灯る夜を待つ
灯火祭の前日、村はこれまでにない賑わいと緊張に包まれていた。空は夏らしい強い日差しを浮かべ、蝉の声が広場の喧騒に混じって響いていた。
広場には、無数の灯り台と灯籠が並べられ、女たちは炊き出しの準備に忙しく動き回っていた。子供たちは、明日の祭りを待ちきれない様子で村中を跳ねるように駆け回っている。
炊き出し用の鍋からは、甘い匂いが漂い、広場の隅には、祭りのための酒樽まで運び込まれていた。境ノ村の一年の中で、これほど手をかけて準備される行事は他に見当たらない。
「明日は、すごい賑わいになりそうだね」
リゼが、灯籠の最後の仕上げをしながら言った……筆先を紙に置いたまま少し考えるような顔をしている。
「うん。こんなに大がかりな祭り、僕も初めて見る気がする」
「わたしも。去年までは、こんなに大きく準備してた覚えなかったんだけどな」
「今年は、何か特別なのかな」
「さあ……村中が浮き立ってるから、そう見えるだけかもしれないけど」
リゼはそう言いながら、灯籠に描いた模様を、満足そうに眺めていた。僕はその隣で、まだうまく言葉にならない小さな引っかかりを抱えたままでいた。
僕はふと、懐にしまってあった金属の帯の欠片を思い出した。まだじっくり調べる時間が取れていない。祭りの支度が終わったら、確かめてみようと思っていた。
広場の隅では、去年よりも大きく組まれた灯り台の骨組みが、何本も立てられていた。子供たちがその周りを駆け回りながら、誰の灯籠が一番明るいかを競い合っている。境ノ村が、これほど一つの行事にまとまって沸き立つ姿を、僕は今まで見た覚えがなかった。夏の熱気と祭りの高揚が混じり合い、村全体がひとつの生き物のように息をしているようだった。
その日の午後、自衛団の詰所の前を通ったとき、若い男たちが集まって何やら話し込んでいるのが見えた。詰所の壁には、村の地図と、獣の出動記録を書き留めた古い紙がいくつも貼り出されていた。
「今月の"三日"って、いつだったかな」
「確か、祭りの真ん中あたりだったはずだ」
「ちょうど灯火祭の夜と、重なるってことか」
その言葉に、僕は思わず足を止めた。詰所の壁に貼られた地図に、視線が自然と向かった。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。
(獣の出る三日間の周期――それが、灯火祭の夜と重なる。前に調べた記録じゃ、こんな重なり方見た覚えがない)
「あの、それって、いつも重なるものなんですか」
僕がそう聞くと、男たちは少し驚いた顔で僕を見た。
「ノアか。……いや、重なるのは珍しいな。俺が知ってる限り、灯火祭とちょうど被ったのは記憶にないくらいだ」
「珍しいのに、あまり心配してないんですか」
「心配、というか……三日間ってのは、いつも同じ長さで収まってきたからな。祭りの夜だから危ない、ってわけでもないだろう。自衛団も、いつもより多めに人を配置する予定だ」
男の一人が、そう言って笑った。だが、その笑い方にはどこか無理をしているような気配があった。もう一人の男は、それ以上は口を挟まず、腰に佩いた道具を無言で確かめ直していた。
僕はその場を離れ、頭の中でこれまで書き写してきた獣の出動記録をもう一度思い浮かべた。三日間という周期は、確かにずれることなく続いてきた。だが、その周期が村の大きな行事とぴったり重なったことは、記録の限り一度もなかったはずだった。過去に周期が崩れたのは、隊商のような外部の一団が現れたときだけ――それとは逆に今回は、周期が本来の形のまま祭りの夜に重なってしまう。前例のない組み合わせだった。
(偶然、なんだろうか。それとも――)
夕方、家に戻る途中、ダレンに会った。祭りの提灯を運ぶ手伝いをしていたらしく、両手に竹の骨組みを抱えていた。
「明日の祭り、自衛団も気を張ってるみたいだな」
「うん。獣の周期が、祭りの夜と重なるって聞いた」
「ああ、俺も聞いた――まあ、いつもきっちり三日で収まってきたんだから、心配しすぎることもないだろ」
ダレンはそう言いながらも、少し落ち着かない様子だった。
「ダレンも、気になってるの?」
「……分からん。ただ、お前がそういう顔をしてるのを見ると、こっちまで妙な気分になるんだよな」
ダレンは竹の骨組みを抱え直しながら、少し困ったように続けた。
「祭りの夜くらい、何も考えずに楽しめればいいんだがな。お前と話すと、いつもそう簡単にはいかない気がしてくる」
「ごめん、変な話ばかりして」
「いや……別に責めてるわけじゃない。ただ、慣れないだけだ」
「そういう顔って?」
「何か、引っかかってる顔だよ。お前、いつもそうじゃないか」
「そうかな。自分では、あまり気づいてなかった」
「まあ、気づいてないから、余計に厄介なんだよな」
ダレンはそう言って、小さく笑った。以前なら、笑いながらも突っかかるような一言を添えたはずだったが、今はそれだけで会話を切り上げ、自分の家の方へ歩いていった。
僕は思わず苦笑した。だが、その指摘は当たっていた。
夜、僕は自室で、懐にしまっていた金属の帯の欠片をランプの灯りの下で見つめた。表面に浮かぶ、消えかけた模様のようなものが、いつもよりはっきりと見える気がした。まるで、何かの合図のような、規則的な線の並びだった。
手のひらの中の欠片が、いつもより重く感じられた。鼓動が、少しだけ速くなっている。
(この模様と、獣の周期と、祭りの夜――全部別々のことのはずなのに、なんだかどこかで繋がってる気がしてならない)
窓の外では、村中に灯された試し火の灯りが、いつもより多く静かに揺れていた。翌日の本番に備え、各家がそれぞれの灯りの調子を確かめているのだろう。その灯りの向こうに、僕はふとあの荒野の乾いた匂いを一瞬だけ思い出した。僕は小さく息を吸った。明日、この村で何が起きるのかを確かめる夜がもう目の前まで来ている。
明日、灯火祭の夜が来る。獣の周期が重なるという、この村では前例のない夜が。
僕の胸の中で、その予感はこれまでのどの謎よりも静かで、重い手触りを持っていた。灯りを絶やすな、というセルマの言葉と周期が重なるという自衛団の話――二つの別々の糸が、明日の夜どこかで一本に結ばれる気がしてならなかった。ランプの火を吹き消してからも、しばらくは寝つけなかった。
明日から灯火祭本番です。評価いただけると励みになります。




