隊商の受け渡しの危うさを言い当てる
隊商が村に留まる間、境ノ村はいつもと違う賑わいに包まれていた。
市の広場には、見慣れない品物が並んでいた。染め物の布、硬い木の実、遠い土地の香りがする香辛料――どれも村では手に入らないものばかりだった。
朝から晩まで、広場は人の出入りが絶えなかった。子供たちは露店の間を駆け回り、女たちは布の質を確かめながら値を交渉し、老人たちは珍しい菓子を前に若い頃に聞いた遠い土地の話を語り合っていた。境ノ村が、こんなに長く外の気配で満たされる日は、久しぶりのことだった。
「これ、見ろよ! こんな綺麗な色の布、見たことないぞ」
カイルが、露店に並んだ布を手に取って目を輝かせていた。
「気に入ったなら、買っていくといい」
売り子の一人が、そう言って笑う。カイルは少ない手持ちの銭を数えながら、真剣な顔で品物を選んでいた。
ダレンは、名主一族の使いとして隊商の帳簿係と何度も話し込んでいる姿を見せていた。以前のような高圧的な態度は薄れ、むしろ相手の話を丁寧に聞くような素振りが目立っていた。
「大きな取引になったみたいだね」
リゼが、そう言いながら僕の隣で市の様子を眺めていた。
「うん。村がこんなに動いてるの、久しぶりに見た気がする」
「ガイルさんとは、あれから話せた?」
「うん、少しだけ。まだはっきりしたことは聞けなかったけど」
僕はあの夜の会話を、リゼに簡単に話した。
「疑うな、って決まりが、この谷だけの話じゃないなんて……」
リゼはそう言って、少し不安そうな顔をした。
「そんなに広い話だったら、いったいどこまで広がってるんだろうね」
「分からない。でも、ガイルさんはそれをずっと見てきた人みたいだった」
市が開かれて三日目、隊商の一団がいよいよ村を発つという知らせが広まった。
「もう行っちゃうのか」
カイルが、少し残念そうな顔で言った。
「そういうもんだろ。商いは、ここだけじゃ終わらないんだから」
ダレンが、いつものように少し得意げに答えた。
出発の準備が進む中、僕は自衛団の詰所の近くで隊商の護衛たちと自衛団の男たちが何やら話し込んでいるのを見かけた。荷馬車の轍を確かめたり、道中の水場の位置を教え合ったり――出発前の慌ただしさの中に、両者の間には初めて会ったとは思えない気の合った空気があった。
「今回も、うまく間を外して来たみたいだな」
自衛団の若い男が、そう言うのが聞こえた。
「間を外す、って?」
僕がそう聞くと、男は少し驚いた顔をした。
「ああ、ノアか。……いや、大した話じゃない。ただ、獣の出る三日ってのが月に一度あるだろ。隊商みたいな大きな一団が来るときは、なぜかその時期を外して来ることが多いんだ」
(今の三日間の周期と……隊商の来る時期が、関係してるってこと?)
「それって、偶然じゃないんですか」
「さあな。俺らも、昔からそう言われてるだけで、理由は知らん。だが、大きな一団が来た月は決まって獣の出が静かだったって話は、爺さんの頃からよく聞く」
護衛の一人が、その話に苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。
「俺たちも、そういうもんだと思って深くは考えないようにしてる。長く商いをやってりゃ、そういう"間の良さ"には何度も出会うもんだ」
もう一人の護衛も、頷きながら付け加えた。
「むしろ、あの周期を狙って動いてる隊商もいる。安全に商いをするなら、その方が都合がいいからな」
胸の奥で、棘が、また静かに疼いた。
(獣の周期と、隊商の来訪の時期――前に自衛団の記録で見つけた"空白"と、同じ話をしてるんだ。あれは、ただの偶然じゃなかったのかもしれない)
その日の午後、広場の隅で、隊列の出発準備が本格的に始まった。
護衛たちが荷馬車の点検をする横で、ダレンの父が、隊商の帳簿係の男と次の取引の話を進めていた。周りには、見送りに来た村人たちが何人も集まっている。
「そう急ぐこともないだろう。次の受け渡しは、来月の四日にでもしてもらえば十分だ」
ダレンの父は、周りにも聞こえるような声で、鷹揚にそう言った。集まっていた村人たちから、小さくざわめきが起こる。次の隊商の来訪日が決まる――それだけで、皆にとっては嬉しい知らせらしかった。
僕は、その日付を聞いた瞬間、頭の中で数字が引っかかった。
(来月の四日……それは)
自衛団の詰所に貼られた出動記録、これまで書き足してきた獣の三日間の周期。今月の周期が始まった日から数えると、次の三日間の始まりは、ちょうど来月の三日から五日に当たるはずだった。四日は、その真ん中だ。
「あの、その日って……ちょっと待ってください」
思わず声が出た。近くにいた村人たちが、驚いた顔で僕を見た。ダレンの父も、帳簿係の男も、話を止めてこちらを向く。
「何だ、坊主。話の途中だぞ」
「その四日っていう日、獣の三日間の周期に重なると思います。前回の周期から数えると、ちょうどその頃に当たるはずです」
一瞬、その場が静まった。それから、誰かが小さく笑う声がした。
「子供の当てずっぽうだろう。そんな細かい日にちまで、覚えてるわけがない」
「ノアの言うことは、当てずっぽうじゃないですよ」
声を上げたのは、ダレンだった。
「一応、確かめてみてもいいんじゃないですか。父さん」
ダレンの父は、少し眉をひそめたが、それでも息子の言葉に、隊長格の男へ視線を向けた。
「……確認だけ、してみるか」
隊長格の男は、詰所の記録帳を取りに人をやった。しばらくして、記録帳を手にした男が戻ってくる。ページをめくり、これまでの出動日を指でなぞりながら、その指を止めた。
「……本当だ。前回の周期の始まりから数えると、来月の三日から五日が、次の周期に当たります」
広場に集まっていた村人たちの間に、今度は違う種類のざわめきが広がった。
ダレンの父の顔から、鷹揚な笑みが消えていた。しばらく黙って記録帳を見つめていたが、やがて、周りに聞こえる声で言った。
「……分かった。受け渡しの日取りは、来月の八日に変える。皆、聞いての通りだ」
そして、僕の方に向き直った。
「坊主、よく気づいてくれた。礼を言う」
村人たちの視線が、一斉に僕へ向いた。護衛たちも、隊商の人々も、何が起きたのか分からないまま、こちらを見ている。恥ずかしさよりも、何かが胸の奥で静かに満ちていく感覚の方が強かった。
「すごいな、ノア。名主様に礼を言われるなんて」
カイルが、荷を運ぶ手を止めて駆けてきた。
「地図と記録を見てただけだよ。誰でも分かることだと思う」
「誰でも、じゃないだろ」
ダレンが、そう言って肩をすくめた。
「お前がそう言うから、俺も確かめてみようって言えたんだ。それだけでも、俺の得点だ」
その言い方に、以前のような棘はなかった。むしろ、少し照れているようにも見えた。
出発の準備は、その後も滞りなく進んだ。日程が変わったことに戸惑う様子を見せる者もいたが、それ以上に、境ノ村の子供が隊商の日取りを正すという珍しい出来事の方が、広場の話題になっていた。
夜、荷馬車の並ぶ広場の隅に、ガイルの姿を見つけた。彼は明日の出発に備えて、荷の点検をしていた。月明かりの下、荷馬車の影が長く伸びている。
「今日、自衛団の人から変な話を聞きました」
「変な話?」
「大きな隊商が来るときは、獣の出る時期をなぜか外してることが多いって」
ガイルの手が、一瞬止まった。
「……坊主、それも、また鋭いところに気づいたな」
「知ってるんですか」
「知ってる、というより……そういうものだと長年の経験で分かってる、というだけだ。理由までは、俺にも分からん」
その答えは、はっきりとした否定でも肯定でもなかった。だが、ガイルの目に浮かんだほんのわずかな緊張の色を、僕は見逃さなかった。
「昼間、日取りのこと、指摘したのも見てましたか」
「見てた。名主が、あんな顔をするのは久しぶりに見た」
ガイルは、そう言って初めて小さく笑った。
「坊主、お前のその"勘"は、そのうち面倒事を呼び込むぞ。だが……悪い勘じゃない」
それ以上、ガイルは何も言わず、荷の点検に戻っていった。僕もそれ以上は問わず、その場を離れた。頭の中では、獣の周期と隊商の来訪という二つの離れた事柄が、まだうまく一つの形にならないままぐるぐると回り続けていた。それでも、今日の昼間、村人たちの前で確かに手にした手応えだけは、はっきりと胸に残っていた。
獣の周期と隊商の話が、ここでつながりました。感想いただけると嬉しいです。




