墓のない家族
朝早く、まだ人通りの少ない道を、荷物を抱えた一家が足早に歩いていくのが見えた。隣の区の木工職人の一家だった。毎年この時期になると決まって数日間、村を離れる。今年も、家族総出で荷物をまとめ、朝早く出かけていくのを、薪運びの途中に見かけた。
「あの家、今年もお参りか」
井戸端で、女たちがそんな話をしていた。
「祖父母の墓参りだって話だよね。毎年、律儀なもんだ」
「どこの墓なんだろうね。この辺じゃ、あんな遠くまで墓参りする家、あそこだけだけど」
誰も、その答えを知らなかった。誰も、それ以上気にしていなかった。
背筋の産毛がざわりと立った。
(毎年、決まった時期に、家族全員で村を離れる。それなのに、墓がどこにあるのか、誰も知らない。近所付き合いのある家なら、普通、何となく話に出るはずなのに)
「前に旅の人に道を聞いたことあるけど、あの家が行く方向って境の柵とは逆だよね。だから墓とは思えないんだけどさ」
この別の女の一言に、僕は思わず耳を傾けた。
誰も、実際の道順を知らない。でも、墓参りと言いながら方向の話が食い違っているという小さな矛盾だけは確かにあった。
井戸端を離れる途中、リゼと顔を合わせた。
「あの自衛団の人、本当に報告したのかな」
僕がそう言うと、リゼは少し首をかしげた。
「どうだろう。でも、あれから何も起きてないし。少しは安心してもいいんじゃない?」
「そうだね。何も見つからないなら、それでいいんだけど」
リゼの一言に、僕は少しだけ肩の力を抜いた。それでも、頭の隅では、あの男の硬い視線がまだ残っていた。
あの日、自衛団の男が口にした「報告しておく」という言葉は、それからしばらく頭から離れなかった。何日か経っても、村の様子に変わったことはない。オーレンが特別に訪ねてくることもなく、村長フェインに呼び出されることもない。それでも、どこかで見られているような感覚だけが、ずっと胸の奥に残っていた。
頭の奥で、小さな疑問符が浮かんだ。
(墓参りと言いながら行く方向さえ話が一貫していない。それでも誰も深く考えない。墓参りという言葉だけで実際の行き先が隠されているとしたら)
数日後、その一家が村に戻ってきた。
そこで、僕はひとつのことに気づいた。あの家は、毎年同じ日付に出発し、毎年同じ日付に戻ってくる。旅の長さも、一日の違いもないらしい。
隣にいたカイルにも、そのことを話してみた。
「そういえば、あの家、毎年ぴったり同じ日数で戻ってくるよな」
「ああ、律儀な家だって話だろ。それだけだと思うけどな」
「律儀っていうより、決まりすぎてる気がするんだ。人が旅する日数って、普通は少しずつ違うものだと思うから」
カイルは肩をすくめた。
「お前、また細かいこと言い出したな。まあ、いつものことか」
(本当に墓参りだとしたら、墓の場所は遠いはずなのに日数だけは毎年ぴったり同じなんて、できすぎていないだろうか)
僕は、たまたま用事でその家の前を通りかかった。荷物を運び込む家族の様子を、少しの間、眺めていた。
いつもなら、旅の疲れを軽い世間話に紛らわせるものだ。だが、その一家は、誰も口を開かなかった。父親はまるで何かを堪えるような表情で荷を下ろし、母親は俯いたまま家の中に入っていく。
「――お帰り」
近所の人が声をかけても、返ってくるのはぎこちない笑みと短い相槌だけだった。
背筋に、冷たいものが伝った。
(墓参りから帰った家族が、これほど無口になるものだろうか。悲しみというより、もっと別の何かに押し黙っているような静けさに見える)
僕はその日の夕方、家の裏手で薪を割っているところに出くわした、あの家の末っ子――まだ小さな男の子に、そっと声をかけた。
「墓参り、遠かった?」
男の子は、少し驚いた顔をして、薪割りの手を止めた。
「うん……。すごく歩いた」
「どんなところだった?」
「わかんない。着いたら、暗くなってたから」
「お墓、大きかった?」
男の子は、少し困ったような顔をした。
「よく見えなかった。父さんも母さんも、何も言わないから、僕もあんまり聞かないようにしてる」
そう言ったあと、男の子は、ふと僕の顔を見上げた。
「……ねえ、ノアくんって、疑い病って言われてるんだよね」
「うん、そう言われてる」
「向こうでも、同じこと言われるよ。『疑うな』って、何度も。ここより、もっとたくさん言われる」
その一言に、僕は思わず言葉を失った。
「向こう、って?」
男の子はそこで、はっと何かに気づいたような顔をして、慌てて口を押さえた。
「……なんでもない。父さんに言われてるから、もう話しちゃいけないんだ」
そう言うと、男の子は薪を抱え直し、逃げるように家の中へ入っていった。
僕はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
「向こうでも、同じこと言われる」――その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
その夜、薪を届けるついでに、もう一度あの家の前を通りかかった。
灯りのついた窓の向こうから、低い話し声が漏れていた。中を覗くつもりはなかったが、思わず足が止まる。
「あの場所には、もう二度と連れて行きたくない」
父親の声だった。いつも村の男たちと話すときの、落ち着いた声じゃない。震えを押し殺すような、低い声だった。
「そんなこと言っても……。決まりなんだから」
母親の声がそれに応えた。怯えているというより、すがるような頼りない声だった。
僕はそれ以上聞いていられず、そっとその場を離れた。
墓参りと言いながら、あの家族は本当に何を見て、何をさせられて帰ってきたんだろう。
あの家族は何かを持ち帰ってきたんじゃないか。それとも、何かを置いてきたんじゃないか。
答えはまだどこにもなかった。それでも、あの震える声だけは、いつまでも耳の奥に残って消えなかった。
外への広がりを感じる回でした。気になった方は、感想で聞かせていただけると嬉しいです。




