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13/15

スカート2

 朝から僕は機嫌が良かった。蓮に褒めてもらえただけで、こんなに嬉しくなるなんて。僕ってほんと、ちょろいんだと思う。下駄箱でスリッパに履き替えて、二人並んで教室棟の廊下を歩く。


 すれ違いざま、同じ学年の男子たちが声をかけてくる。


「おっす、青野」

「おはよう、青野さん」


 そう言いながらも、二人とも僕の格好を見た瞬間、ぴたりと足を止めて固まった。二度見してくる子もいる。廊下の途中で立ち止まって、まじまじとこっちを見てくるクラスメイトまでいた。


 やっぱり、スカートなんて変だよね。

 似合っていないと思われたって、別にいい。蓮にだけ、可愛いって言ってもらえたなら、それで十分だ。そう思うと、視線を集めていることすら、ちょっとくすぐったいくらいだった。


 隣を歩く蓮をちらっと見る。さっきからずっと、機嫌が悪そうな顔をしている。眉間に皺、口をへの字に結んで、返事も心なしか短い。


 お腹でも痛いのかな。


「伊織、おはよう! それに蓮くんも」


 紗奈が廊下の向こうから駆け寄ってくる。僕の格好を上から下まで眺めて、ぱっと表情を輝かせた。


「あ、スカートにしたのね。いいじゃない!」


 そのすぐ後、紗奈は蓮の方を見て、なぜか気の毒そうな目をした。


「蓮くん、ここからさらに大変ね」

「何がだよ」


 蓮が目を逸らしながら答える。声はぶっきらぼうなのに、視線だけが一瞬、僕の方をちらっと掠めた。


「ま、私が見張ってるけどね」

「それは、頼むわ」


 二人だけで通じ合っているみたいな会話。蓮の顔から、さっきまでの不機嫌がすっと消えている。なんの話をしているんだろう。首をかしげたけれど、誰も説明してくれる気配はなかった。


 三組の教室の前まで来ると、蓮が足を止めた。


「じゃ、俺は四組行くわ」


 軽く手を上げて、蓮は歩いていく。その背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、僕はなんとなく見送っていた。


「ほら、行くわよ」


 紗奈に袖を引かれて、僕は教室に入る。


「クーラー壊れたって、本当!?」

「マジかよ、扇風機あったっけ?」


 教室に入るなり、クラスのみんなが騒がしかった。聞けば、エアコンが故障して今日一日使えないらしい。窓を全開にしても、風はほとんど入ってこない。教室全体が、じんわりと蒸し暑い空気に包まれていく。


「えええ。僕、暑いの苦手なんだけどなあ」

「ハンディクーラー持ってきといて良かったわ」

「紗奈、僕にも貸してよぉ」

「いやよ」

「けち……」


 うちわを扇ぐ子、ノートで顔を扇ぐ子。教室のあちこちで、みんな思い思いに暑さと戦っている。窓際の席の子は、水筒の麦茶を一気に半分空けていた。


 最近また伸びた髪が、うなじに張り付いている。結ばずに来たことを、こんな時だけ後悔する。指ですくって軽く持ち上げてみても、風なんて入ってこない。手のひらでうなじを軽く扇いでみるけど、気休め程度にしかならなかった。


 じっとりとした空気の中、席に座って考える。あ、そうだ。


 短パンなら履いてきている。だったら、スカートをぱたぱたさせれば、風が入って涼しいんじゃないかな。


 我ながらいい思いつきだと思って、僕はスカートの裾をつまんで、少し持ち上げようとした。


「っ!?」

「え!?」

「まじ!?」


 教室中の男子が、一斉にこっちを向いた。椅子を鳴らして身を乗り出す子までいる。


 同時に、紗奈が僕の手をがしっと掴んだ。反射的な速さだった。


「伊織、やりたいことは分かるけど、ダメよ」

「ええ〜? だって暑いんだもん〜」

「それは現実でやっちゃいけないことなの! 覚えときなさい!」


 ものすごい剣幕だった。


「わ、わかったよ」


 周りで残念そうな顔をしていた男子たちを、紗奈が鬼の形相で睨みつける。それだけで、みんな一斉に視線を逸らして自分の席に向き直った。


 それから休み時間のたびに、階段を上るときは後ろに気をつけるとか、走らないとか、いろんな注意が飛んできた。数えているうちに、何個目の注意か分からなくなるくらいだった。


 昼休み。屋上に続く階段の踊り場、いつもの場所でお弁当を広げながら、僕はぽつりとつぶやいた。


「僕、スカート向いてないかも」

「まあ、慣れだと思うわよ」


 紗奈が涼しい顔で卵焼きをつまみながら言う。開け放した窓から、屋上のフェンス越しに風が抜けていく。


「私も意識したの、五年生くらいからだったし」

「うう」


「私がそばにいる時は言ってあげられるから安心して。ガードも緩いなんて噂が立ったら、本当に大変なんだから」


 ガード、か。僕のガードが緩くて喜ぶ人なんて、いないと思うんだけどな。


「そもそも、伊織にガードって概念があったかしら」

「え、失礼だなあ」

「今朝のスカート持ち上げ事件、忘れたの?」

「あれは、暑さのせいだよ」


 考え込んでいる僕を見て、紗奈が聞いてくる。


「スカート、やめるの?」

「やめないよ?」

「そう」


 紗奈がなぜか嬉しそうに頷いた。


 スカート生活は、これからもきっと大変なんだと思う。それでも、蓮が可愛いって言ってくれたんだもん。


「僕、頑張るよ!」


 立ち上がると、頬杖をついた紗奈が、面白そうに笑っていた。


「ほんと、見てて面白いわ。頑張りなさいよ」


 午後の予鈴が、廊下の向こうで小さく鳴った。まだ蒸し暑い教室に戻るのは気が重いけれど、不思議と足取りは軽かった。踊り場を下りながら、僕はスカートの裾を軽く撫でる。今朝、蓮が固まった顔も、真っ赤になった耳も、まだちゃんと覚えている。それだけで、今日一日分の元気が出る気がした。

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