塩の分け方
共同炊事場の裏で、配給の塩を袋詰めする手伝いをしながら、僕はまだ、昨夜見た詰所の硬い光のことを考えていた。オーレンの視線が、本当に僕の方を向いていたのか。それとも、僕が勝手にそう思い込んでいるだけなのか。答えは、まだ出ていない。
境ノ村では、月に一度、各家庭に決まった量の塩が配られる。今日はちょうど、その配給の日だった。
袋の重さが、どれも見事に揃っている。
「これ、家族の人数によって量は変わらないんですか」
隣で作業していた年配の女に聞くと、彼女は不思議そうな顔をした。
「変わらないよ。昔から、一律だもの」
「大家族でも、一人暮らしでも、同じ量ってことですか」
「そうだよ。星の恵みは、誰にも平等に与えられるものだからね」
その言葉に、誰も引っかかっている様子はなかった。当たり前のことのように頷きながら、次々と塩を袋に詰めていく。
手の中の袋の重さが、急に気になり始めた。
(平等っていうのは、聞こえはいいけど……。人数も暮らしの事情も違うのに、量だけぴったり同じなんて、誰かがきっちり計って決めてるはずだ。それを、誰が決めてるんだろう)
「じゃあ、この塩の量は、誰が最初に決めたんですか」
「さあ……。気づいたときには、もう決まってたよ。ずっと前からの、決まりだから」
女はそう言って、それ以上は考える様子もなく、次の作業に移っていった。
きっと、炊事場の世話役たちが、それぞれの目分量で決めてるんだろう。そう思いながら、僕はもう一度、その女に聞いてみた。
「これ、ここの世話役の方たちが、その場で計ってるんですか」
女は、意外そうな顔をして笑った。
「まさか。うちらは、届いたものをそのまま配るだけだよ。決めてるのは、もっと別のところさ」
僕の見立ては、あっさり外れた。この場で計られているのではなく、どこか別の場所で、あらかじめ決められた量が届いているらしい。
僕は念のため、炊事場の柱に貼られた配り先の名簿にも目を通してみた。村の家がひとつずつ、几帳面な字で書き並べられている。袋の数と、名簿の家の数は、ぴったり一致していた。多すぎることも、少なすぎることもない。
だが、名簿の一番下の欄だけ、他よりずっと古い墨の色をしていた。「井戸端の家」――そこに記された人数は、「一」のままだった。
「これ、井戸端のおばあさんの家、まだ一人暮らしの計算になってますけど」
年配の女に聞くと、彼女は少し考え込んでから、はっとした顔になった。
「……ああ、そうだ。あそこ、去年の冬から姪の家族が越してきて、今は四人だよ。名簿、直してなかったのか」
「今日の分、このままだと、一人分しか届かないことになりますよね」
「本当だ。すぐ直さないと、荷車が出ちまう」
女は慌てて棚から袋をもう一つ取り、名簿の数字を書き直した。僕もその場で、追加の袋を荷台に運ぶのを手伝った。荷車が動き出す寸前、ぎりぎりで積み込まれるのを見届けて、僕はほっと息をついた。
(見た目だけは完璧に揃っていた。でも、その完璧さは、誰かの暮らしが変わったことまでは、追いかけてくれないんだ)
作業の途中、荷運びに来ていたカイルと顔を合わせた。
「よう、ノア。手伝いか」
「うん。カイルは、この塩がどこから来るか知ってる?」
「どこから? そんなの、名主様のところからだろ。決まってるじゃないか」
「量は、誰が決めてるんだと思う」
「知らねえよ、そんなの。塩が来て、みんなに配られる。それでいいだろ」
カイルはあっさりそう言って、次の荷を担ぎ直した。彼にとっては、疑うべきことではなく、ただ受け取るべきことだった。
僕はその日の午後、配給される塩がどこから来るのかを、こっそり辿ってみることにした。
塩を運んでくる荷車を目で追うと、それは村の広場を抜けて、名主一族の大きな倉の前で止まった。
倉の扉が開き、中から、同じ形の木箱がいくつも運び出されてくる。箱の側面には、見覚えのない印が刻まれていた。
「ここが、配給の元なんだ……」
僕は倉の裏手に回り、扉の隙間から、中の様子を窺った。
薄暗い倉の中には、同じ大きさ、同じ形の木箱が、規則正しく何列にも積み上げられていた。まるで、誰かが一つの型に沿って、延々と同じものを作り続けているかのような並び方だった。
背筋に、冷たいものが伝った。
(これは、村の誰かが目分量で決めてる量じゃない。誰かが、最初からきっちり計算して、決まった数だけ用意してるんだ。名主一族の倉が――ただの倉じゃなくて、村の何かを管理してる場所だったとしたら)
積み上げられた箱の一番手前に、ひとつだけ蓋が半分開いたものがあった。中を覗くと、白い塩の粒が、きっちりと同じ高さまで詰められている。まるで、器で量ったのではなく、決まった形の型に流し込んでできたような揃い方だった。
そのとき、倉の奥から足音が聞こえた。僕はとっさに扉から離れ、積み上げられた薪の陰にしゃがみ込んだ。足音は扉のすぐ内側まで近づき、しばらく止まった。息を潜めていると、やがて足音は倉の奥へ戻っていく。僕はほっと息をついて、何もなかったように、その場を離れた。
夕方、リゼと井戸端で会った。
「ノア、今日は配給の手伝いだったんだよね。どうだった?」
「うん……。塩の量が、家族の人数に関係なく、いつも一律なんだ。それが少し引っかかって」
「一律って、公平ってことじゃないの」
「公平っていうより、決まりすぎてるっていうか。誰かが、細かく計算して決めてる感じがするんだ」
リゼは少し首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。
「ノアがそう思うなら、何か理由があるんだろうね」
そう言って、彼女は小さく笑った。その笑い方に、以前より少しだけ、僕の言葉を疑わずに受け止める余裕が増えている気がした。
別れ際、広場の方からダレンが歩いてくるのが見えた。
「おい、ノア。塩の配給、何か気になることでもあったのか」
「別にたいしたことじゃないよ」
「たいしたことじゃないって顔、してないけどな。……まあいい。何か分かったら、俺にも教えろよ。名主一族のことなら、俺の耳にも入れておいた方がいいはずだ」
ダレンはそう言って、少し得意げに胸を張った。言葉の合間に、ちらりと僕の顔を窺うような素振りが混じっていた。
「分かったら、伝えるよ」
家に戻ってから、僕は倉で見た木箱の並びを、何度も思い出していた。
井戸端の家には、今日のうちに袋が届いたはずだ。ぎりぎりで直った名簿のことを思うと、少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。疑うことは、誰かを困らせるだけじゃない。ちゃんと使えば、誰かの暮らしを守ることにもなるらしい。
あの箱の一つひとつに、何が入っていたのか。ただの塩だけではない、もっと別の何かも、同じように管理されているんじゃないか――そんな考えが、頭から離れなかった。
僕は今日見た木箱の印を紙に書き写し、裏山の石や鍛冶屋の金属の欠片と一緒に、部屋の隅の小箱にしまった。
一つひとつは、まだ小さな断片でしかない。それでも、この村には、僕がまだ知らない「決まった型」が、あちこちに埋め込まれているように思えてならなかった。
こうして違和感の断片を、ひとつずつ集めて繋げていく。この感覚に、いつか名前をつけた方がいいのかもしれない。そんな考えが、初めてはっきりと頭をかすめた。
倉の奥、木箱の一番上の段だけ、他よりわずかに埃が薄かったのを、僕は今になって思い出した。あそこだけ、最近も誰かが動かしていたということだ。
倉の場面、細かい描写を入れてみました。次回、また少し進みます。




