トビンに打ち明け、出発の日が固まった
荷物を並べた床の上で、僕は、何度も同じ道具を数え直していた。乾いた保存食、火打ち石、ダレンからもらった地図、水を入れる革の袋。何度数えても足りているはずなのに、落ち着かなかった。
「そんなに確認しなくても、大丈夫だよ」
リゼが部屋の入り口から、そう声をかけた。両手に自分の荷物を抱えている。
「うん。分かってるんだけど」
「怖いんでしょ。分かる」
リゼはそう言って、僕の隣に腰を下ろした。荷物の中身を、二人でもう一度並べ直した。
ひとつひとつ確かめながら、僕はここまでの日々を思い返していた。リゼが同行を決めてから、セルマが初めて核心の一語を漏らし、ダレンが地図を渡し、カイルにはまだ伝えられていない――たった数日の間に、あまりにも多くのことが動いていた。
「トビンには、話した?」
「まだ。今から行く」
トビンの家は、村の外れにある。日が傾く時間、僕は一人で、その道を歩いた。無ノ子と呼ばれてから、トビンは村の中でいつも一人で過ごすことが多くなっていた。それでも、僕と話すときだけは少しだけ口数が増える。
家の前で、トビンが薪を割っていた。僕の足音に気づき、顔を上げる。
「ノア。……何かあった?」
「うん。少し話がある」
僕は、境の外に出ることを、静かに伝えた。トビンは、しばらく黙って聞いていた。斧を地面に立てたまま、動かさなかった。
「そっか。……ついに、行くんだ」
「うん」
「怖くない?」
「怖い。でも、行かなきゃいけない気がする」
トビンは小さく頷いた。それから、視線を、少し下に落とした。
「俺、無ノ子って呼ばれるようになってから、ずっとこの村で自分の場所がないような気がしてた。だから、お前が外の世界を確かめようとするの、少し羨ましい」
「トビン……」
「俺の代わりに、見てきてくれとは言えないけど。ただ――この村の外には、何かあるって信じていいと思う」
その一言に、僕は少しだけ驚いた。トビンはこれまで、外の世界について自分から話そうとしなかった。だが、今、その先に何らかの期待をはっきりと持っているように見えた。
「行ってこいよ。俺は、ここで待ってる。……お前が、見てきたものを聞かせてくれ」
トビンの言葉は静かだったが、これまでの中で一番、はっきりとしたものだった。彼が自分の意志で、誰かを送り出す側に立ったのは、これが初めてかもしれない。
「約束する。戻ったら、全部話すよ」
「うん。……気をつけて」
トビンはそう言うと、薪割りの手を再び動かし始めた。斧の音が、規則的に夕暮れの静けさに響いた。僕はその音を、しばらく背中で聞きながら村の中心へと戻った。
家に着くと、リゼが荷物をすべて玄関先に並べ終えていた。
「トビン、どうだった?」
「送り出してくれた。……ダレンと、同じくらい驚いたよ」
「みんな、少しずつ変わってきてるんだね」
リゼはそう言って、荷物の一つを手に取った。革の水袋の口を、きつく締め直す。
「わたしも、最終確認しておきたくて」
「うん」
リゼは、床に広げた地図を指でなぞった。ダレンが渡してくれた、境の柵周辺の書き込み。魔物の出やすい場所には、赤い印がつけられている。
「ここから、柵を越えて、この道を進む。合ってる?」
「うん。ダレンの地図だと、そこが一番、獣が出にくいらしい」
「出発は、いつにする?」
「早い方がいい。……三日後の、夜明け前」
「うん。分かった」
リゼは地図を丁寧に折り畳んで、荷物の一番上にしまい込んだ。
「本当にこれでいいんだよね。……もう、後戻りできないところまで、来てる」
僕はリゼの目をまっすぐに見た。トビンの言葉、ダレンの申し出、カイルに言えなかった一言、セルマが初めて口にした核心の言葉――すべてが今、ここに繋がっている。
「うん。行こう」
「うん」
リゼはそう答えると、荷物の紐をしっかりと結んだ。その手つきに、迷いはもう感じられなかった。
夜、床に入る前、僕はこれまでのことをもう一度振り返った。ダレンが密かに地図を渡してくれた。トビンが一人で送り出す側に立ってくれた。カイルには、まだ伝えられていない。それでも、リゼは変わらず隣にいる。
一人だったら、決して、こんな形で村を出ることはできなかった。誰かに支えられながら、それでも自分の足で決めて歩き出す――それが今、僕にできる精一杯の答えだった。
翌朝、セルマが静かに僕を呼んだ。
「準備は、できたのかい」
「うん」
セルマは、しばらく僕の顔を見つめた。それから、小さな包みを手に握らせた。
「これぐらいしか、渡せるものがない。……道中、気をつけて」
包みの中には、干した果実と、小さな護符が入っていた。護符には、見覚えのない古い文字が刻まれている。それが何なのか、聞く時間は今はなかった。
セルマは、それから僕の手を両手でそっと包み込んだ。これまで、そんなふうに触れられたことはあまりなかった。祖母の掌は、思っていたよりもずっと小さく、そして震えていた。
「無事に、帰ってくるんだよ。……それだけが、望みだから」
「セルマ。行ってくる」
「うん。……行っておいで」
その一言に、これまでのあらゆる不安と、それでも進む決意が静かに重なった。出発の日は、もう目の前まで来ている。
セルマの手の温もりを、しばらく掌に残したまま、僕は家の外に出た。竈から立つ、いつもの薪の匂いが風に流されて遠ざかっていく。この匂いを、あとどれだけ思い出せるだろうか。
家の外で、村の灯りが一つ、また一つと消えていくのが見えた。この静かな村の景色を、目にできるのはあと何度だろうか。そんなことを考えながら、僕は荷物をもう一度、しっかりと肩に掛け直した。
三日後の夜明け前、それが村を出る日だ。あと三度、この場所で夜を明かせば、境の柵の向こうへ足を踏み出すことになる。まだ何も見えない未来を前に、僕はそれでも静かに覚悟を固めていた。
隣で、リゼが同じ夜空を見上げていた。何も言わなくても、同じ覚悟を共有できている気がした。二人で決めた道を、これから二人で歩いていく。それだけが、今、確かなことだった。
見送ってくれる人が、少しずつ、増えてきました。




