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重なる音

低い唸り声は、一度きりでは終わらなかった。


祭りの熱気がまだ肌に残る中、僕の耳はその場に不釣り合いな音をはっきりと捉えていた。


北から、西から、そして少し間を置いて僕たちの背後――村に近い方角からも、同じような音が途切れながら響いてくる。


風に混じって、乾いた土と鉄が擦れるようなあの覚えのある匂いが、また一瞬強く鼻先を過ぎた。だが今は、それに構っている余裕はなかった。


「これは……」


ダレンの声が、わずかに震えていた。


僕は、詰所の方角を振り返った。祭りの喧騒はまだ続いている。太鼓の音、笛の音、子供たちの笑い声――誰もこの静かな異変に気づいていない。


心臓が、速く硬く打っている。


(一方向だけじゃない。複数の方向から、同時に。これは、いつもの獣の出現とは明らかに違う)


「ダレン、詰所に知らせないと。今の音、一箇所からじゃない」


「分かってる。だが、俺一人じゃ確認しに走るのも、お前をここに置いていくのも危ない」


ダレンは槍を構えたまま、素早く辺りを見回した。灯りの消えた見張り小屋、応答のない二人の見張り――状況は、明らかに悪い方向に進んでいた。


「先に、詰所まで戻るぞ。急げ」


僕たちは来た道を戻り始めた。走りながら、僕は頭の中で今日一日の出来事を急いで並べ直した。祭りの夜と重なった周期。早まった刻限。灯りの消えた見張り。柵の方をうろついていたオーレン。そのどれもが今この瞬間に向けて、一本の線でつながっていく気がした。


だが数歩も進まないうちに、遠くから鐘の音が響いてきた。


いつもの祭りの終わりを告げる鐘の音ではなかった。短く途切れながら、何度も繰り返される、聞いたことのない打ち方だった。


「あの鳴らし方……」


「非常の合図だ。俺も、こんな鳴らし方は初めて聞く」


広場の方から、太鼓や笛の音がふと乱れたのが聞こえた。誰かが鐘の音にようやく気づいたのだろう。賑わいの中に少しずつ、戸惑うような声が混じり始めている。


鐘の音は、一つではなかった。北の見張り小屋の方角から一つ、それとほぼ同時に村の反対側――僕たちが今いる場所とは違う方角からも、もう一つの鐘の音が重なって聞こえてきた。


胸の奥で、棘がこれまでのどの瞬間よりも強く疼いた。片目が、勝手に細くなる。


(違う方角から同時に、非常の鐘。これはもう……一箇所だけの出現じゃない)


「複数の方向から、同時に鐘が鳴ってる。ダレン、これって……」


(リゼは今、どこにいるんだろう。無事に、家に戻れてるといいけど)


「……三日間の周期が、崩れたんじゃない。むしろ、逆だ」


ダレンの声が低く、硬くなった。


「いつもは一箇所、多くても二箇所だった獣の出現が、今夜は村の四方から一斉に来てる。氾濫だ」


その言葉の重さに、僕は思わず息を止めた。三日間、規則正しく守られてきたはずの周期が、今夜だけまったく逆の形で崩れている。祭りの高揚に紛れ、村中がそのことに気づかないまま、刻限は確かに来てしまったのだ。


これまで、周期を狂わせるのは外からの来訪者だけだった。今夜は、誰も外から来ていない。それなのに、いつも以上の規模で周期そのものが崩れている――その事実が、これまでの推測をすべて裏切っていた。


僕たちの足元で地面が、かすかに震えた気がした。遠くの喧騒の向こうから、村人たちの悲鳴に似た声が初めて響いてくる。灯り台の光が風もないのに、不自然に揺れた。


「灯りを、絶やすな……」


僕はセルマの言葉を、思わず口にしていた。あの言葉が単なる言い伝えではなく、今この瞬間のために繰り返されてきたものだったのだと、初めてその重みが分かった気がした。


広場の方から、村長フェインの声が拡声するように響いてきた。


「動じるな! 灯りを絶やさず、家の中で待て! 自衛団は既に配置についている!」


その声にも、いつもの落ち着きとは違う切迫した響きが混じっていた。子供たちの泣き声、母親たちが呼び合う声、そして遠くから――規則正しかったはずの鐘の音とは違う、いくつもの乱れた音が次々と重なって聞こえてくる。


ダレンが、僕の肩を強く押し村の中心へと促した。


「行くぞ、ノア! お前は詰所へ――俺は、北の応援に向かう」


「一人で危ないよ」


「今更そんなことを言ってる余裕はない! お前が持ってる情報の方が、俺の腕よりよっぽど役に立つはずだ。詰所に、周期の記録を全部伝えてこい」


「……分かった。絶対に無茶しないでよ」


「お前に言われるとはな」


ダレンは、そう言って一瞬だけ、いつもの軽い笑みを見せた。だがそれも、すぐに真剣な表情へと戻る。


「戻ってこいよ、必ず。俺も、必ず戻る」


ダレンは、そう言い残し、唸り声の響く北の方角へと槍を構えたまま走り去っていった。


僕は、その後ろ姿を一瞬だけ見送った。それから詰所へ向けて、全力で駆け出した。


走る途中、広場を横切ると灯籠を手にしたまま立ち尽くすカイルの姿が見えた。祭りの装いのまま、その顔だけが強く引き締まっている。


「ノア、これ、一体……!」


「詳しくは分からない。でも、灯りだけは絶対に絶やさないで」


「分かった。俺も、できることを探す」


カイルは、それだけ言うと灯籠を強く握り直し、近くの子供たちを家の方へ促し始めた。いつもの無邪気さの中に、初めて見る真剣な顔つきがあった。


僕は、その姿を横目に再び足を速めた。四方から重なる鐘の音、灯りの下で揺れる村人たちの声、そして僕の胸の中でこれまでのどの謎よりも重く疼く、あの棘の感覚――灯火祭の夜は、これまで境ノ村が経験したことのない初めての夜へと変わりつつあった。


僕が積み重ねてきた獣の周期の記録が、今、本当に試される瞬間が来たのだと駆けながら僕は確信していた。これまで誰にも認められなかった記録が、今夜だけは、村の誰かの命を救う側に回るかもしれない。


詰所が見えてくる頃、四方の唸り声はもはや個々の方角を聞き分けるのが難しいほど重なり合って響いていた。灯り台の炎が、その音の重さに震えるように揺れている。走り続ける僕の足音さえ、その重なりに紛れて自分の耳にも届かなくなっていた。


僕は、懐の帯の欠片を強く握り直した。この線が示していたものの正体を、今夜という夜がこれから証明していく――そんな予感だけが、確かに胸の中にあった。

氾濫がいよいよ本番です。しばらく緊迫した話が続きますが、よろしければ追いかけてください。

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