一番手薄な場所を、刻みの比率で見抜く
「東で、唸り声が……!」
見張りの声に、詰所の中の空気が一気に張り詰めた。
「規模は?」
「まだ分かりません。一頭か、二頭か……いえ、もっと多いかもしれません」
隊長は、短く舌打ちをした。それでなくとも、今夜はもう、三方に人手を割いてしまっている。
「東に回せる人数は、今は五人がやっとだ。増やそうにも、他の三方から動かせん」
年配の自衛団員が、地図の前で腕を組んでいた。
「五人では、正面から数を合わせるだけで精一杯だ。何とか、持ちこたえてもらうしかないだろう」
「だが、それだけじゃいずれ数に押されます。今すぐ、別の手も考えないと」
僕は、地図の上に置いた記録帳をもう一度見つめ直した。北、西、南――出現の間隔を時計と鐘の音を頼りに書き足していく。数字が並ぶたび、頭の中で、ある形が浮かび上がってくる。
書き足した間隔の数字を、後ろから順に並べ直してみる。北から西までの間隔と、西から南までの間隔――一見、ただ短くなっているだけに見えたそれが実は同じ比率で縮んでいるように思えてきた。この帯の刻みを知らないままの自分だったら、きっと気づかなかっただろう。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。
(三方向、それぞれの間隔が……そうだ、これだ)
「隊長、帯の――この欠片を見てください」
僕は、懐から金属の帯の欠片を取り出し、灯りの下に置いた。等間隔に刻まれた線が、三本ひと組でいくつも連なっている。
「三本ずつの組が、繰り返されている。三日周期を、そのまま数えるための道具だと僕は思ってました。でも――」
僕は、記録帳の間隔の数字と欠片の線の幅を指で並べて比べた。
「今夜の四方向の出現順も、同じ間隔の比率で動いてる気がします。北から西までの間隔と、西から南までの間隔――ちょうどこの線の幅と同じ比率です」
隊長が、眉をひそめて僕の指先を追った。
「言ってる意味が、よく分からんが……続けろ」
「さっき言った"埋め合わせ"の読みが正しければ、東の次に来るのは東からさらにずれた方角――つまり今一番手薄な場所を突くように、順番が組まれてる可能性があります」
「手薄な場所、というと」
「北の、外れの区画です。以前、獣が避けていた見張り小屋のある辺り」
名主の一人が、地図に描かれた見張り小屋の位置を指でなぞりながら口を開いた。
「あそこは、確かに人が少ない。獣が避けるからと、警備を薄くしていた場所だ」
その言葉に、隊長の顔つきがみるみる変わった。
「今、増援がそっちに向かっている最中だ……!」
僕の胸が、また強く跳ねた。増援は、まさにダレンたちのいる北へ向かっているはずだった。
「隊長、増援の進路を変えられますか。今のままだと、真正面から次の波に飲まれます」
「伝令を出す。だが、確証がなければ隊長として指示は出せん」
「確証は――」
僕は、そこで一度言葉を止めた。断言できるほどの証拠は、まだ手元にない。それでも、これだけは言い切れる気がした。
「これまで誰も踏み込まなかった場所です。氾濫なら、そこに溜まってるはずだ」
「今夜が終わったら、いくらでも検証してください。今は、僕の読みを信じてもらうしかありません」
隊長は、一瞬僕の目をじっと見つめた。それから、大きく息を吐き、伝令の男に向き直った。
「北の増援に伝えろ。真っすぐ突っ込むな、迂回して獣の避けていた小屋の裏から回れ、と」
「隊長、それは……」
「命令だ。理由は後で説明する。今は急げ!」
伝令が、槍を担いだまま駆け出していった。その後ろ姿を見送りながら、僕は、この読みが本当に届いているのかという不安を拭い切れなかった。
詰所の外では、東の方角から複数の唸り声が確かに近づいてきていた。
「東の五人は、持ちこたえられますか」
「持ちこたえてもらうしかない。だが……」
隊長が、地図の一点を指した。
「東の見張り小屋のすぐ近くに、避難が遅れてる一角がある。灯籠を作ってた子供たちが、まだそこにいるかもしれん」
僕の頭の中で、灯籠を掲げていたカイルの姿が一瞬、鮮明に浮かんだ。
「僕が行きます」
「お前が行っても、戦えるわけじゃないだろう」
「はい。でも、あそこに誰がいるか、僕なら分かります」
隊長は、しばらく黙っていたが、やがて自衛団の一人に僕を連れて行くよう指示した。
僕たちは、灯りの届く範囲の外へ足を進めた。東の方角から響く唸り声が、少しずつその輪郭をはっきりさせていく。
灯籠の並んだ一角に着くと、そこには確かにカイルがいた。幾人かの小さな子供たちを背に庇うようにして、竹の棒を構えている。子供たちの中には、灯籠を抱えたまま泣きそうな顔をしている小さな女の子もいた。
「カイル!」
「ノア? なんでこんな所に――」
「東から、獣が来る。ここは危ない、すぐに離れて!」
「今、動かしてる最中だ! だが、この子たち、足がまだ遅くて――」
その時、遠くの闇の奥で低い唸り声が、これまでよりも近くはっきりと響いた。
胸の奥で、棘が、一段と強く疼いた。片目が、勝手に細くなる。
(今の声――一頭じゃない。複数が、同じ方向から、同じ速さで来てる)
「カイル、右手の茂みの方に逃げて。左からじゃ、間に合わない」
「なんで右だと分かるんだよ」
「分かるから言ってる。急いで!」
カイルは、一瞬だけ僕を見て、それから何も言わず子供たちの手を取って指した方向へ走り出した。
自衛団の男が、槍を構えて僕たちの背後をかばう位置に立つ。
さっきまで泣きそうな顔をしていた女の子は、灯籠を抱えたまま、それでも自分の足で走っていた。カイルが背中に庇うように誘導しながら、竹の棒を握り直す手には、血の気が薄く抜けているのが見えた。
唸り声は、確かに僕が示した方向とは逆側――つまり、僕たちが元いた場所のすぐそばから地面を揺らすように近づいてきていた。
灯りの届かない闇の奥で、何かが動く気配がした。獣の姿はまだ見えない。だが、その気配の重さだけで、これが一頭ではないことが分かった。
もし、あの場に留まっていたら。
北へ向かった増援の中に、ダレンもいるはずだった。迂回の指示が本当に届いているのか、僕にはまだ確かめる術がなかった。
僕は、震える手を握り直しながら、そのまま闇の奥を見つめ続けた。
ダレンの安否が気になる方は、評価で教えてもらえると嬉しいです。




