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初恋ラプソディー  作者: おにぎし
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悪の魔法使い

瀧田音楽教室は市内ビルの三階と四階のフロアに意外と大きな規模で展開していて、ピアノ以外にバイオリンなどの弦楽器、サックスなどの管楽器、ドラムやギターなどのバンド系楽器までたくさんの種類の教室が開かれている。その楽器の種類に応じてたくさんの教師たちが在籍し、特に人気の教師などは生徒数十名を抱えていたりする。


ピアノ部門の先生たちのなかで、わたしの親しい人は働く曜日の合う数名しかいないのだがーー。その中でも一番仲のいい井上陽子先生、わたしの代わりにこの子を任されてくれないだろうかーー。


だってこの子はわたしの手に負えない。


ピアノなんてそっちのけで質問責めにされている。


「唐西常人っていうのはどういうヤツなの?」

「顔がいいの?イケメン?」

「優しいの?仕事デキるヤツなの?」


生徒さんだからきちんと答えるけれど、レッスンもしないこの時間は一体何なんだ......。


教室の時計が六時を指した。


「......そろそろ終了時間になります。もう聞きたいことはありませんか?」


すると仁伎くんはわたしをまじまじと見つめる。質問を考えているようだ。沈黙のあと、仁伎くんは口を開いた。


「......先生は、唐西常人のことどう思って「並木せんせー!」


ガンガン、と勢いよく扉を叩く音がした。このいい具合にガサツな感じはーー。


立ち上がりドアを開く。


「井上先生」

「並木先生!......あ、こんにちは!」


ボーダーのカットソーにボブのヘアスタイルが似合う井上先生は、仁伎くんに気づき挨拶した。


「井上先生、どうされたんですか?」

「お二方とも、今すぐ二階に行きましょう!楽器店に来たお客さんがピアノ弾いてるみたいなんですけど、それがものすっっごい上手くて!いま教室中の人が集まってますよ!」







「急いで!演奏終わっちゃう!」


井上先生と一緒に階段を降りているわたし。ピアノに興味のない仁伎くんだが、なぜか後ろを付いてくる。


三階から二階へと一気に駆け降りていると、ピアノの音色が聞こえてきた。


楽器店のフロアの中心に、人だかりができている。人だかりの隙間を探して背伸びして覗くと、商品であるグランドピアノと演奏者がちらっと見えた。演奏者は男性だ。




その男性が弾いているのはファリャの『ベティカ幻想曲』だった。演奏時間15分弱の大曲であり名曲。



ーー彼は、プロのピアニストじゃないだろうか。


音に惹きこまれる。やや早弾きだ。よくこれほど指が回るものだ。


アッチェント、トリル、装飾音符の弾き方すべてに独特の品がある。音の強弱、ため方、音の散りばめ方にセンスがある。ずっしりと重い低音とキラキラ光る高音。そして美しいグリッサンド。




それになにより、すごい表現力。


目を瞑って聞き惚れると、わたしにはストーリーの断片が見えた。


舞台はスペインはアンダルシアの丘の上にある聖堂。黄金の鐘の音が鳴り響いている。


このストーリーの主人公はいにしえの大魔法使いだ。夜もすがら、白い髭を生やした山高帽の魔法使いは聖堂のあらゆるものに魔法をかけている。流れるように大きく杖をひと振りすると、杖先から赤や緑の閃光が走るさま。杖を振るときのしなやかな指先。すべてがありありと思い浮かばれる。魔法使いは次々と呪文を唱える。




きっとこのピアノには、今まさに、魔法がかかっているのだ。




中盤のもの悲しい旋律も情感たっぷりに歌う。木々の生い茂る暗い森のなかを魔法使いの弟子である少年が歩いている。彼を見守っているのは夜空に浮かぶ欠けた月と星々だけだ。少年がたどり着く先には何が待ち構えているのか誰も知らない。


舞台は再び聖堂に戻り、物語はクライマックスへ。ーーああ、もうすぐ終わってしまう。夜が明けそうになり、魔法使いの仕事も総仕上げの段階だ。


とうとうラストの重い一打を叩き終えると、魔法が解け、わたしは現実に戻った。拍手が楽器店いっぱいに響いている。「ブラボー!」と叫ぶ野太い声がどこかから聞こえた。


周りを見回すと、瀧田音楽教室のスタッフと生徒たち、また同じビルの一階にある不動産屋の客やスタッフなども一堂に集まっている。隣の井上先生も熱のこもった目をして拍手を送っている。けれどそんな雰囲気のなかで一人だけ、仁伎くんは人波の中心を睨み据えていた。



拍手はなかなか鳴り止まない。演奏の余韻に浸っていると、ピアノ付近の前方にいる人がなぜか道をあけ始めた。人の波の中に一本、道ができる。わたしのちょうど前にいる女性も退くと、わたしの目の前に演奏者の男性が現れた。イケメンの魔法使いだ......!と感動しながらわたしも退いたのだけれどーー。


「あなたが並木先生ですか?」


わたしに向かって放たれた魔法使いの発言にどきりとした。突然この場にいる人たち全員の注目を浴びて、あたふたしてしまう。


「そ、そうです......」

「僕、このピアノ教室で学びたいと思っているんですが......。並木先生、」


真剣な眼差しでイケメンに見つめられ、顔に熱がこもるわたし。


「僕の先生になっていただけませんか?」







何か返事をする前に、ぐい、と腕を引かれてわたしはバランスを崩しそうになっていた。


「に、仁伎くん、」


人波を掻き分けて、連れ去られる。


「あの、ちょっと待っててください!」


演奏者の男性に叫び、仁伎くんに引っ張られるがままに足を動かす。


「仁伎くん、どこ行くの......」


返事してくれない。人だかりからどんどん離れていく。




かなり歩かされ、非常階段の踊り場まで来てしまったところで仁伎くんはようやく歩みを止めた。


「仁伎くん、突然どうしたの?」

「......やべぇヤツが来ちまった」




ーーまったく話が見えない。


当惑していると仁伎くんは振り向いて、シリアスな表情で言った。


「先生、よく聞けよ。......あいつは悪魔だ」






......天使の次は、アクマ?もちろん比喩的な意味ですよね?


「天上に天使が存在するように、地獄に悪魔も存在するんだ。やつらは地上に人間を誘惑しにやってくる」

「......へぇ〜...」


この人たちのファンタジーな世界観、もうやめてほしい。


帰宅願望を抑えられずにいると、仁伎くんは突然「あ゛ー!」と叫んで美しい髪をかきむしった。




発狂のあと、すぐ我に戻り、仁伎くんはとても当惑したように、縋るように言った。


「藤嶋侑紀の魂が、狙われてる」

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