳を握った。
「伊織。俺さ、実はずっと前から――」
「ストーップ!」
紗奈が二人の間に滑り込んできた。
「はい、ここまで! 伊織、今日日直でしょ?」
「あ、そうだった」
紗奈から声をかけられる。
「ありがとう、紗奈」
「どういたしまして。ほら、早く教室行くよ」
「うん」
慌てて鞄を持ち直している間に、背後で小声が交わされる。
「紗奈さん、助かった……。俺、今、マジで危なかった」
「そうね、完全に告白しようとしてたでしょ」
「だって、あんな顔で見られたら……」
「分かるわ。事故にでもあったと思いなさい」
振り返ると、二人は揃って口を閉じた。
「伊織」
聞き慣れた声に呼ばれる。
すごい顔をした蓮が立っていた。手には、僕のハンカチが握られている。
「下駄箱の前に落ちてたぞ」
「あ、ありがとう」
あれ、ハンカチを届けに来ただけ? やっぱり、僕のこと何とも思ってないのかな。
僕は駆け寄り、差し出されたハンカチを受け取ろうとした。
けれど、蓮はすぐには離さなかった。
「蓮?」
「ずいぶん楽しそうだったな」
「あの、昨日のテレビの話をしてたの」
「ふうん」
蓮が少し屈み、僕の顔を覗き込んだ。
顔が近い。
「な、なに?」
「いや。近くで話したほうが聞こえるのかと思って」
僕はハンカチから手を放し、半歩後ろへ下がった。
顔が熱くなる。
「蓮の声は聞こえるもん」
「本当か? 結構今、周りがうるさいと思うけどな」
「それでも聞こえるの!」
「じゃあ、顔赤いのは?」
「赤くなってないもん」
蓮がさらに顔を覗き込もうとする。
胸がうるさくて蓮の顔が見れない。
僕は視線を逸らして、紗奈の後ろへ回った。
「紗奈、教室行こう」
「はいはい」
「おい、ハンカチ」
「あとで蓮が持ってきて」
「なんでだよ」
紗奈の背中に隠れたまま答える。
今の顔、見られたくない。
「いいの! 行こ、紗奈」
紗奈は二人の顔を交互に見て、深いため息をつく。
「朝から何を見せられてるんだろ、私」
「何のこと?」
「何でもない。急ぐわよ、伊織」
どうしてだろう。
どうして、蓮の前でだけ、僕はこんなふうになってしまうんだろう。
ほかの男子なら、困らせることなんて簡単なのに。
蓮に見つめられたときだけは、自分の顔を隠したくなる。
蓮は、やきもちを妬いてくれたのだろうか。
もしそうなら――。
紗奈の背中に隠れながら、僕はこっそり笑った。




