他の子の三倍、面談がまだ終わらない
調律士オーレンの巡回の日は、村中がいつもより少しだけ忙しく動く。前の巡回から、ちょうど一年。灯前村、瀬戸口、外れ里を経て、境ノ村はいつも最後にその名を呼ばれる。
道の掃除、井戸端の片付け、子供たちの身なりの確認――誰に指示されたわけでもないのに、皆が同じように丁寧な顔を作る。その様子を見るたびに、僕は小さな違和感を覚えていた。
「今年も、同じだね」
リゼが、道端の花壇を整える村人たちを見て、そう言った。
「うん。オーレンさんが来ると、村全体が、綺麗な顔をする」
「悪いことじゃないと思うけど」
「うん、そうだね」
僕は、それ以上は言わなかった。ただ、いつもよりずっと注意深く、オーレンの動きを見ようと決めていた。
オーレンは、昼過ぎに、いつもの馬車で村に着いた。丁寧な物腰、揃った身なり、決まった台詞のような挨拶。何度も見てきたはずの光景なのに、今日はその一つ一つが、以前より少しだけ作られたもののように見えた。馬車から降りる所作すら、同じ動きを繰り返しているように、僕には映った。
面談は、いつものように、詰所で一人ずつ行われた。順番は、名主の家から始まり、年齢順に近い形で進んでいく。列に並ぶ子供たちの表情は、それぞれ違った。緊張した顔、退屈そうな顔、早く終わらせたそうな顔。誰もが、この面談を、ただの通過儀礼としてしか見ていない。
僕の面談は、いつもと同じだった。体調はどうか。夜はよく眠れているか。特に変わったことはないか。答えは、いつも通り「特に何もありません」で済んだ。オーレンは、僕の顔をいつもと同じくらいの時間だけ見て、次の紙に何かを書き込んだ。ペン先が紙を走る音だけが、静かな詰所に響いていた。
問題は、その後だった。
トビンの面談の番になったとき、僕は詰所の外の木陰で時間を測っていた。他の同期の面談は、どれも十分ほどで終わっていた。
トビンの面談は、三十分を過ぎても、終わらなかった。
「長いね」
リゼが、心配そうに言った。
「うん。他の人の、三倍くらい」
僕は、詰所の窓の方をちらりと見た。中の様子は分からないが、時々、オーレンの静かな声が途切れ途切れに聞こえてくる。何を話しているのかまでは、聞き取れなかった。窓辺の影が、二人分の輪郭を映していたが、動きはほとんどなかった。
四十分が過ぎた頃、ようやく、トビンが詰所から出てきた。顔色は、いつもより少し悪かった。詰所の戸が、いつもより重たい音を立てて閉じたのを、僕は妙に鮮明に覚えている。
「大丈夫?」
僕が声をかけると、トビンは、小さく頷いた。
「うん……ただ、いつもより、色々聞かれて」
「どんなこと?」
「前と、同じような質問。あとは……最近、村の外のことを考えたりしないか、とか」
その言葉に、僕は、思わず息を止めた。詰所の中の空気が、想像していたよりもずっと踏み込んだ内容だったことに、驚きを隠せなかった。
「村の外のこと?」
「うん。変な質問だと思った。誰かが、境の柵の外に興味を持ってないか、聞いてるみたいだった」
僕とリゼは、無言で顔を見合わせた。境の柵。まさに、僕たちが少しずつ関心を向け始めていた、その場所だ。
「他には?」
「あとは……別に。いつも通り、耳の後ろとか、確かめられて。今日は、両方の耳を、二回ずつ確かめられた」
トビンは、そう言って、疲れたように木にもたれかかった。額には、まだ僅かに汗が浮いていた。詰所の中は、そこまで暑くなかったはずなのに、緊張のせいか顔色は本当に悪かった。
「毎回こんな感じなんだね」
「うん。今日は、いつもより長かった気がするけど」
僕は、その言葉を、頭の中に丁寧に書き留めた。他の子は一度だけ、トビンは二回。差は、確かに"数"で測れる。オーレンの面談の時間の差――それは、他の子供たちとトビンとの間に、明確な差があることを示している。単なる健診ではないという確信が、また一段強くなっていく。
「調べてみる」
僕が、そう呟くと、リゼがこちらを見た。
「巡回の記録?」
「うん。名主の家に、去年までの巡回記録が残ってるはずだ。時間とか、面談の内容とかまでは書かれてないと思うけど、日付なら分かる」
「見せてもらえるの?」
「フェインさんに、頼んでみる」
トビンが、少し不安そうに、僕たちの顔を見た。
「俺のせいで、面倒なことになってないか」
「そんなことないよ。むしろ、トビンが話してくれたから、ここまで気づけた」
僕がそう言うと、トビンは、それでもまだ少し不安そうな顔のままだった。
僕は、詰所の方を、もう一度見た。オーレンが、次の面談のために静かに紙をまとめている姿が、窓の隙間から見えた。その事務的な動きの奥に、何が隠れているのか――僕は、まだその答えを持っていなかった。
「行こう。フェインさんに、頼みに」
僕がそう言うと、リゼは少し驚いた顔をして、それから頷いた。
「うん。今日のうちに、聞いておいた方がいい」
僕たちは、名主の家へ向かう道を、早足で歩き始めた。トビンは、木陰に座り込んだまま僕たちを見送っていたが、去り際に小さく手を挙げてくれた。その仕草だけで、以前よりずっと彼の中の何かが変わったのだと、僕には分かった。
道の途中、詰所の方から、次の面談を待つ子供たちの列が見えた。誰もが、緊張した顔で並んでいる。その列の中に、ダレンの姿もあった。腕の傷は、もうほとんど治っているようだった。
「ノア、どこ行くんだ」
ダレンが、こちらに気づいて声をかけてきた。
「名主の家。ちょっと調べたいことがあって」
「トビンのことか」
僕は、少し驚いて足を止めた。
「なんで分かるんだ」
「あいつの面談、やたら長いの、俺も気づいてたからな。お前が気にするのも、分かる」
ダレンは、そう言って、腕を軽く回した。
「何か分かったら、教えてくれ。俺にできることがあれば、手伝う」
「うん、ありがとう」
僕たちは、それだけ言葉を交わすと、また別々の方向へ歩き出した。ダレンの視線が、しばらく背中に感じられた気がした。
以前なら、名主の息子であるダレンが、無ノ子のことをこんなふうに気にかけることはなかっただろう。氾濫の夜から積み重なってきた変化が、確かに村のあちこちに小さな根を張り始めている――そのことを、僕は歩きながら静かに感じ取っていた。
観察の回でした。次回、記録を追いかけます。




