記録の消え方が、二つとも揃っていると見抜く
モーガスの家を出たその足で、僕はトビンのところへ向かった。誰かに話さずにはいられなかった。セルマにも、リゼにも、まだうまく言葉にできない今、真っ先に頭に浮かんだのはトビンの顔だった。
「三人が境の外に出て、戻らなかった……名前も、誰も覚えてない?」
トビンは、僕の話を聞き終えると、眉を寄せて繰り返した。
「うん。モーガス爺さんが、そう言ってた」
僕たちは、トビンの家の裏手、誰にも聞かれない小さな空き地に座っていた。無ノ子と呼ばれるようになってから、トビンはこうして人目を避けた場所で話すことが増えていた。以前は、広場のはずれで、他の子供たちと少し離れて座るだけだった。今は、それさえも避けるようになっている。
「なんで僕にその話を?」
「トビンなら、分かる気がして。……記録が綺麗に消えるってこと、前にも経験したことがあるだろ」
トビンの表情が一瞬、硬くなった。それから、静かに頷いた。
「無ノ子の、記録のこと」
「うん」
無ノ子と判定された者たちの、過去の記録。トビンが以前、僕と一緒に調べたとき、それらの記録は途中で綺麗に途切れていた。まるで、誰かが意図的に、そこで筆を止めたかのように。あのとき、トビンは、自分と同じ「無ノ子」と呼ばれた先輩たちの名前を一つずつ記録の中から拾い上げようとしていた。だが、拾えたのは名前のいくつかだけで、その後の暮らしは誰の記録にも残っていなかった。
「三人が消えた話の記録も、同じように途切れてるんじゃないか。……確かめてみたい」
トビンは、しばらく黒い土を見つめていたが、やがて小さく立ち上がった。
「行こう。神官様のところなら、記録所より、まだ探しやすい」
「記録所は、駄目なのか」
「ダンさんは、たぶんもう、僕らが何を探してるか気づいてる。次に行ったら、本当に見せてもらえなくなるかもしれない」
トビンの読みには、いつも独特の慎重さがあった。自分の記録が消えていく側にいた者だけが持てる、そういう視点なのかもしれない。
夕方の詰所には、老いた神官が一人でいた。僕は、以前供物帳を見せてもらったことを口にして、今度は古い村の来歴を記した記録の束を見せてもらえないか頼んだ。神官は、少し不思議そうな顔をしたが、快く奥から古い帳面をいくつも出してくれた。
「三十年、いや、それ以上前のものもある。虫に食われてるかもしれないよ」
「ありがとうございます」
「無ノ子のトビンかい。二人で何を調べてるんだ」
「……村の、古い話です。それだけです」
神官は、それ以上聞かなかった。奥の作業に戻る背中を見送って、僕らは、埃をかぶった帳面を一冊ずつ開いていった。
トビンが、几帳面な手つきで行を辿っていく。彼のこの慎重さは、自分自身の記録が消えていく様を何度も見てきたことから来るものなのかもしれなかった。一行一行、指先で確かめるように追っていく様子は、僕がこれまで見たどの調べ方よりも丁寧だった。
「……あった」
トビンの声が、いつもより低くなった。指先が一箇所を止めていた。
そこには、確かに村の若者三人の名が記されていた。年齢、家族構成、簡単な人柄の記述——そこまでは、ごく普通の記録だった。だが、ある年のところで、三人分の記述が揃って途切れていた。
途切れる直前の一文は、こう書かれていた。
「境を越えるとの由、詳細後日追記」
その「後日」は、ついに書かれなかったのだと分かった。ページの残りは、白いままだった。
「これ……」
トビンが、震える声で呟いた。
「僕が見た"無ノ子"の記録と、同じ消え方だ」
僕は思わず、トビンの顔を見た。
「同じ、って」
「途中で、綺麗に止まってる。書き足す気がなくなったんじゃない。誰かがそこで、書くのをやめさせたみたいな止まり方だ。無ノ子の記録も、いつもこんな感じで途切れてた。まるで、続きを書く手がそこで、急に取り上げられたみたいに」
「見せて」
僕がそう言うと、トビンは、少し考えるように視線を巡らせてから、懐に手を入れた。
「前に、無ノ子の記録を調べたとき、書き写しておいたものがある。……マレイさんの分だ」
トビンが差し出したのは、小さく折られた紙だった。几帳面な字で、一行だけ書き写されている。
「静養に出す由、詳細後日追記」
僕は、目の前の帳面に書かれた三人の若者の記述と、その紙とを並べて見た。
「境を越えるとの由、詳細後日追記」
——言葉こそ違う。だが、文の形は、驚くほどそっくりだった。誰かに、あとで詳しい事情を書き足すと約束している。だが、その約束は、どちらも果たされていない。
「同じ書き方だ」
トビンが、紙を見つめたまま呟いた。
「……それだけじゃない」
トビンは、さらに帳面の別の欄を指でなぞった。
「三人の若者の家族の記録に、"見舞いの品、下賜"って一文がある。……マレイさんの家の記録にも、同じ言葉があった」
僕は、トビンが書き写した紙の隅を、もう一度確かめた。確かに、そこにも同じ言葉が記されていた。誰が贈ったのかも、なぜ贈られたのかも、どちらの記録にも書かれていない。
胸の奥に、これまでとは違う種類の確信が、静かに積み上がっていくのを感じた。無ノ子の記録の空白と、境の外に出た者の記録の空白。まったく違う出来事のはずなのに、消え方の"形"だけが驚くほど、そっくりだった。
「二件だけじゃ、まだ確かとは言えない」
トビンが、静かに言った。
「でも、消え方の形と、その後の"見舞いの品"まで、こんなに揃うのは、ただの偶然とは思えない」
「これは、偶然じゃない」
僕は、自分の声が少し掠れているのに気づいた。
「誰かが……あるいは、何かの決まりが、外に出た者の記録も、無ノ子の記録も同じやり方で消してるってことになる」
「なんのために?」
「分からない。でも、外に出た者は、確かに語られなくなる。それは、もうただの言い伝えじゃない。この村の仕組みの一部なんだ」
目の前にあるのは、誰か一人の意思ではなく、記録そのものが決まった形で欠けていくという事実だった——まるで、村という仕組み全体がそういうふうに作られているかのようだった。個人の悪意ではなく、何かもっと大きな、名前のない力が働いている気がして、僕はこれまでにない種類の怖さを感じていた。
トビンは、しばらく自分の膝の上に置いた手を見つめていた。
「僕の記録も、いつかこんなふうに、白紙のまま終わるのかな」
「トビン」
「ううん。いい。ただ、そう思っただけ」
トビンは、小さく笑おうとしたが、うまくいかなかった。僕らは、しばらく白紙のページを見つめたまま、言葉を失っていた。
神官が、遠くで何かを片付ける音がしていた。何も知らないその音だけが、静かな詰所の中にいつまでも響いていた。
トビンが、帳面をそっと閉じた。
「ノア。もし、これが本当に"仕組み"だとしたら」
「うん」
「お前の両親のことも……同じように消されてるんじゃないか」
その一言に、僕は何も答えられなかった。
これまで、両親の死に不自然なずれがあることは分かっていた。台帳の日付、セルマの恐怖——だが、それを記録の欠け方という具体的な"形"で他の誰かの例と並べて見たのは、これが初めてだった。三人の若者の記録の欠け方と、無ノ子の記録の欠け方——そこに、両親の記録まで並べたとき、初めて一つの絵が浮かび上がってくる気がした。
トビンは、何も言わず、ただ小さく頷いた。彼のその頷き方には、自分自身の記録の欠落と向き合ってきた者だけが持つ、静かな重みがあった。
「もし、そうだったら」
僕は、ようやくそれだけを口にした。
「もし、そうだったら、僕はそれを確かめないといけない」
僕は頷いた。次に確かめるべきは、もう決まっていた。
思っていたより、根が深い話でした。




