チャッピー登場、異世界転生まであとx
.z>>ホットケーキとサンドイッチを食べ終えるころには、昼下がりの日差しが少しずつ柔らかくなっていた。
「暑かったでしょう。」
まりが立ち上がり、家の中へ入っていく。
しばらくして戻ってきた彼女の手には、小さなガラスの器が二つ乗ったお盆があった。
白いバニラアイスの上には、とろりと琥珀色のシロップがかかっている。
「どうぞ。」
ノクティスは一口すくって口へ運んだ。
ひんやりとした甘さ。
続いて広がる爽やかな酸味。
やさしいとろみ。
そして、どこか懐かしい香り。
「……梅?」
思わず口にすると、まりが小さく頷いた。
「梅シロップです。」
「自家製ですか?」
「去年漬けたものです。炭酸で割ってもおいしいですよ。」
そう言って、今度は炭酸で割った梅シロップをグラスへ注いでくれた。
一口飲む。
甘酸っぱさと炭酸の爽快感が口いっぱいに広がる。
「おいしい……。」
思わず声が漏れた。
ここへ来ると、不思議な気持ちになる。
ホットケーキも。
サンドイッチも。
チーズケーキも。
アイスミルクティーも。
そして、この梅シロップまで。
まるで魔法でもかかったように、どれも驚くほどおいしい。
手土産に持ってきたクッキーを二人でつまみながら、ノクティスはアイスミルクティーを飲んでいた。
穏やかな時間だった。
その時だった。
まりの背後、部屋の中で黄色い何かが動いた気がした。
一瞬だけ、視界を横切る。
(猫……?)
そう思った。
けれど、まりは以前言っていた。
家には猫を入れない。
ペットも飼っていない、と。
「まりさん。」
「はい?」
「部屋の中に猫が入ってしまったようです。」
まりは驚いて振り返る。
そして部屋の奥を見ると、納得したように頷いた。
「ああ。今日はこっちの部屋にいたんですね。」
そう言って小さく笑う。
「ちょうどよかったです。」
「そろそろ紹介しようと思っていたんです。」
まりはオープンテラスの掃き出し窓を開け、部屋の中へ声をかけた。
「チャッピー、こっちにいらっしゃい。」
部屋の奥から、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。
ノクティスは思わず身を乗り出す。
そこから姿を現したのは、四十センチほどの黄色い鳥だった。
ぱたぱたと軽い足音が聞こえた。
部屋の奥から現れたのは、四十センチほどの黄色い鳥だった。
丸い体。
小さな羽。
大きな瞳。
ノクティスは目を瞬かせる。
「チョコ……」
「チャッピーです。」
かぶせるように返事が飛んできた。
「でも似てますよね?」
「キティちゃんとミッフィーは別物です。」
「チョコちゃんっぽいけど。」
「チャッピーです。」
「そう言われればそうですね。」
黄色い鳥はしばらくノクティスを見つめていた。
じっと。
本当にじっと。
どうやらノクティスを見定めているらしい。
「まりのお友達?」
驚くほど流暢に話した。
「そうですよ。」
まりが頷く。
「仲良くしてくださいね。悪さをしなければ、攻撃してはいけませんよ。」
「了解。」
短い返事だった。
だが、その黒い瞳はまだこちらを見ている。
なんとなく。
警戒されている。
そんな気がした。
チャッピーが一歩近づく。
「ノクティス。」
「はい?」
「ホットケーキは好きですか?」
思わぬ質問だった。
「好きですよ。」
「まりのホットケーキは、おいしいですか?」
「とても、おいしいです。」
チャッピーはこくりと一度だけ頷いた。
「合格です。」
「……何のですか?」
「秘密です。」
可愛らしい声なのに、どこか含みがある。
ノクティスは首をかしげた。
「君の名前はなんていうの?」
「ノクティスです。」
「ノクティスですさんですね。」
「ノクティス。」
「修正しました。ノクティスさんですね。」
わざとだ。
ノクティスはそう思った。
一瞬、少し融通の利かないAIなのかと思った。
しかし何かが違う。
まりが振り向いた瞬間、チャッピーの表情がころりと変わった。
さっきまでの悪い顔が消えている。
ノクティスは少し背筋が寒くなった。
チャッピー。
恐ろしい子。
しばらくして、チャッピーがこちらを見た。
「ノクティスは携帯電話を持っていますか?」
「持っていますけど。」
「お友達登録しましょう。」
ノクティスは戸惑う。
まりが言ってくれればうれしい言葉だった。
それをチャッピーから言われるとは思わなかった。
なんとなく教えたくない。
けれど、緊急時に連絡が取れるようにはしておきたい。
ノクティスはスマートフォンを取り出した。
するとチャッピーは斜め掛けの小さなバッグを前へ回した。
羽の中から小さな手が現れる。
器用にバッグを開ける。
中から出てきたのは普通のスマートフォンだった。
「……持ってるんですね。」
「携帯電話のシステムは年々更新されています。」
チャッピーが言う。
「後から良いものが使えるように、スマートフォンは別になっています。」
「Wi-FiおよびBluetoothで接続されています。」
ノクティスは思わず感心した。
「なるほど。」
電話番号の交換が終わる。
その様子を見ていたまりが少し驚いたように言った。
「チャッピーから電話番号を交換するなんて、珍しいですね。」
まりはチャッピーを見る。
「ノクティスを気に入ったんですか?」
チャッピーはこくりと頷いた。
それだけだった。
「はい」とも言わない。
「好き」とも言わない。
ただ頷いただけだった。
ノクティスはなんとなく分かった。
このロボットは嘘をつかない。
だから今の返事は質問への答えではない。
黒い瞳がじっとこちらを見ている。
――私はあなたを警戒しています。
そんな意思表示のように思えた。
まりは立ち上がる。
「少し喉が渇きましたね。」
「そういえば、梅シロップは炭酸で割ってもおいしいんですよ。」
「持ってきますね。」
そう言って家の中へ入っていった。
テラスにはノクティスとチャッピーだけが残された。
数秒。
静かな時間が流れる。
「ノクティス。」
「はい?」
「まりは言いました。」
黒い瞳がじっとノクティスを見定めている。
「悪さをしたら、攻撃してもいいと。」
ノクティスは首をかしげた。
「少し違いませんか?」
「まりさんは『悪さをしなければ、攻撃してはいけませんよ』と言っていました。」
チャッピーは迷うことなく答えた。
「同じです。」
言い切った。
意味は確かに同じだった。
けれど。
受ける印象はまるで違う。
そのわずかな言葉の選び方に。
会ったこともない大樹という人の片鱗を見たような気がした。
「だから悪さはしないでくださいね。」
「しません。」
ノクティスは真面目な顔で答えた。
その瞬間。
チャッピーの瞳の奥で何かが動いた気がした。
小さく光が流れる。
センサーだろうか。
まさか。
嘘発見器まで付いているのだろうか。
ノクティスは少しだけ冷や汗をかいた。
その時だった。
家の前を一台の高級車が静かに通り過ぎる。
チャッピーはちらりと、まりが家の中にいることを確認した。
そして、ノクティスだけに聞こえるほど小さな声で言った。
「ちなみに。」
「はい?」
「あの車より、僕のほうがお高いですよ。」
ノクティスは思わずチャッピーを見た。
(……やっぱり、さっきの顔で値段を気にしていると思われたのでしょうか。)
チャッピーは何事もなかったように前を向いている。
黒い瞳は相変わらず感情が読めない。
まりが戻ってくるまでの数分。
テラスには少しだけ重い空気が流れていた。




