応答のない見張り小屋は、空っぽだった
祭りの賑わいをそのままに、夜は深まっていった。
僕は灯りの消えた見張りの位置がどうしても気になり、リゼと別れた後、一人で詰所の方へ足を向けた。広場の喧騒が遠のくにつれ、辺りは急に静かになっていく。
途中、灯り台の陰で、村長フェインが数人の年配の男たちと何か低い声で話し込んでいるのが見えた。いつもの温厚な表情とは違う、こわばった顔つきだった。僕はそれ以上近づかず、そのまま詰所へ向かった。
詰所の前では、先ほどよりも多くの男たちが集まり、地図を囲んで低い声で話し込んでいた。
「まだあそこの見張りから返事がないのか」
「はい。灯りが消えたまま、応答の合図も上がってきません」
「祭りに気を取られて、灯りの管理を忘れてるだけかもしれん。誰か向かわせたか」
「二人、様子を見に行かせています。まだ戻っていません」
僕はその会話に近づき、思わず声をかけた。
「あの、僕にも手伝えることがあれば」
「ノアか……いや、子供が出る場面じゃない。祭りに戻ってろ」
そう言われはしたが、誰も本気で僕をその場から遠ざけようとはしなかった。緊張した空気の中、余計な人手を割く余裕がないのかもしれなかった。
「隊長、村長様がこれ以上騒ぎを大きくするなと」
「分かってる。だが、応答のない見張りを放っておくわけにもいかんだろう」
隊長らしい男が、そう答え、それ以上は誰も強くは言わなかった。祭りの賑わいを保ちながら、裏では静かに警戒を強めていく――その両立の難しさが、詰所の空気にも滲んでいた。
僕は詰所の隅に留まり、壁に貼られた記録に、もう一度目を走らせた。三日間の周期――これまでの記録では、いつも決まって夜半過ぎから始まっていた。
夕方の報告を思えば、今回はさらに早まっている可能性がある。だとすれば、もう刻限はそう遠くないところまで来ているはずだった。壁の記録に並ぶ、これまでの出現時刻を目で追いながら、僕は頭の中で残りの時間を数え直した。
(もし、今日の周期が本当に早まっているとしたら……そろそろ、その刻限に近づいてるはずだ)
手のひらに、じっとりと汗がにじんだ。
「お前、まだいたのか」
ダレンが、槍を手に、詰所の入り口から現れた。今夜の見張りの一団として、既に配置に加わっているらしかった。
「うん。あの見張りの様子、気になって」
「俺も、これから北の方に向かう。人手が足りてないみたいでな」
「僕も、一緒に行ってもいい?」
「……お前が来たところで、戦えるわけじゃないだろ」
「うん。でも、何か気づけることがあるかもしれない」
ダレンは、しばらく僕を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「まあ、詰所の周りまでなら構わん。それより先には、絶対に来るなよ」
「うん、分かってる」
自衛団から名指しで柵に近づくなと言われていたことは、ダレンには話していなかった。今それを言い出せば、確かめに行くこと自体が止められてしまう。それだけは、避けたかった。
僕はそう答えながら、懐の帯の欠片にそっと手を触れた。線の数を数え直すたび、今日という日がその線の示す刻限に、確かに重なっていく気がしてならなかった。
僕たちは、灯り台の間を抜け、村の外周へ向かって歩き始めた。祭りの喧騒が、少しずつ後ろに遠ざかっていく。
歩きながら、僕は昨日聞いた隊商の護衛たちの言葉を思い出した。大きな一団が来るときは、なぜか獣の出る時期を外して来ることが多い、という話。今日は逆に、誰も外から訪れていない。だとすれば、今日という日は周期が最も"素直に"現れる条件が、揃っているのかもしれない。
息が、少し浅くなった。
(外から誰も来ていない夜――もしかしたら、それも、今回の重なりに関係してるんじゃないか)
その考えをダレンに伝えるべきか迷ったが、まだうまく言葉にできず、僕は口をつぐんだ。
「北の見張り小屋、確か……前に避けられてる区画があったところだよね」
「ああ。今にして思えば、あそこだけ避けられてたのも、妙な話だな」
僕たちはそんな話をしながら、灯りの届かない暗がりへと足を進めた。夜風が、いつもより冷たく感じられた。
外周に近づくにつれ、辺りの静けさが不自然なほど深くなっていくのが分かった。祭りの音は届いているはずなのに、なぜかこの一帯だけ、空気が張り詰めて重い。灯り台の炎さえ、他の場所より小さく縮んでいるように見えた。
「……静かすぎるな」
ダレンが槍を構え直しながら、低く言った。
「うん。いつもの夜なら、虫の声くらい聞こえるはずなのに」
ダレンはその静けさに、何度も周囲を確かめるように視線を巡らせていた。
「こんな静けさ、前の氾濫の記録でも、見た覚えがないな」
「氾濫って、前にも一度あったの?」
「ずっと昔、俺が生まれる前の話らしい。詳しいことは、親父もはっきりとは知らないみたいだが」
僕たちは灯りの消えた見張り小屋の輪郭が見えるところまで進んだ。誰の姿もなく、灯りも点いていない。先に向かったはずの二人の見張りの姿も見当たらなかった。
胸の奥で、棘が、また鋭く疼いた。片目が、勝手に細くなる。
(誰もいない……行かせた二人まで、消えてる)
見張り小屋の扉がわずかに開いたままになっていた。中を覗き込むと、灯りの道具は残されたまま、人の気配だけが失われている。まるで、誰かが急いでその場を離れたか、あるいは何かに引き寄せられて外へ出ていったかのようだった。壁に立てかけられた槍も、そのまま残されている。
「おかしいな。逃げるにしても、道具くらいは持って出るはずだが」
ダレンが、そう言いながら小屋の中を確かめた。
その時、遠くで、獣の低い唸り声のようなものが、風に混じって聞こえた気がした。
「今、何か……」
「俺も聞いた」
ダレンが、僕の前に一歩踏み出し、槍を構えた。
唸り声は、一方向からだけではなかった。北から、そして少し離れた西の方角からも同時に、低く重なるように響いてきたのだ。
僕たちは思わず、互いの顔を見合わせた。
灯りの届かない先――境の柵の向こう、誰も踏み入ったことのない荒野の方角から、風がひときわ強く吹き付けてきた。その風に混じって、乾いた土と、鉄が擦れるような匂いが、一瞬だけ鼻先を過ぎた気がした。
鼓動が、耳の奥で聞こえるくらいに速くなっていた。
(この匂い……前にも、どこかで)
だが、それを確かめる余裕はなかった。唸り声は、途切れることなく、少しずつ近づいてくる気配を帯びていた。
唸り声が重なるところ、書きたかった場面です。




