台帳の日付から、次に襲われる夜を当てた
鐘楼で見た老人の態度は、それからも僕の頭の片隅に残り続けていた。
朝食の席で、セルマにそのことをぽつりと漏らしてみた。
「鐘楼の管理人さん、なんだか様子が変だった。鐘に古い刻み目があって、それを見せたら、すごく怒られて」
「鐘楼の傷なんて、気にすることないよ。あそこは、昔からずっと同じ人たちが守ってきた場所だから」
セルマはそう言って、話をそこで終わらせようとした。それでも、目を合わせずに答えたその言い方に、僕はまた小さな引っかかりを覚えた。
だが、村の暮らしはそんなことに構わず、いつも通り続いていく。
その夜、境の柵の外れで、小型の獣が出たという知らせが届いた。自衛団の数人が出動し、大きな被害もなく片付いたらしい。
「またあの獣か。今月はもう三度目だな」
翌朝、井戸端でそんな会話を耳にした。
「三度目?」
僕は思わず聞き返した。
「ああ。今月に入ってから、確か十二日、十三日、それから今夜だ。毎月だいたい同じ時期に出るんだよ」
村人はそう言って、当たり前のことのように頷いた。誰も、それ以上のことは気にしていない様子だった。
喉の奥に、小さな違和感が残った。
(毎月だいたい同じ時期? それに、ここ数か月、いつも三日連続で出て、その後はぱたりと現れなくなる。獣が、そんなふうに規則正しく現れるなんて、あるんだろうか)
自衛団の詰所には、出動の記録をつける台帳があると聞いていた。カイルが所属している場所だ。
「なあ、カイル。自衛団の出動記録、見せてもらえないか」
「記録? まあ、別に見られて困るもんじゃないけど。何に使うんだ」
「獣が出る日を、まとめて確かめたいんだ」
カイルは怪訝な顔をしながらも、詰所の隅に置かれた台帳を持ってきてくれた。
「隊長には内緒だぞ。勝手に持ち出したって知られたら怒られる」
「分かってる。すぐ返す」
僕はその場で、過去半年分の出動記録に目を通した。
日付を一つひとつ書き出していくと、確かに、獣の出現は決まって月の同じ時期に集中していた。それも、必ず三日間、そしてその前後には、まったく出現していない。
まるで、決まった周期で動く何かのように。
胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。片目が、勝手に細くなる。
(こんな正確な周期で動く生き物なんて、聞いたことがない。誰かが、決まった時にだけ、獣を放っているとしたら)
さらに記録をめくっていくと、一箇所だけ、様子の違うページがあった。
半年前のある月、その周期がまったく守られていない期間があった。獣の出現がぱったりと途切れ、代わりに、別の記述がひとつだけ書き添えられていた。
「――流れ者の一団、境の柵付近で目撃。詳細不明」
その一文の後、すぐにまた通常の周期に戻っている。前後のページを何度も見比べたが、この月だけ、記述の筆跡までいつもより雑に見えた。急いで書き足したような、そんな印象を受ける一行だった。
(流れ者が来た月だけ、獣が出なかった? これは、ただの偶然なのか)
僕はその一文を何度も読み返した。台帳の他の記述と比べても、この一行だけが、明らかに異質な扱いをされている。他の月には見られない、簡潔な、事務的な書き方だった。
「見つけたか?」
カイルの声に、僕は台帳を閉じた。
「うん、ありがとう。助かった」
「何が分かったんだ」
「まだはっきりは言えない。でも、獣の出現に、決まった周期があるのは間違いないと思う」
「決まった周期? そんなの、獣が縄張りを気にしてるだけじゃないのか」
「縄張りなら、もっと不規則になるはずだよ。これは、あまりに正確すぎる」
カイルは首を傾げたが、それ以上は突っ込んでこなかった。
「まあ、お前がそう言うなら、そうなんだろうな。よく分からないけど」
その日の夕方、村の広場でダレンとすれ違った。
「なんの用だ、そんな深刻な顔して」
「別に。少し記録を調べていただけ」
「またお前の悪い癖か。まあ、変な結果が出たら、俺にも教えろよ。今度の巡回、俺も出るからな」
ダレンは十五歳の儀式でスキルを得たことを誇るように、少し胸を張って言った。鼻で笑うような合いの手も、今日は挟まれなかった。
「巡回に出るなら、獣の出る日をちゃんと数えてみるといい。多分驚くと思うから」
「はあ? 何の話だ」
「そのうち分かるよ」
僕がそう言って歩き出すと、ダレンは不満げに何か呟いていたが、追いかけてはこなかった。
数日後の夕方、見張りに出る前のカイルを、僕は呼び止めた。
「なあ、カイル。あの台帳の周期からすると、次に獣が出るのは、今夜か明日あたりだと思う」
「はあ? そんなの、分かるわけないだろ」
カイルは笑ったが、僕は日付の並びを思い出しながら続けた。
「今月の周期が始まったのが、確か十二日だった。前の月も、その前の月も、だいたい同じ間隔で始まってる。だから、次は今夜あたりから始まるはずなんだ」
半信半疑の顔をしながらも、カイルはその話を、見張りの仲間にもこっそり伝えたらしい。
その夜更け、境の柵の外れで、小さな唸り声が上がった。
翌朝、詰所の前で顔を合わせたカイルが、驚いた様子で駆け寄ってきた。
「おい、ノア。お前の言った通りだったぞ。ぴったり今夜だった」
「本当に」
「ああ。仲間も、お前の話を覚えてて、隊長より先にそっちの区画を見に行ってたくらいだ。……お前、なんでそこまで分かるんだよ」
カイルの声には、いつもの軽さの奥に、わずかな驚きが混じっていた。
「それだけじゃないんだ。仲間、先に柵際の山羊を裏の囲いへ移しておいたんだよ。お前の話がなかったら、今夜もまた何頭かやられてたと思う」
その一言に、僕は思わずカイルの顔を見た。
「被害は、本当になかったの?」
「柵の一部が壊れただけだ。山羊は一頭も失ってない。こんな夜は、ここ数か月で初めてだ」
「台帳を見ればわかることだよ。誰でも」
「誰でもって言うけど、俺は台帳を見ても、そんなこと考えつかなかったけどな」
僕はそれ以上は何も言わなかった。当てたことよりも、それで誰かの山羊が守られたという事実の方が、胸の奥に重く残った。疑って、調べて、そのおかげで、今夜は誰も何も失わなかった――そう思うと、これまでとは違う手触りの実感があった。
家に戻ってからも、僕はあの一行のことを考え続けていた。
流れ者が来た月だけ、獣が現れなかった。それが偶然なのか、それとも、誰かが何かの理由で、その月だけ獣を止めたのか。
もし後者だとしたら、獣を出す側と、止める側は、同じ存在だということになる。
村人たちは、獣を「星が試す試練」だと信じている。だとすれば、星がわざわざ、流れ者が来た月だけ試練を止める理由なんて、どこにもないはずだった。
その考えに、背筋がすっと冷えた。
あの空白の期間に、村では何があったんだろう。そして、その記録を、誰がわざわざ、あんなに簡潔な一文だけで済ませたのか。
答えの糸口は、まだ見えない。それでも、あの台帳の一行は、これまで見てきたどの違和感よりも、確かな手触りを持っていた。
僕は自分の部屋で、書き写した日付の並びをもう一度見返した。三日間の出現、その後の静寂。そして、たった一度だけ乱れた、あの半年前の月。
流れ者が村に来ていた、その同じ月に限って、獣が出なかった。もしこれが本当に無関係な偶然なら、こんなに綺麗に重なるはずがない。
僕はその紙を、裏山の石をしまった引き出しの奥に、そっと重ねて入れた。まだ答えにはならない。それでも、断片同士が、少しずつ形を持ち始めているのを感じた。
伏線寄りの回でした。気になった方は、感想で教えてください。




