領主と図書館(前編)
クーベルト侯爵は図書館のあるターコイズの領主で、初登場です。
アンもチョロチョロ出てきます!
ピエール・クーベルトはクーベルト侯爵家の嫡男として生まれ、後継者として様々な教育を受けてきた。なかでも重要なのが領地管理と財政の運営だ。
侯爵家当主である父のことは尊敬していたが、ひとつだけ納得のいかないことがあった。
まだ当主を引き継ぐ前の若かりし頃、ピエール・クーベルトは父に訴えたことがある。
「なぜあの土地を売りに出してはいけないのです! あそこに別荘を建てれば必ず高額で売れるはずです。別荘が駄目なら、貴族向けの高級な宿屋でもいい。少なくとも、空き地のまま放置しておくよりはマシでしょう」
「あの土地に手を出すことはできんのだ」
「なぜです? あそこはうちの領地ではありませんか!」
「……違う」
「え? 違うとは、どういうことですか?」
「あの土地は、王室のものなのだ」
「王室……?」
「さらに言えば、あそこは不可侵領域。もしも、おまえがあの土地に手を出せば、クーベルト侯爵家はお終いだと思え」
「そんな……」
それ以来、ピエール・クーベルト侯爵は、あの土地に対して鬱屈した思いを抱いている。草木が生い茂り、林のような様相を呈した土地を見るたびに、歯痒い思いをしてきた。
そんなある日、例の土地に図書館が建てられていたとの報告を受け、クーベルト侯爵は激怒した。
「なに⁉ 領主のわたしに何も知らせずにか?」
「さようでございます」
「いったいどこの誰が――まさか、王家? いや、それならば一言あってもよさそうなもの……。エドガー、その図書館を探れ。なんとしても所有者の情報を掴んでこい!」
「承知いたしました」
意気揚々と図書館に向かった侍従のエドガー。
だが、その日の夜、彼はズタボロになって戻ってきた。
「どうした⁉ 誰にやられたんだ、エドガー!」
「いえ、その……誰にやられたというわけでは……」
「何を言っている。わかるように話せ」
「じ、実は……」
エドガーの報告は、にわかに信じがたいものだった。
◇ ◇ ◇
庶民に身をやつしたエドガーは、主人からの命令を遂行すべく、図書館へ向かった。
(必ずや侯爵様に情報を持って帰らねば。なあに、図書館に勤めているような軟弱者なら、少し脅せば口を開くだろう)
口の端に歪んだ笑みを浮かべたエドガーは、門の中に入ろうと足を踏み出したが――。
「つっ! いってぇ……」
おでこを思い切り強打した。
(何だ? 何にぶつかった?)
おずおずと手を伸ばすと、見えない壁のようなものに触れた。
「何なんだ、これは」
図書館の敷地全体に〝悪意を持つものが入れないバリア〟が張ってあるとは知らず、エドガーはどうにかして侵入しようと試みる。
試しに子どもについて行こうとしたら、エドガーだけ思い切り弾き飛ばされた。
(くっそお……)
その後も、身体ごとぶつかったり、頭突きをしてみたり、ジャンプしてみたりと試行錯誤を繰り返したが、すべて無駄に終わった。
「どうして俺だけ中に入れないんだ! このままだと何の報告も出来ないじゃないか……こうなったら、出てきたやつに訊いてみるか。庶民なんて金をやれば何でも喋るだろう」
エドガーは図書館から出てきた中年の女性に声をかけた。
「ちょっといいかな?」
「……なんだい?」
女性はエドガーをいぶかしげな目で見た。
「この図書館の所有者のことを知りたいんだ。礼はするから、知ってることがあれば教えてくれないか」
「あんた、何者だい? 庶民の恰好をしてるけど貴族だろ。バレバレなんだよ。いっとくけど、ここはあたしらの大切な場所なんだ。館長さんに何かしようってんなら許さないよ!」
「ご、誤解だ。俺はべつに……」
「ニナさん? どうかしましたか?」
図書館から出てきた少女が心配そうにこちらを見ている。
「こっちに来ちゃ駄目だよ、館長さん! こいつ、あんたのこと狙ってんだから!」
(あの少女が館長!?)
エドガーは少女をよく見ようと目を凝らす。
「あ、見るんじゃないよ! この変態め!」
「なっ、俺は変態じゃない」
二人が言い争っていると、背の高い男が図書館の中から出てきた。その顔を見て、エドガーはハッとした。この界隈では有名な人物だったからだ。
(げっ、騎士団の副団長! なんでこんなところに……)
「とにかく誤解だから!」
「あ、ちょっと!」
エドガーは慌てて逃げ出したが、副団長は追ってこなかった。
当然だ。法に触れるようなことはしていない。それどころか、敷地内に入ることさえ出来なかったのだから。
◇ ◇ ◇
エドガーの話を聞いた侯爵は怒鳴り散らした。
「ふざけたことを言うな! おまえだけが門の中に入れないだと? そんなわけあるか!」
「本当なんです。信じてください!」
「くそっ! どういうことだ……」
「あの、中には入れませんでしたが、面白い話を聞いてきました」
「なんだ?」
「近所の市場で聞き込みしたところ、あの図書館には女神の加護があると評判のようで――」
「ハッ! 女神なんているわけないだろ! ……もし本当に神がいたなら、姉さんを救ってくれたはずだ」
ピエール・クーベルト侯爵には優しくて賢い姉がいた。
だが、彼女は身体が弱く、ピエールが十三歳のときに亡くなってしまった。それまで「姉さんを元気にしてください」と熱心に教会で祈りを捧げていたピエール少年は、この世に神などいないことを悟った。
もちろん、侯爵家の人間が無神論者では体裁が悪いので、表向きはフレイヤ正教の信者として教会にも通っている。
それを知っているのは妻のクラリスだけだ。
クラリスは伯爵家の次女で、地味だが従順なところが気に入って結婚した。夫婦仲は特別良くもないが悪くもなく、侯爵はこんなものだろうと満足している。
たとえエドガーの話したことが事実だったとしても、侯爵には信じられなかった。
「女神の加護などあるものか……!」
きっと詐欺のような手口で周りを欺いているに違いない。だが、何か問題が起きれば、それを理由にあの土地を取り上げることができる。そう考え、侯爵はほくそ笑んだ。
しばらくは傍観しようと決めた侯爵だったが、図書館に関する情報だけは集めていた。
――孤児院にカードをプレゼントしたらしい。
――音の出る本を使って、子どもたちに文字を教えている。
――図書館の庭に女神フレイアの石像が設置された。
「ふん。どれも使えない情報ばかりだな」
「申し訳ございません」
「どうやら、図書館の館長はかなりお人好しのようだ。金にならんことばかりやりおる」
「余計なことをしないように手を打ちますか?」
「いや。子どもは宝だと父もよく言っていた……邪魔はするな」
そんなある日、侯爵のもとに衝撃的なニュースが飛び込んできた。
「図書館がギガ教に襲撃されただと⁉ どういうことだ! 図書館は無事なのか⁉ 中にいた人々は?」
「どうやら怪我人はいないようです。図書館にも問題ないと聞いています」
「そうか。では、詳細を報告しろ」
「承知しました。本日、ギガ教の司教たちが図書館に突撃しようとしたところ――」
報告書を読んでいたエドガーが珍しく口ごもる。
「どうした?」
「いえ。ギガ教の司教たちが図書館に突撃しようとしたところ、門の中に入れなかったとのこと」
「ん? おまえのときと同じだな」
「……はい」
「続けろ」
「ひとまず退いたものの、ギガ教の司教たちは夜中に再び現れ、図書館に向けて火矢を放ったそうです」
「火矢だと⁉ あいつら、なんてことを……!」
「ですが、火矢は何かに弾かれて、矢を放った者たちに跳ね返ったそうです。彼らは火だるまになりましたが、水魔法を使える騎士たちが消し止め、死者は出ていないとのこと」
「そうか……」
侯爵は深く息を吐き、ソファに沈み込んだ。
「女神の加護は、本当にあったんだな」
部屋の中に重苦しい空気が流れた。




