蒼ちゃんパパの育児日誌
※蒼が3歳頃の話になります。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
いつものように帰宅すると、愛する妻の碧ちゃんが出迎えてくれた。
だが今日はいつもと違った。
いつもぶつかってくる物を受け止める為に両腕を広げて構えていたが何も来ない。
「あれ?」
いつもならば蒼君が『パパー!』と頬を染めながら突進してくるのに。
「蒼君は?」
「実はね…」
碧ちゃんが話そうとしたらどこからか視線を感じた。
「ん?」
その気配を追ってみると、リビングのドアの隙間から蒼君がじっとこちらを見ていた。その額には冷却剤が貼ってある。
「そ、蒼君?」
「……」
蒼君はじっと見つめたまま動かない。何か恨めしいものでも見るような視線を送ってくる。
「どうしたんだ?」
碧ちゃんに聞くとちょっと困った顔をした。
「お熱があるのよね?」
「……」
蒼君はコクリと頷いた。
「熱?」
「保育園から帰ってきたら熱があってね、病院には行ったんだけどまだ下がってないの」
「だからって何で僕に近づかないんだ?」
「ふふ、それはね…蒼、パパに理由を言ってあげて?」
「……」
蒼君はなぜかもじもじしている。可愛いなあもう。
「蒼君、どうしてパパの所に来てくれないのかな?」
すると蒼君は蚊の鳴くような小さな声で、もじもじしながらこう言った。
「パパに…おねつうつしちゃう…」
「な…」
「パパがおねつでるの、やなの」
「……」
ズギューーン!!
あまりの可愛さに心臓を射抜かれて悶えていると、碧ちゃんが追い討ちをかけた。
「蒼はパパが大好きだもんね。パパが苦しいの嫌なんだよね~?」
「うん…」
蒼君は頬を赤らめながら頷いた。まさに天使。この世に神が遣わした天使に違いない。
そう感動にうち震えていたら、突然蒼君が泣き出した。
「う゛…」
「蒼君!?」
「蒼、苦しいの?」
碧ちゃんが慌てて蒼君に聞くが首を振るばかりでよく分からない。額に手を当てても熱が上がった様子は無いとの事だった。
「もうすぐパパが帰ってくるからってお布団から出てたから眠いのかも。具合悪いんだから寝てなさいってお布団に戻してもパパに会うってすぐ出てきちゃって…」
「……」
どうしたらいいんだ。嬉しくてたまらない。
「蒼君ありがとう…パパ、凄く嬉しいよ。でもね、無理しちゃダメだよ?熱もあるのにしんどいだろ?」
「……」
蒼君は無言だが、ボタボタと溢れる涙は止まらない。
「泣くまで我慢する事無いんだよ?早くお布団に入ろう」
玄関から上がって蒼君に近づいても一定の距離を保って逃げられてしまう。ちょっと傷ついた。
すると小さな声が聞こえてきた。
「…もん」
「え?」
「な、ないてないもん…」
蒼君は涙を流しながら「泣いてない」と訴えている。
いや、もう泣いてるから。
そう突っ込みながらも蒼君の顔が怒っているのに気がついた。
「蒼君?」
「ぼくは、おとこのこだから、なかないもん…」
蒼君はそう呟くなり寝室の方へ逃げてしまった。ぽてぽてと可愛い足音を立てながら。
「どうしたんだ蒼君は…しかも僕って…」
確か今まで自分の事は「蒼ちゃん」と言っていたはずだ。
「それが言ってくれないのよね…たぶんたっくんが関わってると思うけど…」
「は?どういう事だ?」
碧ちゃんは気まずそうに眉を下げた。
「保育園に迎えに行ったら蒼が泣いてたの。そしたらお友達のたっくんも泣いてて…」
「たっくんてよく公園で遊んでた子?」
「そう」
たっくんは保育園に入る前から公園でよく遊んでいた子だ。
碧ちゃんが迎えに行くと2人が泣いていたという。
理由を保育士さんに聞いたらケンカをしたらしいとの事だった。だが2人とも理由を言わないので困っていると。
「ケンカ?蒼君が?」
蒼君は優しいからほとんど自分からは向かっていかない筈だ。ならば、そのたっくんのせいだろうか。
「僕が聞いてみようか?」
「うん、お願い」
*
碧ちゃんに了解を得てから寝室に行くと、布団がこんもりと山になっていた。山の中身は蒼君だ。しくしくと泣き声が聞こえてくる。
蒼君は拗ねたり怒ったりすると布団の中に潜り込んで隠れてしまう。今までも何度かあったが分かりやすくて可愛い。
その横のベビーベッドでは朱理ちゃんがすやすやと眠っていた。これだけ騒いでも起きないなんて大物だなあ朱理ちゃん。
朱理ちゃんを起こさないよう、静かに蒼君に声を掛けた。
「蒼君」
「……」
「たっくんとケンカしたって本当?」
「……」
「パパに何があったかお話してくれないかな?」
「……」
何度声を掛けても布団の中からは泣き声が聞こえてくるだけだ。
蒼君はまだ小さいのに頑固だった。一度決めたらなかなか考えを変えてくれない。
「じゃあ、もうおねんねしようか」
「や!」
寝ようと声を掛けても嫌がられた。
困った。どうしよう。早く寝かさないと体調にも関わるし。
すると後ろから碧ちゃんの囁きが聞こえた。
「(パパ、アイスよアイス)」
「え?」
振り返ると碧ちゃんがいて、そのまま僕の横に座った。
「(アイスあげるって言ってみて)」
「(アイス?)」
「(最近蒼がハマってるアイスがあるの。買ってあるけどまだ蒼に言ってないのよね)」
どうやら蒼君の好きなアイスで釣れば話してくれるんじゃないかという事らしい。
「蒼君、お話してくれたら蒼君の好きなアイスあげようと思ったんだけどなあ」
すると布団の山がビクッとなってわずかに動いた。
「…パパが食べちゃおうかなあ」
もう一度布団が動いた。もうすぐだ。
「蒼君と一緒に食べるつもりだったけど、やっぱりパパが全部食べちゃおうかなあ…さて、食べてこよう!」
そうしてその場で立ち上がって足踏みをすると、布団から小さな塊が飛び出してきた。
「やー!そうちゃんのアイスたべちゃやなのーー!」
「……」
「やらあ…アイス…ぐすっ…」
物凄い勢いで突進してきた蒼君は僕の足にしがみついて泣き叫んでいる。そんなにそのアイスが好きだったのか。アイス効果凄すぎる。
涙を流し続ける蒼君のそばに座り、頭を撫でながら優しく囁く。
「蒼君、大丈夫だよ。アイス取らないから」
「ほんとう?」
取らないと言った途端に蒼君は泣き止んだ。あー…可愛い。
「うん、だからね、保育園で何があったかお話してくれるかな?」
「…うん」
蒼君がためらいがちに頷くと、碧ちゃんが小さくガッツポーズをしていた。
分かるよ。僕も同じ気持ちだから。
*
「じゃあパパに教えて?」
蒼君を抱えて膝の上に座らせ、優しく聞いてみた。すると蒼君は拗ねるような顔をした後、ポツリとこう言った。
「あのね、たっくんに、そうちゃんはなんでスカートはかないの?ってきかれたの」
「「スカート?」」
碧ちゃんと口を揃えて聞いてしまった。
なんでスカートなんて聞いてきたんだろう。
「だからね、そうちゃんはおとこのこだから、スカートははかないんだよっていったの」
「まあ…うん」
「そうなるわよね」
当たり前の反応だろう。たっくんの考えが分からない。
続けて蒼君が言った。
「そしたらね、たっくんがうそだっていったの」
「どうして?」
「そうちゃんは、おんなのこでしょって」
「「…は?」」
「そうちゃんは、おんなのこのかおしてるし、なきむしだから、おんなのこでしょって。そんなになきむしなおとこのこ、いないよっていわれたの…」
蒼君は思い出したのか再び涙を浮かべていた。よしよしと撫でていると胸にしがみついてくる。
まー気持ちは分かるけどね。蒼君は女の子みたいに可愛いし。
「それでケンカになったのかい?」
蒼君はふるふると首を振った。
「ちがうの」
「違う?」
「たっくんがしんじてくれなかったの。だからね」
「うん」
「それでどうしたの?」
碧ちゃんも気になるらしく、身を乗り出して聞いていた。
だが、その後蒼君が口にした言葉は衝撃的だった。
「だからね、おちんちんみせたの」
「「……」」
はい?
蒼君はもじもじしながらもう一度言った。
「たっくんがおんなのこだっていうから、おちんちんみせたの。そうちゃんは、おちんちんがあるから、おとこのこだよって。そしたら、たっくんがないちゃったの」
おちんちん。
おちんちんて言った?今。
「み、見せたの?」
「うん。そうちゃんの、おちんちんみせたの。そしたら、たっくんがないて、ぶってきたの」
……。
蒼君の、可愛くてプリティな、愛らしいおちんちんを、たっくんに見せた…。
「…たっくん許すまじ」
「パパ?どうしたの?」
碧ちゃんが声を掛けてきたがそれどころではなかった。
だって可愛い蒼君の貞操が!
たっくんへの怒りをふつふつと燃やしていると、碧ちゃんが笑いながら呟いた。
「ねえパパ、もしかしたらたっくんて蒼の事好きだったんじゃないかなあ」
「は!?」
「前にね、たっくんママに蒼ちゃんは男の子ですよね?って聞かれたの。だからお家でも蒼の事好きだって話してたのよきっと」
「……」
「だから男の子だって知ってショックで泣いちゃったんじゃないかなあ」
「……」
「たっくん初恋だったのかもねー」
なんという事だ。
この場合どっちが悪いんだろう。
煽ってきたのはたっくんだが、先におちんちんを見せたのは蒼君だ。でも殴ってきたのはたっくん…。
「…どっちが悪いんだと思う?」
「うーん難しいねえ…今度たっくんママに聞いてみるね。たっくんが何て言ってるのか分からないし…」
「そうだね。頼むよ」
結局たっくん側の話を聞いて判断しようという事になった。
まずは蒼君を慰めないと。
蒼君は僕にしがみついたまま不安そうに見上げてくる。優しい子だから自分が悪いと思っているのかもしれない。
「蒼君、たっくんの言う事は気にしちゃいけないよ。蒼君は立派な男の子だし、全然泣き虫じゃないよ」
まあ、ちょっと泣きやすい所はあるけど、まだ小さいから仕方ないよね。
「ほんとう?そうちゃん、おんなのこじゃない…?」
「そうだよ。蒼君は男の子だ。こんなに男らしい子を僕は知らないよ」
よく女の子に間違えられるけどね。
「…うん」
「それにね、蒼君はまだ小さいんだから泣いたっていいんだよ?今はたくさん泣いて、たくさん甘えなさい。我慢しなくていいからね」
「そうよ。小さい時は泣くのが仕事なんだからいっぱい泣きなさい?」
「はい…」
その言葉を聞いた蒼君は涙を溢れさせ、爆発したかのように泣き続けた。服に鼻水付いちゃったけどまあいいか。
その後しばらく泣き続けた蒼君は、泣き疲れたのか僕の腕の中で寝てしまった。あどけない寝顔を見ていると本当に癒される。
蒼君を布団に寝かせて眺めていると碧ちゃんが笑った。
「男の子にもモテモテかあ…今からこれじゃあこの先大変ねえ」
「碧ちゃん笑い事じゃないよ…」
「パパは心配しすぎだよ。大丈夫、すぐ背も伸びるだろうし、女の子に間違えられないくらいカッコ良くなるわよ。私もパパも背が高いんだから」
「まあ、それはそうだけど…」
僕の身長は180cmで碧ちゃんは165cmだ。2人の子どもなら背は高くなるだろう。
「でも心配だなあ」
「パパってホント親バカよね。蒼がこれじゃあ朱理がお嫁に行く時どうなるのかしら」
「う…考えたくない」
蒼君も朱理ちゃんもいつかはパートナーを見つけて僕らの元を去って行くだろう。
でも今は考えたくなかった。僕にとったら2人はいつまでも可愛い子どもなんだから。
2人の寝顔を交互に見ながら碧ちゃんに囁く。
「2人の事だからきっといい子を連れて来るよ」
「…そうね」
「それまでは僕らで目一杯可愛がろう。愛情豊かな子に育つように」
「…うん」
碧ちゃんも深く頷き、蒼君の頭を撫でている。結婚して良かったなあ。
独身の時、僕は結婚に全く興味が無かった。なのに今、ここまで幸せだと思えるのは碧ちゃんのおかげだ。
「碧ちゃん、いつもありがとう。これからもよろしくね」
「なあに突然」
碧ちゃんはびっくりしている。そういえば最近は言った事無かったなあ。
「碧ちゃんがいて、蒼君がいて、朱理ちゃんがいて…幸せだなあって」
「ふふ、パパもお熱が出ちゃったかしら」
碧ちゃんは僕をからかいながらも顔が赤くなっていた。可愛い。
そして、はにかみながら小さな声で僕に言った。
「私も、パパの事愛してるからね」
END