大きな一団
「大きな行商団が、こっちに向かってるらしいぞ!」
広場で自衛団の男がそう告げると、村中が一気にざわめいた。オーレンの巡回の話は、それ以上深く探れないまま日々の中に埋もれていたところに、この思いがけない知らせが飛び込んできたのだった。セルマの硬い声だけが、まだ耳の奥に残っていたが、今はこの知らせの方が村中の話題を奪っていた。
「大きいって、どれくらい大きいんだ」
「聞いた話じゃ、荷馬車が十台以上、隊列を組んで来るらしい。こんな小さな村に、そんな大所帯が来るのは何年ぶりだろうな」
その知らせは、あっという間に村中に広まった。
「行商団! すごいな、俺、そんなに大きな隊列、見たことないぞ」
カイルが、目を輝かせて僕のところへ駆けてきた。
「宿屋も、市の場所も、もう準備を始めてるらしいぞ。俺、荷運びの手伝いに呼ばれるかもしれないんだ」
「呼ばれたら、良い品を見せてもらえるかもしれないね」
「そうなんだよ! 見たこともない道具とか、あるかもしれないだろ」
井戸端でも、行商団の噂はしばらく途切れなかった。リゼが桶を運ぶ手を止め、僕のところへ小走りにやってきた。
「ノアも聞いた? すごい隊列なんだって」
「うん、今朝カイルにも聞いた」
「こんな大きな隊列を見るの、初めてかもしれない。少し楽しみだな」
リゼの声は、いつもより高く弾んでいた。その明るさに、僕もつい頷いた。
朝食の席で、僕はセルマにもその話をしてみた。
「セルマ、大きな行商団が来るって、知ってた?」
セルマは、鍋をかき混ぜる手を止めずに答えた。
「ああ、聞いたよ。ずいぶん大所帯だそうだね」
「楽しみじゃない? こんな大きな隊列、初めてかもしれないし」
「そうだね。楽しみにしてる人も多いだろうさ」
セルマの声には、他の村人たちのような浮き立った響きがなかった。むしろ、どこか身構えるような静かな硬さがあった。それ以上は、話を切り上げるように朝食の準備に戻っていく。その背中に、僕はほんの一瞬、これまでにも何度か感じたことのあるあの硬さを覚えた。
広場のあちこちで村人たちが、隊列の到着を心待ちにするように忙しく準備を始めていた。宿の空き部屋を整えたり、市を開くための場所を掃除したり、境ノ村がこんなに賑わうのは久しぶりのことだった。荷を積む台を運ぶ男たちの声、掃き掃除をする箒の音、子供たちの浮き立った笑い声が、いつもより広場に長く響いていた。
その様子を眺めながら、僕は、少し離れたところにいたダレンに話を振ってみた。
「ダレンは、行商団のこと、聞いた?」
「ああ、聞いた。名主一族のところにも、事前にリストまで届いてるらしい。かなり大がかりな取引になりそうだって、親父が言ってた」
「事前にリストまで届くんだ」
「そういうもんだろ。大きな商いなら、村の側も受け入れの準備をしなきゃならないからな。品を置く場所も、宿の空き部屋も、先に決めておかないと後で揉めるらしい」
「その一団、前にも来たことがあるって話、聞いてる?」
「ああ、井戸端で聞いた。前に来た頭領と同じらしいって話も出てるみたいだな」
ダレンはそう言って、少し得意げに肩をすくめた。名主一族の息子らしい情報通ぶりが、以前よりは鼻につかない形で出てきている気がした。
それでも、荷馬車十台以上という規模の隊列が、そんなに正確な予定で来られるものなのか――ふと、そんな小さな疑問が頭をよぎった。旅の途中には、天候も、道の状態も、色々あるはずなのに。荷馬車がそれだけの数になれば、川が増水しても、車輪が一台でも壊れても、予定はずれるはずだった。
「なあ、ダレン。名主一族に届いたっていうそのリスト、到着の予定日まで書いてあるのか」
「ああ、書いてあったはずだ。確か、あと五日後だったか」
僕は、頭の中でその数字を繰り返した。荷馬車十台以上の隊列が、天候も道の状態も度外視したような正確さで、ぴたり五日後に着くと言い切れる――それこそが、さっき感じた小さな疑問の中心だった。オーレンの巡回も、あの名なしの視察の客も、この村に関わるものは決まって、狂いのない歩幅で動いている。
「五日後で、間違いない?」
「そう聞いてる。何だよ、急に日数なんて」
「ちょっと確かめたかっただけ」
ダレンは、しばらく考え込むような顔をした。
「お前と話してると、いつも、こっちまで妙な気分になるな。まあ、来てみれば、はっきりするだろ」
「うん。来てみれば分かるよね」
夕方、リゼと二人で隊列を迎える準備で賑わう広場を歩いた。露店の骨組みを組む男たちの手元を、リゼは足を止めてしばらく眺めていた。
「なんだか村中が浮き立ってるね。ノアは、この一団のこと、どう思う?」
「分からない。でも、前にも来たことがある一団らしいって話を聞いて、少し気になってる。それに、五日後っていう到着予定が、あまりに正確すぎる気もして」
「ノアがそう言うときって、大抵当たってるんだよね」
リゼはそう言って、小さく笑った。その笑い方には、以前のような不安げな響きよりも、どこか楽しみにしているような明るい色が混じっていた。
家に戻ってから、僕は地図を挟んでいる紙の余白に、「五日後」という文字と、今日の日付を書き込んだ。獣の周期や巡回の間隔と同じように、この予定日が本当に狂いなく当たるのか、記録として残しておきたかった。もし五日後に本当に隊列が着くなら、この村に関わる歩幅は、天候や道の状態にも左右されない、何か別の理由で決まっているということになる。
翌日から、村は隊列を迎える準備に、さらに本腰を入れ始めた。市を開くための場所には木の台がいくつも組まれ、宿の周りには荷馬車を停めるための空き地が整えられていく。子供たちは、その様子を見るだけで、はしゃぎ回っていた。
紙の余白に並んだ「五日後」の文字を見つめていると、これまで書き足してきた獣の周期や巡回の間隔の記録が、頭の中で一枚の帳面のように重なって見えた。塩の配給、聖具、祝詞、巡回、そして今度は隊商の予定日――どれも、村の暮らしのほんの一部でしかないはずのものが、いつも同じ狂いのなさで動いている。それが偶然の積み重ねだとは、もう思えなかった。
僕は書き込んだ紙をもう一度確かめ、五日後のその日を、静かに待つことにした。
その翌朝、井戸端に向かおうとしたところで、自衛団の男が家の前に立っていた。名を知っているだけの、村でもそう目立たない一人だったが、こちらを見る目つきに、これまで感じたことのない硬さがあった。
「ノア、ちょっといいか」
「はい。何かありましたか」
「大した話じゃない。ただ、行商団の到着日について、あちこちで聞き回ってるそうじゃないか」
心臓が、一瞬跳ねた。ダレンに聞いたのは、ただの立ち話のつもりだった。それが、こんな早さで自衛団の耳にまで届いているとは思わなかった。
「ダレンに、ちょっと聞いただけです。荷馬車がそんなに正確な日に着くのが、不思議だったので」
「不思議、か」
男は少し笑ったが、その笑い方には温度がなかった。
「子供の疑問だって、笑って済ませられればいいんだが。名主の家からも、気にした様子で話が回ってきてる。あんまり、余計な疑いを村に広めるような言い方はしない方がいいぞ」
「疑いを広めたつもりはありません。ただ、気になったから聞いただけです」
「そうか。なら、それでいい」
男はそう言って踵を返したが、去り際にもう一度こちらを振り返った。
「これからは、お前のことも、少し気にかけておくことにするよ。悪気があって言ってるわけじゃない。分かってくれ」
その言葉は、表向きは親切そうな響きをしていたが、僕の胸には、これまでとは違う重さで残った。「気にかけておく」というのが、ただの心配ではないことは、その目の色を見れば分かった。
家に戻ると、セルマがちょうど戸口に立っていて、今の様子を見ていたらしかった。
「何を言われたんだい」
「行商団の到着日のこと、聞き回ってるのを注意されただけ」
セルマの顔から、一瞬で色が消えた。
「お前、そんなことまで聞いてたのか」
「ただ、正確すぎる気がして、ダレンに聞いただけだよ」
「ノア」
セルマの声が、これまでに聞いたことのないほど低くなった。
「頼むから、これ以上は、その手の話に近づかないでおくれ。お前が思ってるより、この村は――」
セルマはそこで言葉を止め、それ以上は続けなかった。何かを言いかけて、慌てて呑み込んだような止め方だった。
「セルマ、この村は、何なの」
「何でもないよ。ただの、老人の心配だ」
セルマはそう言って、逃げるように家の中へ戻っていった。その背中に、僕はこれまでで一番強い、言葉にならない不安を覚えた。
自衛団の男の視線と、セルマの止めた言葉。二つが、頭の中で重なって離れなかった。ただ疑問を口にしただけで、これほどの反応が返ってくる場所――境ノ村は、いつからそんな場所になっていたのだろう。
五日後、その隊列が着くその日まで、もう迂闊に誰かへ疑問を口にすることはできない。そう思いながら、僕は紙に書いた「五日後」の文字を、そっと指でなぞった。
外の世界がいよいよ絡んできます。よろしければブックマークをお願いします。




