キューピッドの盲愛
今日も、普段と何ら変わりない。「誕生日おめでとう」ラインが家族と友人数人から来たくらいで。
今日は12月25日。わたしの29歳の誕生日だが、世間はクリスマスという一大イベント一色に染まっている。
クリスマスにも関わらず今年も恋人のいないわたしは、セルフプロデュースの誕生日パーティーの準備に取りかかることにした。親しい友人たちはデートの件で忙しいため、参加者は一人。つまりわたしだ。
寂しい限りだが、致し方ない。
吉成おばあちゃんとの個人レッスンを終えたわたしは、アパートに帰る前に、この前テレビで特集されていた高級スイーツ店に寄ってケーキを買っていくことを計画していた。店はここから少し遠い繁華な場所にあるが、シブーストというケーキがすごく美味しそうに画面に映っていたし、店内もフランスの老舗洋菓子店のような雰囲気で、一度行ってみたかったのだ。
「お先に失礼します」
「並木先生、お疲れ様でした」
クリーミーな甘味を想像しながら、室長に挨拶し、瀧田音楽教室のドアをくぐったとき。
「先生、今から帰り?」
ドアの向こうで、学ラン姿にチェックのマフラーを巻いた天使(本物)に遭遇した。
「仁伎くん。どうしたんですか?」
今日は仁伎くんのレッスンは無かったのに、どうしてここにいるんだろう。唐西先生も侑紀ちゃんも休みだしーー。
「もう帰りなのかって聞いてんの」
「は、はい。そうですが......」
「じゃあオレも一緒に帰ってやる」
「え。わたし、寄るところもありますし......」
今日の完璧な計画がーー。
「じゃあ先生についてく。道はどっち?」
「み、右です」
手を引かれるまま仁伎くんの後を歩くわたし。
完全に仁伎くんのペースに流されてしまっている。
◯
カラフルなメレンゲとマカロン、宝石みたいなチョコレートとジェリービーンズ、フルーツののったタルトとパイ、そしてキャラメリゼされてキラキラ輝いているケーキたち。
幸せの甘々な匂いが店内に満ちている。
「混んでるな」
仁伎くんがボソッと言った。
今日はクリスマス。そして夕方の五時半。しかもテレビで特集された店だ。花に群がるミツバチのように、甘い匂いに誘われて店内は人でいっぱいだ。
「先生、何買うの?」
「わたしシブーストを買ってきます」
ケーキを買って早くアパートに帰ろう。
レジに並ぶ列にわたしも並ぶと、仁伎くんもついてきた。
「オレが買ってやるよ」
なんと仁伎くんはそう宣言した。
「そんなのいいですよ!」
中学生に奢ってもらう社会人なんて聞いたことがない。
「だって今日はクリスマスだしな」
理由になってないぞ。
仁伎くんは学生カバンから財布を取り出そうとしている。
「ここ高いですし、いいですってば!」
「では僕からのプレゼント・フォー・ユーということで、いかがですか?」
列でわたしの前に並んでいた、ロングコートを纏う長身の男性が、こちらのほうを振り向いていた。
その顔は紛うことなく、奏さんだった。
「てめぇ何でこんなとこにいんだよ」
「勿論スウィーツを頂戴しに。というかそれはこちらの台詞ですよ。もしかして僕のことを尾けてこられたんですか?」
「んなわけねぇだろ!」
フシャーッ!とまるで猫のように警戒心を露わにする仁伎くん。美少年の頭部に生えたネコミミはピンと立っているような気がする。
「では偶然ということですね。僕は今日、自宅で『聖夜の宴』を開いているので、参加している仲間たちに甘味でも出してさしあげようと近場のここに来たわけです」
「おまえクリパって言えよ」
「そして今日は12月25日ですから、並木先生の誕生日でもあるわけです。先生、今日お会いできてよかった。誕生日おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
爽やかスマイルで言われて素直に嬉しいけれど、何故教えてもいないのにわたしの誕生日を知っているんだろうか。
「お、オレが先生に一番に言う予定だったのに.......」
「そうだ! グッドアイディアを思いつきました! 並木先生、よろしければ僕たちのパーティーに今から参加されませんか?」
「さっきから冗談言ってんじゃねぇぞ! どうせおまえんとこのパリピ全員悪魔なんだろ。そんなとこに先生を行かせられるか」
「僕は仁伎くんには聞いてませ〜ん。並木先生、いかがですか?」
「え、えっと......」
どうせ今日はケーキに29本もの蝋燭を立てて火だるまにする予定しか無かったし、一人は寂しいし、素敵なお誘いかもしれない。
「じゃあわたし「次の方どうぞ〜」
「はい」
奏さんの番になり、話は中断されてしまった。カラフルなマカロンを数十個も頼んでいる。
「先生、行くつもりじゃないだろうな。......やめとけ。先生には合わないところだよ」
「ですがわたし、今日予定もありませんし、一人で誕生日を過ごすのは正直、みじめで、」
自分で言ってて切なくなってきた。今晩は29歳の独り身女子が、ホールの誕生日兼クリスマスケーキを一人でやけ食いすることとなるかもしれない。せめて家族でも一緒に住んでいればこんなことにはならないのだが。
仁伎くんもわたしが可哀想になってきたのか、澄んだ青い目でまじまじと見つめてくる。何だか恥ずかしくなるほどに。
「......。じゃ、じゃあさ......もしセンセーが良ければだけど......、今日はオレと一緒に過「並木先生、どのケーキがよろしいんですか?」
奏さんが購入し終えたのか大きな紙袋を下げて聞いてきた。
「大丈夫です、自分で払います」
わたしは女性店員さんにホールのシブーストを注文した。
「4400円になります」
よ、4400円! 思ったより高い......。給料日の今日はまだお金を下ろしてないけど、足りるか......。
焦る気持ちで財布の中身を探るがーー。
オーマイガー!300円くらい足りない!
「じゃあ、これで」
なんと奏さんが店員さんにクレジットカードを手渡そうとしている。
注文を撤回しなくては!
「あ、あの、すみませんが「オレが払う!」
今度は仁伎くんが財布からお札を出した......。
10代後半くらいの可愛らしい女性店員さんは、ショーケースを挟んで二人の男性客から差し出されたケーキのお代に、明らかに戸惑っているがーー。
「ここは大人の男に払わせてください」
奏さんが彼女の手に強引にカードを握らせた。そのカードの色はブラック!
奏さんは店員さんの手に触れながら、極めつけに極上のイケメンスマイルを放つ。
「......ね?」
少女漫画の一場面のように、彼女は頬を赤く染めた。
ーーそして、奏さんのカードは処理された。
「......素敵な彼氏さんですね」
店員さんはケーキを箱に詰めながら、困惑するわたしに微笑む。
「素敵な彼女に見合う男になれるよう努力していますので」
奏さんが悪ノリした。
も、申し訳なさすぎるッーー!今日お金下ろしとけばよかったッーー!
「奏さん、本当にすみません......」
「僕からの誕生日プレゼントですので、遠慮せずもらってください」
店員から紙袋を受け取った奏さんは、わたしの手にそれを握らせる。奏さん、紳士すぎる。
「ありがとうございます......。仁伎くんも、ごめんね。払わせようとしちゃって......」
「でもオレは払ってねぇし」
ぶっきらぼうにそう言ってツンとそっぽを向く仁伎くん。怒らせちゃったかな......。
「では、十和子先生を僕の自宅にご招待いたしましょう」
奢ってもらってしまった手前断れないし、セルフプロデュース誕生日パーティーの計画はめでたく破棄しよう。
「あの、仁伎くんも一緒に来てくれませんか?」
「......。」
やはり機嫌が良くないらしく、仁伎くんはそっぽを向いたまま無言だ。
「彼は遠慮するそうですよ。......では、いざ参りましょうか」
まるで恋人にするように奏さんに腕を組まれた。冬空の下、奏さんに連れられて石畳の道を歩き始める。
仁伎くんがわたしたちに背を向け、歩き始めた。
小さな背中がますます小さく、遠ざかってゆく。
雑踏に紛れ、姿が視界から消えた。
わたしは何故か走り出していた。
「......仁伎くん!」
振り向いたその顔は驚いている。
「仁伎くんをお誘いしてはいけませんか? わたしの誕生日、一緒に過ごしてはくれませんか?」
仁伎くんは大きな両目をさらに真ん丸に見開いている。
「わたしと一緒に来てください」
二、三秒その状態で固まった後、やっと口を開いた。
「......それは、先生はオレと一緒に今日を過ごしたいってこと?」
「はい、もちろん!」
すると、仁伎くんは何か言う代わりに下唇をキュッと噛んだ。まるで泣きそうになるのを堪えている子どものよう。目線だけを横に逸らして、わたしの言葉にどことなく戸惑っているように見える。
ーーか、可愛い......。その反応は、何なんだ。
一緒に来てくれるの? 来てくれないの??
仁伎くんは、俯いてから呟いた。
「......仕方ねえな」
その言葉を聞き逃さなかったわたしは、期待いっぱいに聞いた。
「来てくれるんですか?」
「あいつのクリパは悪魔の巣窟だからな。心配だから、ついてってやる」
「ほんとですか! 仁伎くんありがとう」
「一人で行かせられねぇからな」
わたしたちを待つ奏さんのほうへ、二人で歩いていく。なんとなく手を繋いでみた。
雲ひとつ見えない夜空には、星が光っている。今年もホワイトクリスマスとはいかないようだ。
仁伎くんの横顔を盗み見ると、先程の機嫌の悪さから一転、破顔していた。まるで花が咲いたような、愛くるしい微笑みを隠そうともしていない。
けれど仁伎くんはわたしの視線に気がついた。咄嗟に顔をむりやりしかめたので変な顔になる。唇も何故かとんがっている。
ーーこの子が愛おしい。
不良少年ぽさの消えたこのときだけは、彼を抱きしめても許されるのではないか?と思ったが、奏さんもいるので我慢することにした。




