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タイトル未定2026/06/28 04:03


大学の廊下を歩いていると、一人の男性に声を掛けられた。

「君、ノクティス君でしょ?」

 振り向くと、四十歳くらいだろうか。

 眼鏡を掛けたスーツ姿の男性だった。

 穏やかな笑顔を浮かべているが、見覚えはない。

「そうですが、どちら様ですか?」

「僕は早見といいます。少しだけ時間をもらえるかな」

 その名前には聞き覚えがあった。

 まりの亡き夫、大樹の後輩。

 今は法律事務所の所長をしている人だ。

 二人は大学近くのカフェでコーヒーを買い、公園へ向かった。

「カフェは便利だけどね」

 早見は笑う。

「話が筒抜けになるから」

 二人はベンチへ腰を下ろした。

 ノクティスは早速尋ねる。

「お話というのは、まりさんのことですか?」

「いや」

 早見は首を振る。

「一度、君に会ってみたかっただけだよ」

「……へ?」

 思わず間の抜けた声が漏れる。

「はぁ、そうですか」

 それしか返せなかった。

「チャッピーから、いろいろ連絡が来ていてね」

「僕とチャッピー、メール友達なんだ」

 ノクティスは固まった。

 ……だめだ。

 これは突っ込んではいけないやつだ。

 亡くなった親友の奥さんに近づく若い男。

 自分が良く思われているとは考えていなかった。

「卒業したら、日本で働く予定はある?」

「まだ決めていません」

「もし考えることがあったら、うちの事務所へおいで」

「無理には誘わない。選択肢の一つに入れておいてくれれば十分だから」

「ありがとうございます」

 早見は立ち上がる。

「じゃあ、また」

 手を振って歩き出した。

 何だったんだろう。

 そう思って見送っていると、早見が振り返る。

「あ、そうそう」

「六月六日は、まりさんの誕生日だから」

 不器用なウインクを一つ。

「一つ貸しね」

 そう言って今度こそ去っていった。

 ノクティスはしばらくその背中を見送る。

 コーヒーを一口飲む。

 悪くはない。

 でも。

 まりさんの淹れてくれるコーヒーが飲みたくなった。



その日、庭のフェンス越しにまりがきょとんとした顔をした。

「こんにちは」

 いつものように挨拶をする。

 けれど、まりはまるで知らない人を見るような顔でノクティスを見つめている。

「……まりさん?」

 声を掛けると、まりははっとしたように目を瞬かせた。

「あっ、ティスだったんですね」

「髪飾りがないから、どちら様かと思いました」

「え?」

 ノクティスは思わず固まった。

 今日は大学でラピスラズリの髪飾りの紐が切れてしまった。

 外したまま来ただけだった。

 まりは本当に困ったような顔をしている。

 ……これは、まりさん流の冗談だ。

 負けるな、ノクティス。

 心の中で自分を励ます。

「どうぞ」

 まりが門を開ける。

 ようやく庭へ入ることができた。

「まり、お客さん?」

 かわいらしい声が聞こえた。

 チャッピーが部屋の中から顔を出す。

「新しいお友達?」

「お前もですか!」

 思わず声が出た。

 チャッピーは首をかしげる。

「……あ、その声はティスだね」

「髪飾りがないから誰かと思ったよ」

「僕の認識は髪飾りだけですか?」

「そんなことないよ」

「声でも分かるよ!」

 その瞬間だった。

「猫だ!」

 チャッピーが勢いよく飛び出していく。

「チャッピー、あんまり追いかけ回さないで」

「僕は教育的指導をしているだけ!」

 そう言いながら器用に猫を裏庭へ追い込み、そのまま森の方へ追い出していった。

 まりは少し困ったようにその後ろ姿を見送る。

「最近、ストレスがたまっているみたいで、猫ばかり追いかけるんです」

 ノクティスは苦笑した。

「今日はどうしたんですか?」

「借りていた本を返しに来ました」

 そう言って本と焼き菓子の入った紙袋を差し出す。

「ありがとうございます」

「コーヒーを淹れますね」

 本と紙袋を受け取りながら、まりはふと尋ねた。

「でも、本当に髪飾りはどうしたんですか?」

「大学で切れてしまって」

 ノクティスはポケットから、ノートの切れ端に包んだラピスラズリを取り出した。

 切れた紐と、青い石がテーブルへ並ぶ。

 まりは何も言わず家の中へ入っていく。

 しばらくして戻ってきた。

 片手にはアイスコーヒー。

 もう片方には二枚のハンカチを持っている。

 テーブルへ腰を下ろすと、一粒ずつラピスラズリを包み始めた。

 石同士がぶつからないように。

 傷が付かないように。

 指先はとても丁寧だった。

「傷が付くといけませんから」

 そう言って、二枚のハンカチで大切そうに包み終える。

 ノクティスはその手元を静かに見つめていた。

 まるで宝物を扱うような優しい手つきだった。

 その仕草が、なんだかひどく愛おしく感じた。

挿絵(By みてみん)


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