スカート2
朝から僕は機嫌が良かった。蓮に褒めてもらえただけで、こんなに嬉しくなるなんて。僕ってほんと、ちょろいんだと思う。下駄箱でスリッパに履き替えて、二人並んで教室棟の廊下を歩く。
すれ違いざま、同じ学年の男子たちが声をかけてくる。
「おっす、青野」
「おはよう、青野さん」
そう言いながらも、二人とも僕の格好を見た瞬間、ぴたりと足を止めて固まった。二度見してくる子もいる。廊下の途中で立ち止まって、まじまじとこっちを見てくるクラスメイトまでいた。
やっぱり、スカートなんて変だよね。
似合っていないと思われたって、別にいい。蓮にだけ、可愛いって言ってもらえたなら、それで十分だ。そう思うと、視線を集めていることすら、ちょっとくすぐったいくらいだった。
隣を歩く蓮をちらっと見る。さっきからずっと、機嫌が悪そうな顔をしている。眉間に皺、口をへの字に結んで、返事も心なしか短い。
お腹でも痛いのかな。
「伊織、おはよう! それに蓮くんも」
紗奈が廊下の向こうから駆け寄ってくる。僕の格好を上から下まで眺めて、ぱっと表情を輝かせた。
「あ、スカートにしたのね。いいじゃない!」
そのすぐ後、紗奈は蓮の方を見て、なぜか気の毒そうな目をした。
「蓮くん、ここからさらに大変ね」
「何がだよ」
蓮が目を逸らしながら答える。声はぶっきらぼうなのに、視線だけが一瞬、僕の方をちらっと掠めた。
「ま、私が見張ってるけどね」
「それは、頼むわ」
二人だけで通じ合っているみたいな会話。蓮の顔から、さっきまでの不機嫌がすっと消えている。なんの話をしているんだろう。首をかしげたけれど、誰も説明してくれる気配はなかった。
三組の教室の前まで来ると、蓮が足を止めた。
「じゃ、俺は四組行くわ」
軽く手を上げて、蓮は歩いていく。その背中が廊下の角を曲がって見えなくなるまで、僕はなんとなく見送っていた。
「ほら、行くわよ」
紗奈に袖を引かれて、僕は教室に入る。
「クーラー壊れたって、本当!?」
「マジかよ、扇風機あったっけ?」
教室に入るなり、クラスのみんなが騒がしかった。聞けば、エアコンが故障して今日一日使えないらしい。窓を全開にしても、風はほとんど入ってこない。教室全体が、じんわりと蒸し暑い空気に包まれていく。
「えええ。僕、暑いの苦手なんだけどなあ」
「ハンディクーラー持ってきといて良かったわ」
「紗奈、僕にも貸してよぉ」
「いやよ」
「けち……」
うちわを扇ぐ子、ノートで顔を扇ぐ子。教室のあちこちで、みんな思い思いに暑さと戦っている。窓際の席の子は、水筒の麦茶を一気に半分空けていた。
最近また伸びた髪が、うなじに張り付いている。結ばずに来たことを、こんな時だけ後悔する。指ですくって軽く持ち上げてみても、風なんて入ってこない。手のひらでうなじを軽く扇いでみるけど、気休め程度にしかならなかった。
じっとりとした空気の中、席に座って考える。あ、そうだ。
短パンなら履いてきている。だったら、スカートをぱたぱたさせれば、風が入って涼しいんじゃないかな。
我ながらいい思いつきだと思って、僕はスカートの裾をつまんで、少し持ち上げようとした。
「っ!?」
「え!?」
「まじ!?」
教室中の男子が、一斉にこっちを向いた。椅子を鳴らして身を乗り出す子までいる。
同時に、紗奈が僕の手をがしっと掴んだ。反射的な速さだった。
「伊織、やりたいことは分かるけど、ダメよ」
「ええ〜? だって暑いんだもん〜」
「それは現実でやっちゃいけないことなの! 覚えときなさい!」
ものすごい剣幕だった。
「わ、わかったよ」
周りで残念そうな顔をしていた男子たちを、紗奈が鬼の形相で睨みつける。それだけで、みんな一斉に視線を逸らして自分の席に向き直った。
それから休み時間のたびに、階段を上るときは後ろに気をつけるとか、走らないとか、いろんな注意が飛んできた。数えているうちに、何個目の注意か分からなくなるくらいだった。
昼休み。屋上に続く階段の踊り場、いつもの場所でお弁当を広げながら、僕はぽつりとつぶやいた。
「僕、スカート向いてないかも」
「まあ、慣れだと思うわよ」
紗奈が涼しい顔で卵焼きをつまみながら言う。開け放した窓から、屋上のフェンス越しに風が抜けていく。
「私も意識したの、五年生くらいからだったし」
「うう」
「私がそばにいる時は言ってあげられるから安心して。ガードも緩いなんて噂が立ったら、本当に大変なんだから」
ガード、か。僕のガードが緩くて喜ぶ人なんて、いないと思うんだけどな。
「そもそも、伊織にガードって概念があったかしら」
「え、失礼だなあ」
「今朝のスカート持ち上げ事件、忘れたの?」
「あれは、暑さのせいだよ」
考え込んでいる僕を見て、紗奈が聞いてくる。
「スカート、やめるの?」
「やめないよ?」
「そう」
紗奈がなぜか嬉しそうに頷いた。
スカート生活は、これからもきっと大変なんだと思う。それでも、蓮が可愛いって言ってくれたんだもん。
「僕、頑張るよ!」
立ち上がると、頬杖をついた紗奈が、面白そうに笑っていた。
「ほんと、見てて面白いわ。頑張りなさいよ」
午後の予鈴が、廊下の向こうで小さく鳴った。まだ蒸し暑い教室に戻るのは気が重いけれど、不思議と足取りは軽かった。踊り場を下りながら、僕はスカートの裾を軽く撫でる。今朝、蓮が固まった顔も、真っ赤になった耳も、まだちゃんと覚えている。それだけで、今日一日分の元気が出る気がした。




