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裏山の石

朝の光が、閉じたままの(まぶた)の裏まで届いた。


目を開ける前に、昨夜見た光景がもう一度、瞼の裏に浮かんだ。


見たことのない色の空。地平線まで続く、乾いた荒野。鉄と砂が混じったような、あの匂い。


(あれは、本当に――)


考えれば考えるほど、頭の中がまとまらなくなる。僕は寝床から起き上がり、いつもと同じ手順で着替えを済ませた。今はまだ、誰にも言えることじゃない。


台所に降りると、祖母セルマが朝食の支度をしていた。


「おはよう、ノア。……あんた、顔色が悪いね」


「そう? ちゃんと寝たけど」


「無理しなくていいんだよ。眠れないなら、眠れないって言えばいい」


セルマの声には、いつもの優しさがあった。それでも、僕の顔をじっと見つめる目には、何かを探るような色が一瞬混じった気がした。


「何もないよ。ちょっと考え事してただけ」


「考え事、ね」


セルマはそれ以上追及せず、焼いたパンを差し出した。だが、その一言の裏に、何かを飲み込んだような静けさがあった。


喉の奥に、小さな引っかかりが残った。


(セルマも、何か知ってるんじゃないか)


そう思いはしたものの、今はまだ、この違和感を言葉にできる段階じゃない。


朝食のあと、セルマから頼まれて、裏山に薬草を採りに行くことになった。


「いつもの場所でいいから。無理して奥まで行かなくていいよ」


「うん、分かってる」


家を出ると、井戸端で洗濯をしている女たちの声が聞こえてきた。


「今年も、大きな災いがなくてよかったねえ」「本当に。星の恵みのおかげだよ」「疑わずに生きてれば、ちゃんと守られるもんさ」


その声を聞きながら、僕は内心で小さく苦笑した。


(大きな災いがない? 少し前に獣が襲って来たし、家畜だって何頭も死んだ。守られているんじゃなくて、ただ気づかないようにしてるだけじゃないのか)


誰も、そのことに引っかからない。みんな同じ言葉を、同じ調子で繰り返すだけだった。


途中、自衛団の朝練に向かうカイルと会った。


「おう、ノア。裏山か? 気をつけろよ、最近あっちで妙な足音がするって話もあるし」


「妙な足音?」


「気のせいかもしれないけどな。まあ、俺が今度見に行ってやるよ」


カイルは笑って、槍を担ぎ直しながら走っていった。彼の後ろ姿を見送りながら、僕は少しだけ、彼の無邪気さが羨ましくなった。


裏山は、子供の頃から何度も足を運んだ、見慣れた場所だった。低い木々の間を歩きながら、薬草を摘む。


そのとき、木の根元に、見慣れない石が転がっているのに気づいた。


拳ほどの大きさで、色は灰色。特別珍しい石には見えない。それでも、なぜか目が離せなかった。


しゃがみ込んで、石を手に取る。


表面を撫でると、指先に、規則正しい感触が伝わってきた。


(これ……)


風化した石の表面には、普通ならありえないくらい、等間隔に並んだ細い溝が刻まれていた。自然に削れた跡なら、こんなに均等になるはずがない。


胸の奥で、棘がぴりっと疼いた。片目が、勝手に細くなる。


僕はその石を持って、近くの小川まで下りた。水で洗い流すと、溝の輪郭がさらにはっきりと浮き上がって見えた。


まっすぐな線が三本、等間隔に並んでいる。そのどれも、深さと幅がほとんど揃っていた。


風で削れたにしても、水で流れたにしても、こんなに正確な形にはならない。誰かが、意図して彫ったとしか思えなかった。


(誰が、こんなものを、こんな場所に)


石をひっくり返して、裏側も確かめる。裏には模様はなかったが、断面の色合いが、表面よりもわずかに濃かった。まるで、内側に違う成分が含まれているような色だった。


僕はその石を、しばらく手のひらの上で転がした。村では、こういう石を見たことがない。少なくとも、僕の知る限りでは。


手のひらの上で、石はまだ、ひやりと重たいままだった。指先に残る溝の感触が、いつまでも消えてくれない。


薬草籠を背負い直し、石をポケットに入れて、家路を急いだ。


途中、リゼの家の前を通りかかると、ちょうど彼女が外に出てきた。


「ノア、薬草採り? 手伝おうか」


「もう終わった。帰るところ」


「そう。……ねえ、昨日の夜、どこに行ってたの?」


リゼの声に、心配そうな響きが混じっていた。


「ちょっと、外の空気を吸いたくなって」


「そんな時間に? 何かあったんじゃないの」


「大丈夫。心配しないで」


僕はそう答えたが、リゼは納得していない顔をしていた。それでも、彼女はそれ以上聞かず、僕の隣を歩き始めた。


「今日は、一緒に帰る」


「うん」


僕はポケットの中の石を、そっと握り直した。まだ、この石のことをリゼに話す気にはなれなかった。


家に戻る途中、広場の脇でダレンとすれ違った。


「おい、ノア。また何か拾ったのか」


ダレンは僕のポケットが不自然に膨らんでいるのを見て、片方の眉を上げた。馬鹿にするような言葉は、まだ口から出てこなかった。


「別に。裏山で薬草採ってきただけ」


「ふん。……まあいい。次、村のためになることを見つけたら、俺に真っ先に言え。お前が黙って一人で動くと、こっちが後で説明する羽目になるからな」


その言い方には、まだ高圧的な響きが残っていた。それでも、以前なら聞く価値もないと切り捨てていたはずの僕の言葉に、少しだけ耳を傾けるようになっている。九日前の家畜の一件以来、彼の態度は、ほんの少しだけ変わっていた。


僕は短く頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。ダレンも、それきり肩をすくめて去っていく。


家に着いて、自分の部屋でひとりになったとき、僕はもう一度、石を明るい窓辺に持っていった。


光の下で見ると、溝の奥に、ごく薄く、何かの跡のようなものが見える気がした。


はっきりとは分からない。それでも――


その形は、儀式で使われた聖具の紋様と、どこかで重なって見えた。断定はできない。ただの思いつきに過ぎないかもしれない。それでも、一度そう思ってしまうと、その考えを頭から追い出すことができなかった。


背筋を、冷たい感触がゆっくり這い上がった。


これが、ただの石じゃないとしたら。


井戸の底で見た金属質の光。村長の隠し帳簿。聖具の精巧すぎる作り。そして今、この石に刻まれた不自然な溝。ひとつひとつは、まだ繋がりのない断片でしかない。それでも、こうして並べてみると、同じ手の跡が、あちこちに薄く残っているような気がしてくる。


窓辺に置いたままの石に、もう一度目を落とす。差し込む光の角度が変わった瞬間、溝の奥がほんの一瞬、強く光ったように見えた。


僕は思わず息を止め、同じ角度に光を当て直してみた。だが、二度目は何も起こらない。


見間違いだったのかもしれない。それでも、あの一瞬の光り方は確かに何かに応えているように見えた。

裏山の石、少し気になる回でした。次回もよろしくお願いします。

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