「聞くな、話すな」は村の外でも掟だった
「行商人が来たぞ! 布と、干した果物を持ってきてるって」
広場で、子供たちが騒いでいた。境ノ村を訪れる行商人は、年に数えるほどしかいない。荷馬車の周りには、すぐに人が集まっていた。
倉の木箱のことは、まだ誰にも話していなかった。あの印が何を意味するのか、確かめる手段は、今の僕にはまだなかった。それでも、この賑わいの中では、しばらく忘れていられそうだった。
僕もカイルと一緒に、その様子を見に行った。少し遅れて、リゼも駆けつけてくる。
「わあ、こんな色の布、見たことない」
リゼは、荷台に並んだ品物に目を輝かせていた。染めの色も、織り方も、村では見ないものばかりだった。
「へえ、珍しいもんばっかりだな」
カイルは荷台に積まれた品物を、目を輝かせて眺めていた。行商人は、四十代くらいの男で、日に焼けた顔に、旅慣れた落ち着きを持っていた。
「これは灯の谷の向こう、別の集落で織られた布だよ。こっちの果物は、もっと南から」
行商人はそう言って、次々と品物の説明をしていく。村人たちは、聞いたこともない地名に、興味深そうに耳を傾けていた。
僕は少し離れたところから、その様子を眺めていた。
「南の方の暮らしって、どんな感じなんですか」
ふと気になって、僕は行商人に声をかけてみた。
「まあ、似たようなもんだよ。どこも星の恵みで暮らしてる。特別変わったことはないさ」
「境の外の話とか、聞いたことありますか」
その瞬間、行商人の表情が、わずかに硬くなった。
「――外の話なんて、するもんじゃないよ、坊主。俺も、そういうことは聞くな、話すなって、小さい頃からずっと言われて育った」
言い方は軽かったが、その口ぶりには、慣れた身のこなしのような、妙な滑らかさがあった。まるで、何百回も同じ返事をしてきたかのような。
喉の奥が、ひやりとした。
(「聞くな、話すな」って、そんなふうに教わって育ったって……。それって、境ノ村だけの決まりじゃないってことじゃないか)
「小さい頃からって……。この村と同じことを、あなたの村でも教わったんですか」
「同じ、っていうか……。まあ、そういう決まりは、どこにでもあるもんだろ」
行商人はそう言って、それ以上は答えず、次の客に品物を勧め始めた。
その日の夕方、僕は行商人が広場の隅に停めた荷馬車の周りを、もう一度うろついてみた。荷台の隅に、交易の記録らしい帳簿が置かれていた。
「あの、この記録、少しだけ見せてもらえますか。どんな村を回ってきたのか、興味があって」
「別にかまわないよ。見て面白いもんでもないけどな」
行商人はそう言って、帳簿を貸してくれた。
ページをめくると、これまで訪れた村や集落の名前が、日付とともに並んでいた。灯の谷周辺だけでなく、さらに遠い地域の名前も見える。
僕は、それぞれの村の欄に書かれた短い注記に目を留めた。
「境の話、禁忌強し」「外の話題、避けるべし」「同様の風習あり」
同じような言葉が、行商人が訪れたほとんどの村の欄に、繰り返し書き込まれていた。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。片目が、勝手に細くなる。
(これは、境ノ村だけの特別な決まりじゃない。もっと広い範囲で、同じ禁忌が守られてるんだ。誰かが、この広さ全体に、同じ「疑うな」を敷いているとしたら)
ページをさらにめくると、注記の無い村もいくつかあった。その中に含まれる村を、僕は心の中で数えてみた。五つ、六つ……十を超えたところで、数えるのをやめた。注記のある村の方が、明らかに少数派だった。
「この帳簿、村ごとに、似たような注記がついてますね。どこも、外の話を避けるみたいで」
僕がそう言うと、行商人は、僕の手から帳簿をさっと取り上げた。
「……お前、変わったことを気にする子だな」
その声には、さっきまでの軽さがなかった。
「別に深い意味はないですよ。ただ、気になって」
「気にしない方がいい。俺たちは、決まった場所を回って、決まった話をして、決まった品物を渡すだけだ。それだけでいいんだ」
行商人はそう言って、帳簿を荷台の奥にしまい込んだ。
その夜、村の宿に泊まる予定だったはずの行商人は、予定を切り上げ、日が暮れる前に村を去っていった。
「変だよなあ、あの行商人。もう一晩泊まるって話だったのに」
カイルが不思議そうに言うのを、僕はただ黙って聞いていた。
荷馬車が村の入り口を抜けていくのを、リゼも並んで見送っていた。
「なんだか逃げるみたいだったね」
「うん。僕が帳簿を見せてもらったあとから、様子が変わった」
「帳簿に、何が書いてあったの?」
「境の外の話を避けろって注記が、行った先のほとんどの村についてた。境ノ村だけじゃなかったんだ」
リゼは、しばらく黙って荷馬車の消えた方向を見つめていた。
「……それって、思ってたより、大きい話なのかもしれないね」
「うん。僕もそう思う」
家に戻ってから、僕は帳簿で見た村の名前を、いくつか思い出しながら紙に書き出した。境ノ村、そしてその向こうに広がる、僕の知らない名前の集落たち。
もし、それらすべての場所で、同じように「外の話をするな」と教えられているなら――この違和感は、境ノ村という一つの村の問題ではないということになる。
セルマが繰り返す「疑うな」という言葉も、村長フェインの「知らぬが仏」という言葉も、もっと広い場所で、同じように語られているのかもしれない。
その日の夜、夕食の席で、僕はセルマに聞いてみた。
「セルマ、灯の谷の向こうにも、いくつか村があるんだよね」
「あるだろうね。行ったことはないけど」
「そこの人たちも、この村と同じようなことを教わって育つと思う?」
セルマは、一瞬だけ手を止めた。それから、いつもより静かな声で答えた。
「……さあね。どこも似たようなものだろう。それより、早くお食べ」
その言い方には、答えを知っているというよりは、答えを知りたくない、という響きがあった。
境ノ村の外にも、同じ「疑うな」を抱えた場所がいくつも広がっているらしい。
もし村の外に出ることがあったら、僕は「疑う側」と「疑うなと教える側」、どちらに立っているんだろう。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。気になった方は、評価でそっと教えていただけると嬉しいです。




