あの目は、僕を覚えていた
鍛冶場の火を落とす合間、トビンが手を止めて、外の方を見た。
「聞こえる? 何か……車輪の音」
僕も耳を澄ませた。かすかに地面を伝うような音が、遠くから響いてくる。一つや二つではない、幾重にも重なった音だった。
「まさか、もう?」
リゼが弾かれたように鍛冶場の外へ出た。僕とトビンも慌てて後を追った。
広場に出ると、既に大勢の村人が、街道の方角を見つめていた。
「見えたぞ! すごい数だ!」
誰かが叫ぶ声に、僕は思わず目を凝らした。街道の向こうから、荷馬車の隊列が、途切れることなく続いている。前に来たときよりも明らかに数が多い。
「二十は下らないな、あれ」
ダレンが僕の横に来て、感心したように呟いた。以前のダレンなら、こんな素直な感心は口にしなかっただろう。
「すごいね、本当に」
トビンも目を丸くして隊列を見つめていた。彼がこんなに開けっぴろげに驚くところを見るのも、まだ数えるほどしかない。
村中が、たちまち浮き立った空気に包まれた。子供たちは荷馬車を数えながら駆け回り、女たちは早くも品物の話で盛り上がり、老人たちも腰を上げて表に出てきた。境ノ村がこんな熱を持つのは、この前の隊商が来たとき以来のことだった。
少し離れた場所で、カイルが自衛団の仲間たちと並んで隊列を待ち構えていた。腕を組み、胸を張った姿は、以前よりずっと様になっている。
「おい、ノア! お前も見ろよ、これ!」
カイルがこちらに気づいて、大きく手を振った。
「護衛の並び方、前より統率が取れてる。荷馬車の間隔も、きっちりしてるだろ。これだけの数を、乱さずに動かすなんて、大した腕だ」
自衛団に入ってから、カイルはこうした隊列の組み方にも目が向くようになっていた。無邪気な興奮の中に、ほんの少し、大人びた観察が混じっている。
「トビンは、どう見える?」
僕が聞くと、トビンはしばらく黙って隊列を見つめてから、ぽつりと答えた。
「あの中の誰かは、たぶん僕らの村のことなんて気にもしてないんだろうな。ただの通り道の一つとして」
「そうかもしれない」
「でも……その誰かたちは、この村の外のもっと広い場所を当たり前みたいに知ってるんだよね」
トビンの声には、羨望とも寂しさとも言えない静かな響きがあった。
「カイルは?」
「もう自衛団の詰所に行ってる。護衛の受け入れ準備があるからって」
ダレンが答えた。以前は名主の使いとして偉そうに構えていた男が、今は自然にこんな連絡を回す立場に馴染んでいた。
隊列が広場に近づくにつれ、荷馬車の軋む音、馬の蹄の音、護衛たちの短い掛け声がはっきりと聞こえるようになった。前回よりも護衛の数も多い。荷台の隙間からは、見慣れない香辛料の匂いが、風に混じって漂ってくる。
僕は隊列の先頭を目で追った。
そこに立つ男の姿は、すぐに分かった。
痩せた体つき、日に焼けた顔、無駄のない足取り――ガイル・ソーンだった。前に会ったときよりも、装いはいくらか整っていて、隊列を率いる者としての落ち着きがより深くなっている気がした。
村長フェインが、いつものように歓迎の言葉をかけに歩いていく。
「これは、これは。前回にも増して、大変な規模でお越しくださいましたな」
「世話になる。今回は、少し長めにこの谷に留まらせてもらうつもりだ」
ガイルは短く頭を下げて応じた。その物腰に、以前と変わったところはなかった。ただ、フェインへの返事の一言一言が、前回よりもわずかに長い。名主として迎える側と、隊を率いる側――両者の間に、初対面のときにはなかった慣れのようなものが感じられた。
だが、荷を降ろす作業が始まってしばらくした頃、ガイルの視線が一度だけ僕のいる方へ向いた。
一瞬だった。だが、その目に浮かんだものは、前回とは違っていた。
前は、何かを確かめるような、警戒するような色があった。今は――どちらかというと、覚えのある相手を見つけたときの、静かな確かめの色だった。
その一瞬の眼差しに、僕は思わず息を止めていた。
(また覚えててくれたんだ)
次に会うときまで、忘れずにいろ――焚火の傍で聞いた、あの一言が耳の奥で静かに響いた。忘れていなかったのは、僕だけではなかったらしい。
ガイルは、それ以上は何も示さず、すぐに護衛への指示に戻っていった。だが、その一瞬の間に交わった気配は、確かに前回とは違う温度を持っていた。
「見た? 今の」
リゼが僕の袖を、そっと引いた。
「うん」
「あの人、ノアのこと、ちゃんと覚えてるみたいだね」
「そうみたい」
「なんだか前より、ちょっと柔らかい目だった気がする」
リゼの言葉に、僕は小さく頷いた。前回、名前を交わしたときの、あの静かな重さとは違う。今度は、もう少し近づいてもいいのかもしれない、という予感が、確かにあった。
広場では、荷が次々と下ろされ、市の準備が進んでいく。子供たちの声、値を交渉する女たちの声、荷馬車を停める音――境ノ村が、また一段と外の気配に染まっていく。
「あんなに大きな隊列、また来るとは思わなかったな」
ダレンが、荷の積み下ろしを手伝いながら感心したように言った。
「前より、もっと大きいもんな」
トビンも隣で頷いた。
僕は、その賑わいの中で、少し離れた場所に立つガイルの姿を、もう一度確かめた。今度こそ、あの人が語らなかったことを少しでも聞けたらいいと思った。焦らず、慌てず――だが、確かに前へ進みたかった。
「今度は、ゆっくり話せるといいね」
リゼが、僕の隣でそう言った。
「うん。今度こそ」
少し離れた場所で、トビンが荷馬車の列をじっと見つめていた。その目には、単なる好奇心とは違う、もう少し深い色が浮かんでいる気がした。
「トビン、どうしたの」
「……ううん。あの人たちは、いろんな場所を見てきたんだろうなって、それだけ」
トビンは、そう言って少し照れたように視線を落とした。彼の中にも、この村の外への関心が静かに育っているのかもしれない。
広場の喧騒の向こうで、ガイルが荷馬車の点検を続けている。その背中を見つめながら、僕はふと、ずっと前に聞いたことを思い出した。
「トビン。前に、鍛冶場の帳面、古いのも蔵に残ってるって言ってたよね」
トビンが、少し驚いた顔で僕を見た。
「うちの親父の代からの分? まだあると思うけど……急にどうしたんだ」
「あの隊の荷馬車、じっくり見てみたいんだ。前に来た隊と、車輪の作りとか、似てるところがないか」
トビンはしばらく黙って、僕の顔を見つめていた。それから、ふっと目の奥に、いつもとは違う光が浮かんだ。鍛冶の仕事に関わることで、自分から誰かに頼られるのが初めてだったのかもしれない。
「……分かった。うちの親父の代からの帳面なら、まだ蔵にあるかも。明日、探してみる」
「ありがとう」
「大したことじゃない。ただの古い紙だし」
トビンはそう言って肩をすくめたが、その口元は、隠しきれない張り切りを見せていた。
「見つかったら、また声かけて」
「うん。……明日、待ってて」
トビンはそう言い残すと、鍛冶場の方へ足早に戻っていった。その背中を見送りながら、僕は明日を待つ自分の胸の中に、これまでとは少し違う、はっきりとした形の期待があるのを感じた。
大きな隊列が、また来てくれました。




