獣の骨を砥石と並べて確かめる
「今月も、ちゃんと三日で収まったな」
自衛団の若い男が、討伐を終えた獣を運びながらそう言って笑った。月に一度、決まった三日間だけ現れるという、あの規則性――僕がずっと前から、こっそり地図に書き込んできたものだ。今回も、その型を外れることはなかったらしい。
旅芸人の一団が去ってから、もう数日が経っている。あの語り手が残した「もう誰も語らせてくれない場所」という一言は、まだ僕の中で輪郭を持たないまま漂っていたが、村の暮らしはいつも通りの調子に戻っていた。引き出しの奥には、裏山の石も、井戸で見た光の記憶も、古木の帯の刻印を書き写した紙も、静かに積み重なったままだった。
討伐された獣の後片付けを、僕とカイルは手伝うことになった。境ノ村では、大きな討伐のあとは村の男手が総出で片付けにあたる習わしがある。
「うわ、こいつ、思ったより大きいな」
カイルが、横たわった獣を覗き込んで顔をしかめた。灰色の毛皮に覆われた、大型の獣だった。動かなくなってしまえば、ただの大きな獣の骸にしか見えない。
僕とカイルは、解体役の男たちに割り振られて、脚を押さえて固定する役目を任された。革の手袋越しに獣の脚を押さえていると、まだ生き物だった熱の名残が、じんわりと手のひらに伝わってくる。刃を入れる音、皮を剥ぐ音――そのどれも、初めて手伝った頃は目を逸らしていたはずのものだった。今は、カイルも僕も、黙って自分の持ち場をこなしている。
自衛団の解体作業を見ているうち、僕は獣の体内から取り出された白っぽい棒状のものに目を留めた。
「それは何ですか」
近くにいた解体役の男に聞くと、彼は無造作にそれを僕に渡した。
「骨みたいなもんだよ。丈夫だから、砥石代わりに使う家もあるくらいだ。珍しいもんじゃない」
受け取ったそれは、ひんやりと重かった。表面を指でなぞると、思ったよりも滑らかで硬い。
喉の奥が、じわりと冷たくなった。
(骨、か。でも、骨ってこんなに断面が均一になるものなんだろうか。生き物の骨なら、もっと繊維みたいな筋があちこちに走ってるはずなのに)
僕はその場を離れ、切断された断面を日の光にかざしてみた。カイルも作業の手を止め、横から覗き込んでくる。
見れば見るほど、断面はきれいに整っていた。年輪のような層もなく、ひび割れのような不規則さもない。まるで、一枚の板をまっすぐ切り出したような滑らかさだった。角度を変えて何度もかざし、指の腹で断面の縁をなぞってみたが、どこにも欠けや歪みは見つからなかった。
「なあ、これ、切ったときからこんな感じだった?」
カイルにそう聞くと、彼は肩をすくめた。
「知らねえよ。骨なんて、どれも似たようなもんだろ」
「似たようなもので片付けていい断面かな。生き物の骨って、もっとでこぼこしてるものだと思うんだけど」
「お前はまた、細かいこと言い出したな……。まあ、いつものことか」
(もしこれが本当に骨じゃなくて、砥石と同じ材質でできているなら、叩いた音まで石に近いはずだ)
「なあ、それ、ちょっと叩いてみてくれないか。骨なら乾いた軽い音がするはずだけど、石に近いものなら、もっと硬い音がすると思う」
カイルは半分呆れた顔をしながらも、それ以上は突っかからず、自分の解体道具の柄で断面をこつこつと叩いてみせた。硬く、澄んだ音が響いた。
「……本当に石みたいな音だな。骨にしては硬すぎる」
「思ってた通りだ。裏山にあるような硬い石を叩いたときの音に近い。ただの骨なら、こんな音はしないと思う」
そこへ、片付けの様子を見に来たらしいダレンが、僕の手元を覗き込んできた。
「何やってんだ、そんなもの拾って」
「獣の骨の断面、ちょっと気になって」
「お前がそう言うときは、大抵面倒なことになってるやつだよな」
ダレンはそう言いながらも、僕の手元をしばらく見つめていた。
「……確かに、妙に綺麗な切れ方だな。俺も、討伐の後片付けは何度か見てきたが、こんな断面、あまり見た覚えがない」
「ダレンも、そう思う?」
「思うだけだ。それ以上のことは分からん」
ダレンはそう言って、それ以上は関わろうとせず自衛団の後片付けの方へ戻っていった。それでも、以前のように「気にするな」の一言で切り上げなかったことに、僕は小さな変化を感じた。
「なあ、ノア」
数歩進んだところで、ダレンがふと足を止め、振り返った。
「何か分かったら、ちゃんと教えろよ。俺も、名主一族の端くれとして知っておくべきことかもしれないからな」
「分かったら、伝える」
「約束だぞ」
そう言い残して、ダレンは今度こそ村の男たちの輪の中へ戻っていった。
僕はその骨の欠片を、こっそり持ち帰ることにした。
家に戻ってから、引き出しの奥にしまってあった砥石を取り出し、並べて比べてみる。
砥石の表面は長年使われてきた道具らしく、角が丸く、艶がある。骨の断面も、よく見ると同じような艶を帯びていた。二つを重ねて、光の下でゆっくり傾けてみる。反射する光の筋が、同じ角度で、同じ強さで走った。片方だけを傾けても、もう一方だけを動かしても、その一致は崩れなかった。
(この艶。砥石と、まったく同じだ。同じ材質でできているとしか思えない。獣の骨と村の道具が、同じもので作られているなんてあり得るはずがないのに)
僕はしばらくその二つを見比べたまま動けなかった。
裏山で見つけた石の溝、古木に巻きついた金属の帯、そしてこの骨の艶――どれも村の外から来たとしか思えない質感を持っている。それなのに、こうして獣の体の中にまで同じ手触りのものが埋め込まれているとは、思いもしなかった。
僕は引き出しの奥から、これまで書き写してきた刻印の写しを取り出し、骨の断面と並べてみた。線の並び方までは一致しない。それでも、質感だけは確かに同じ手が作ったものだと、指先が教えてくれる気がした。
(生きているはずの獣と、道具として使われる砥石。まったく別のものだと思っていたのに、その根っこにあるものは同じらしい。だとすれば、獣そのものが、最初から誰かの手で用意されたものだった、ということになる)
風が窓の隙間から吹き込んで、乾いた匂いをほんの一瞬だけ運んできた。鉄と砂が混じったような、あの匂い。境の柵の外で、いつか見た荒野の景色が、ふっと瞼の裏に浮かんだ。すぐに消える。だが、その残像はいつもより少しだけはっきりしていた気がした。
机の上の骨と砥石を、もう一度並べ直す。この手触りだけは、確かに本物だった。
獣の体の中にまで、同じ艶を持つものが眠っている。だとすれば、あの獣たちは本当に「星の意志が生む試練」なんてものなのだろうか。それとも、もっと別の――誰かの手で作られたものなのだろうか。
僕はその骨の欠片を布に包み、裏山の帯の写しと同じ引き出しにしまった。裏山の帯には、まだ欠片を取り出せていない。それでも、いつか手に入れるはずの帯の欠片と、この骨を並べれば、同じ艶を持つかどうか確かめられる。刻印の線と、この骨の断面と――手元に集めた証拠を、いつか同じ場所に並べる日が来る。答えはまだ出ないが、並べて比べられるものが、また一つ増えた。
地味な小道具でしたが、今後にちょっと関わってきます。




