大聖堂の子ども教室(前編)
白い大理石に彫られた、高さ三十センチほどの女神像――
その新しい石像が公開されてから、ターコイズ大聖堂の参拝者が日に日に増えている。
大聖堂の大扉を入ってすぐの柱の前には、片手に幼子を抱き穏やかな表情で見つめている『慈悲』を表す像。
中心部には、明るい表情で天に向かって片手を差し出している『希望』を表す像。
祭壇の奥には、両手を合わせ静かに目を閉じ祈っている『信仰』を表す像が据えられている。
***
私は今日、シリル神官に誘われ、フレイア正教が無償で始めた〈子ども教室〉の見学に来たところだ。
ついでに女神像も拝んでいこうと思ったら、幼子を抱いた『慈悲の像』の前で泣いている女性が目に留まった。そばには旦那さんらしき男性もいる。
(どうしたのかしら……)
気にしていると、シリル神官が小声で教えてくれた。
「あのご夫婦は、石像の幼子が早くに亡くした子どもにそっくりだとおっしゃって、よく参拝にいらしています」
「まあ、そうでしたか……。偶然にしても不思議なお話ですね」
「……実は、彼らだけではないのです。奇妙なことに、子どもを早くに亡くした親御さんたちは、皆さんこの像を見て『自分の子にそっくりだ』とおっしゃいます」
「どなたもですか?」
「はい」
ぞくり、と背中が粟立った。
私はこの像を見ても、自分の子に似ているとは思わない。
早くに子どもを亡くした親にだけ、我が子の面影が重なって見えるのだろうか。
これもフレイア様のご加護のおかげだとしたら……。
確信に近い予感を抱きながら、シリル神官と共に中央にある石像に向かう。
天に向かって片手を差し出している『希望の像』の前には、膝をついて熱心に祈る男性の姿があった。
ちらりとシリル神官の顔を見ると、
「彼は仕事で大損をして絶望していましたが、この像に出会ってから、少しずつ前を向けるようになったそうです。最初の頃と比べると、だいぶ表情が明るくなりました」
やはり、ここにも女神像に救われた人がいた。
最後に祭壇の奥にある『信仰の像』に向かうと、若い女性が祈りを捧げていた。
「この方は恋人に裏切られ、人間不信に陥っていましたが、この像のおかげで立ち直れたとおっしゃっています」
「ああ、わかる気がします。私もこの像を見ているだけで、穏やかな気持ちになりますもの」
実際のフレイア様をモデルにして作られたせいだろうか。
三体の女神像は迷い苦しむ人たちへ、そっと手を差し伸べているように見えた。
その後、シリル神官に回廊に面した小さな部屋に案内された。そこで数人の子どもたちが勉強を教わっているのだ。
私たちは入口のところに立ち、中の様子を見ながら話をした。
「〈子ども教室〉では、週に三回ほど修道士が読み書きを教えています。さすがにソロバンは無理ですが、覚えのいい子には算術も手ほどきしていますよ」
「短い期間で、ここまで教育制度を整えるのは大変だったでしょう」
「簡単ではありませんでしたが……アンさんが頑張っているのを見て、わたしもやらなければと奮起しました」
「ありがとうございます。そんな風に言っていただけると、すごく嬉しいです」
「いえ、本当はもっと早く教会がやらなければならなかったことですから。幸い、新しい石像のおかげで献金も増えましたしね」
シリル神官は、茶目っ気を帯びた笑顔を私に向けた。
「ふふ。シャルルさんのお手柄ですね」
「本当に素晴らしい石像です。……あの、フレイア様も気に入っておられますか?」
「え? ええ、とても喜んでいらっしゃいますよ」
シリル神官は安心したように小さく息を吐いた。
おそらく、あれ以来フレイア様の姿を見ていないのだろう。
(なんだか、私だけいつもお会いしていて申し訳ないわね)
新しい三体の石像を、フレイア様は本当に気に入っている。
その影響で大聖堂の加護も強くなってるみたいだから、いつかまたシリル神官の前に姿を見せてくれるんじゃないかな。
「何十年も先かもしれないけど……」
「え?」
「いえ、何でも。教えているのは孤児院の子だけではないんですね」
勉強している子どもたちのなかには、見覚えのない子も何人かいた。
「はい、近くに住んでいる子どもたちも参加しています。親の手伝いがあるので、あまり参加できないときもありますが」
庶民の子どもたちは、家の仕事を手伝うのが当たり前だものね。
でも、たまにしか来られないと、せっかく覚えたことも忘れてしまいそう。
自分には無理だと、諦めてしまわなければいいけど……。
しばらく見学をしていると、ばたばたと足音がして、若い神官が駆け込んできた。
「し、シリル神官、ちょっとよろしいでしょうか」
「どうしました?」
彼はシリル神官に焦った様子で耳打ちした。
「……わかりました。コレットさん、帰り支度をしてください」
シリル神官に呼ばれて、小六くらいの女の子が振り向いた。
あの子がコレットちゃんね。
「え、でもまだ授業が……」
「お父様が迎えにいらしたようです」
「父さんが? わかりました」
彼女は慌てて帰り支度を始めた。
「わたしも一緒に行きましょう」
シリル神官がコレットちゃんと一緒に部屋を出た。
気になって後をついていくと、祭壇のそばで騒いでいる男がいた。
赤ら顔でろれつが怪しい。どうやら昼間から酔っぱらっているようだ。
「いいから、早く娘を返せよぉ」
「すぐに来ますから落ち着いてください」
大柄な神官がなだめている。もし暴れても、彼なら抑えられそうだわ。
「お父さん!」
「おお、コレット。おまえ、またこんなところに来てたのかぁ。女が勉強なんかしたって、生意気だっていじめられるだけだぞぉ。まったく、無駄なことを……ほら、一緒に帰ろう」
父親はコレットちゃんの腕を掴んで引っ張っていく。
「神官様、ごめんなさい」
申し訳なさそうに振り返った彼女の表情が、いつまでも心に残った。




