一度来た行商人が、頭領として戻ってきた
朝から、境ノ村は落ち着かない気配に包まれていた。
広場に面した道の向こうから、荷馬車の車輪が立てる音が次々と重なって聞こえてくる。噂に聞いていた「大きな一団」が、ついに姿を見せたのだ。
「来た! 見ろよ、本当にすごい数だ!」
カイルが弾んだ声で、僕の肩を叩いた。
道の先には、荷馬車の隊列がまっすぐこちらへ向かって続いていた。数えるだけでも十を超える台数。荷台には布がかけられ、様々な形の荷が高く積まれている。護衛らしい男たちが、隊列の左右を歩きながら油断のない目で周囲を見ていた。
村人たちは道の両側に集まり、ざわめきながらその光景を見送っていた。子供たちは荷馬車の周りを跳ねるようについて歩き、大人たちは早くも品物への期待を口にしている。
荷馬車が広場に近づくにつれ、車軸の軋む音、馬の蹄が土を踏む音、護衛たちの短い掛け声が重なり合って響いてきた。荷台の隙間から漂う見慣れない香辛料の匂いが、風に混じって広場まで届く。境ノ村では、これほどの規模の隊列を誰も見た経験がなかった。
「あんな大きな隊列、初めて見るな」
リゼが、僕の隣でつぶやいた。
「うん。村がこんなに賑わうの、久しぶりだね」
隊列の先頭を歩く男に、僕は思わず目を留めた。
四十代ほどの、痩せた体つきの男だった。日に焼けた顔、無駄のない歩き方……周囲を確かめるような静かな目つき――どこか見覚えのある佇まいだった。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。
(この人……前に一人で来た行商人と、似てる気がする。あのときの口数の少ない感じと)
先頭の男は、村長フェインの前まで来ると軽く頭を下げた。
「境ノ村には、久しぶりに寄らせてもらう。世話になる」
「ようこそ、お越しくださった。大きな隊列で、村中皆、楽しみにしておりましたよ」
フェインの歓迎の言葉に、男は短く頷くだけで、それ以上余計なことは口にしなかった。品物の搬入、市を開く場所の確認――男は落ち着いた様子で、指示を的確に飛ばしていく。
護衛の一人が、荷馬車から大きな木箱を降ろしながら男に何か短く確認していた。男はそれに指を二本立てて答えるだけで、あとは自分の仕事に戻っていく。無駄な言葉を一切使わない人間だった。フェインが世間話でもしようと近づいても、男は当たり障りのない相槌だけを返し、深い話には踏み込ませない――そんな距離の取り方が妙に手慣れていた。
「あの人が、頭領なんだな」
ダレンが、僕の横に来て言った。
「親父から聞いた話じゃ、かなりの商いをまとめてる人らしい。名前は知らないが、腕は確かだって話だ」
「名前、まだ分からないんだ」
「ああ。名主にも、まだ名乗ってないみたいでな」
カイルが、荷を降ろす作業の合間を縫って僕らのところに駆けてきた。
「見たか、あの荷台! 見たこともない織物とか、金物とか、山ほど積んでるぞ! 自衛団に入ったら、あんな遠くの品物、いつか自分で見に行けるようになるのかな」
「行けるとしても、ずっと先の話だろ」
ダレンがそう言って肩をすくめたが、その口調には以前ほどの見下したような響きはなかった。カイルは気にする様子もなく、また荷台の方へ駆けていく。
市の準備が進む間、僕はその男の様子を少し離れたところから、それとなく観察していた。物腰は落ち着いていて、無駄な言葉を使わない。荷を運ぶ護衛たちへの指示も、短く的確だった。
(この静かな感じ……前に来た、あの行商人と同じ匂いがする)
僕は荷の積み下ろしを手伝う人手に交じって、少しずつその男に近づいていった。
「積み荷、こちらに置いていいですか」
「ああ、そこでいい」
短く返ってきた声。低く、抑えた響き。近くで聞いたその声に、僕はますます確信を強めた。声の高さも、間の取り方も、覚えている感覚と一つも違わない。
(間違いない。この声も、話し方も――前に僕が気づいたことで急に予定を切り上げて帰ってしまった、あの人だ)
作業の手を止めた瞬間、男の視線がこちらへ向いた。
一瞬だけ、目が合った。
その目の奥に、僕は確かに覚えのある色を見た。それは、ただの通りすがりの子供を見る目ではなかった。何かを思い出すような、そして少しだけ警戒するような――そんな色が、確かにそこにあった。
男は何も言わずに、視線をすぐに逸らした。だが、その一瞬の間に交わった気配は、僕の中にはっきりと残っていた。
それから男は、何事もなかったように護衛たちへの指示に戻っていった。周りの誰も、その一瞬のやり取りに気づいた様子はなかった。僕だけが、その場に立ち尽くしたまましばらく動けなかった。
広場では、荷が次々と下ろされ、市を開くための台が組まれていく。村人たちの浮き立った声が、あちこちから聞こえてくる。その賑わいの中で、僕の胸だけがまだ静かにざわついていた。
日が傾く頃には、広場一面に露店が立ち並んでいた。見慣れない織物や陶器、遠い土地の菓子らしきものまで、所狭しと並べられている。子供たちは、それを眺めるだけで嬉しそうに声を上げ、大人たちは値を交渉する声で賑わっていた。境ノ村が、これほど遠くの気配で満たされる日はそう多くはなかった。
夕方、市の準備が一段落したところで、リゼが僕のところへ来た。
「どうしたの? さっきから、頭領の人のこと、ずっと見てたよね」
「うん……あの人、前に一人で来た行商人と、同じ人だと思う」
「え、本当に?」
「確信はまだない。でも、話し方も、目つきも、全部覚えてる感じがする」
リゼは、少し考え込むような顔をした。
「もし本当にそうなら……あの人、前回、何かに気づいて、急に帰っちゃったんだよね」
「うん。あのときのこと、今度は、ちゃんと聞けるかもしれない」
「でも、無理に聞き出そうとして、また急に帰られちゃったら、元も子もないよね」
「うん……それは、僕も分かってる。今度は、慌てずにいこうと思う」
リゼは、僕の顔をしばらく見つめてから、小さく笑った。
「ノアがそういう顔をしてるとき、なんだかこっちも落ち着かなくなるな」
「そんな顔してる?」
「うん。何か、確かめたくて仕方ない、っていう顔」
僕はそう言いながら、頭の中で市の向こうに立つ男の姿を、もう一度思い浮かべた。
その視線が一瞬だけ僕を見て、また逸らされた瞬間の感覚が、まだ胸の奥に残っている。あの目は、確かに何かを覚えていた――それが何なのか、まだ分からない。だが、この隊列が村を去る前に、必ず確かめたいと思った。
隊商がついに到着しました。読んでいただきありがとうございます。




