灯火祭の支度
隊商が村を発ったのは、まだ夜の明けきらない早朝だった。
薄暗い空の下、荷馬車の隊列が静かに広場を出ていく。護衛たちの足音、荷が軋む音だけが、まだ眠りの残る村の中に低く響いていた。
僕とリゼは、見送りのために広場まで出た。ガイルは、最後に短く頭を下げ、それだけで隊列を率いて村を出ていった。それ以上の言葉はなかったが、去り際に一度だけ僕の方を見た気がした。
「また会えるといいね」
リゼが、隊列の後ろ姿を見つめながら言った。
「うん。今度は、もっと色々、聞けるかもしれない」
隊商が去った後、村はすぐに次の話題で埋まっていった。夏の年中行事――灯火祭が、間もなくやってくるのだ。
「灯火祭って、どういう祭りなの?」
僕は朝食の席で、セルマに聞いてみた。窓の外では、既に隣家の物干しに去年使ったらしい古い灯り台が引き出されていた。
「夏の一夜、村中の灯りを、一晩中絶やさずに焚き続ける祭りだよ。星の恵みへの感謝を示す、そういう祭りさ」
「一晩中、灯りを絶やさない?」
「そうだよ。うちだけじゃなく、村中どこの家も、その夜は必ず、灯りを絶やさない。誰かが見張って、絶やさないように気をつける」
「なんでそんなに大事なんだろう」
セルマは少しの間、手を止めた。鍋をかき混ぜる木のへらの先から、湯気が細く立ち上っていた。
「……昔から、そう決まってるんだよ。それ以上の理由は、私も知らない」
その答え方には、いつものような深く尋ねるなという硬さがあった。だが、今回はそれだけではない何かが、セルマの目の奥に見えた気がした。
「セルマ、何か、他にも知ってることがあるの?」
「……いや。ただ、この祭りの夜は少しだけ落ち着かない気持ちになる。それだけのことさ」
セルマはそう言って、それ以上は答えず、朝食の片付けに戻っていった。
その日から、村は灯火祭の支度に本腰を入れ始めた。広場には灯り台が並べられ、各家では紙と竹で作る小さな灯籠の準備が進められた。井戸端では、女たちが炊き出しに使う食材の話で盛り上がり、子供たちは、灯籠に描く模様を競うように見せ合っていた。境ノ村全体が、久しぶりの祭りに向けて少しずつ浮き立っていくのが分かった。
「ノア、こっち手伝ってくれ! 灯籠の枠、足りないんだ」
カイルに呼ばれ、僕は裏山へ灯籠の骨組みに使う細い枝を集めに向かった。ダレンも、名主一族の役目として同じ作業に加わっていた。
「祭りの支度、名主の家も総出でやるんだな」
「まあ、村の一大行事だからな。うちが率先して動かないと、格好がつかない」
ダレンは、そう言いながらも、以前より進んで枝を拾い集めていた。カイルも、負けじと大きな枝を両手に抱え、得意げに見せてきた。
「見てくれよ、こんな太いの見つけたぞ。灯籠の骨組みには、太すぎるかもしれないけど」
「それ、灯籠じゃなく、薪にする方がいいんじゃないか」
ダレンがそう言うと、カイルは不満げに口を尖らせながらも、笑い声を上げていた。以前のような殺伐とした空気は、いつの間にかこんな軽い言い合いに変わっていた。
枝を集めながら裏山を登るうち、僕の足は自然と見覚えのある場所で止まった。
強い風の夜に倒れた、あの古木だ。根元には、以前見つけたあの細い金属の帯が今も変わらず巻きついたままだった。
あのときは、木の繊維に深く食い込んでいて、露出した部分を指でなぞるのが精一杯だった。表面のごく浅い刻印を確かめただけで、僕はそれ以上、手を出せずにいた。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。
(あれから、ずいぶん経った。倒れたまま雨ざらしになって、幹も、前より脆くなってるはずだ)
しゃがみ込んで確かめると、案の定、帯を包んでいた木の繊維は以前より乾いて崩れやすくなっていた。指で押すだけで、乾いた木くずが、ぱらぱらと落ちていく。
「おい、そんなところで何してる。手を動かせよ」
少し後ろから、ダレンの声がした。カイルはもっと上の斜面で、大きな枝を探して回っているらしい。
「前に、この木で見つけたものがあってさ。……今なら、取り出せそうなんだ」
「……お前、また面倒なものに構ってるのか」
ダレンはそう言いながらも、僕の手元を覗き込んできた。
「確かに、妙な帯だな。金属……にしては、鍛冶屋のものとは違う。だが、今は祭りの支度が先だ。気になるなら持って帰って、後でゆっくり調べればいいだろ」
意外な言葉だった。以前のダレンなら、こんなものに構うな、と鼻で笑っていたはずだ。
僕は、脆くなった木の繊維を慎重に崩し、帯の端の切り取れる範囲だけを、そっと手折るように外した。灰色の、硬く滑らかな欠片が、ようやく僕の手のひらに残った。あのとき、どうしても外せなかったものが今、確かにここにある。
夕方、灯籠の骨組みを山ほど抱えて村へ戻ると、広場では既に多くの灯り台が並べられていた。子供たちが紙灯籠に色を塗る作業を、楽しそうに手伝っている。空はまだ明るかったが、灯り台の並ぶ光景を見るだけで祭りの夜がどんなものになるか、少しだけ想像できた気がした。
家に戻ってから、僕はセルマに灯火祭の準備の様子を話した。
「灯籠、たくさん作ったんだね」
「うん。カイルたちと一緒に、枝を集めてきた」
セルマは少しだけ微笑んだ。その微笑みには、いつもの優しさと、ほんの少しの疲れが同時に見えた。それから、ふと灯り台の並ぶ窓の外を見やった。
「……この祭りの夜だけは、灯りを絶やしちゃいけない。それだけは、ちゃんと覚えておいてね」
「絶やしたら、何かあるの?」
セルマの表情が一瞬、強張った。手にしていた布巾を、いつもより固く握りしめているのが分かった。
「……何もないよ。ただの言い伝えだから。でも、守らなきゃいけないことは時々、理由が分からないまま、ずっと受け継がれていくものなんだよ」
その言葉には、いつもの「疑うな」とは少し違う響きがあった。まるで、セルマ自身もその理由を知らないまま、何かに従っているような――そんな硬さだった。
僕は、それ以上は聞かず、頷くだけにした。だが、懐にしまった金属の帯の欠片と灯りを絶やすなというセルマの言葉が、どこか同じ根っこから来ているような気がしてなかなか頭から離れなかった。
祭りの準備回でした。お読みいただきありがとうございます。




