絵本と子どもたち
ゾシメ氏と双子が帰ったあと、完成した絵本をダイアナとパトリックさんとクリスティーヌさんに手渡した。
「皆さんのご協力のおかげで、こうして無事に絵本が完成しました。どうもありがとうございました!」
私は深く頭を下げた。
彼らが助けてくれなければ、館長の仕事と本作りを両立するのは難しかっただろう。
「いえいえ。大してお力にはなれませんでしたが、素晴らしい本が出来て良かったです」
「ええ。アンさんの考えた本を読めるなんて感激ですわ」
パトリックさんとクリスティーヌさん夫婦が、本を手に目を輝かせている。
「館長さぁあああん!」
「ど、どうしたの、ダイアナ」
「わたし、嬉しくて、う、うれぢぐで……」
「もう、泣かないでよぉ」
私はダイアナの涙をハンカチで拭いた。
大の本好きだから、感激もひとしおなのね。
ダイアナはエリックさんと婚約してからも図書館で働き続けている。
結婚しても絶対辞めませんと言ってるけど、結婚式の準備も大変だろうし、もう一人くらい雇うことも考えなきゃね。
ゾシメ氏がたくさん寄贈してくれたので、〈こどもの部屋〉の本棚は『ウサギとカメ』の本で溢れかえっている。子どもたちが見たらびっくりするだろう。
***
翌日、開館するやいなや数人の子どもたちが階段を駆け上ってきた。
「「「「おはようございまーす!」」」」
「おはよう」
「今日も元気ね」
私とダイアナは、子どもたちが絵本を見てどんな反応をするか、ワクワクしながら見守った。
「あっ! あたらしい本だ!」
目ざとい女の子が声をあげると、
「ほんとだ!」
「あーっ、かわいい!」
「おれもみる」
次々と皆が本棚に駆け寄った。
「たくさんあるから、ケンカしないでねー!」
とダイアナが注意している。
最初に絵本を手にした女の子が「ウサギとカメ、だって」と、表紙の文字を見てクスクス笑うと、他の子たちも同じことを言って笑った。まだ本を開いてもいないのに、とても楽しそうだ。
(そうだよね、嬉しいよね。少し前まで読めなかった字がスラスラ読めるんだもの)
子どもたちは絵本を手に、それぞれお気に入りの席へ移動し、そっとページをめくっている。
この世界の子どもたちにとって本は高級品なので、日本の子どもたちよりも本の扱いが丁寧だ。本を大事にしてくれるのは嬉しいけど、その反面、もっと気軽に読んで欲しいとも思う。
それでも、キラキラした目で絵本を見つめ、夢中で文字を追う姿は、日本の子どもたちと同じだ。そう思うと、やっとここまでこれたんだなと胸が熱くなった。
ほどなくして、借りた本を返しに来た女性が棚にあった絵本に気がついた。
「あれ? 新しい本だね」
「そうなんです。どうぞ読んでみてください」
「いやあ、あたしはまだあんまり字が読めないから……」
彼女は、二か月ほど前から図書館に通っているブレアさんという独身の女性だ。
初めて会ったときブレアさんは、付き合いはじめた男性が学のあるひとだから、字が読めないのが恥ずかしいと打ち明けてくれた。
「でしたら、ここで一緒に頑張りましょう」
私の提案に彼女は目を瞬かせた。
「いいのかい? ここは子どものための場所だろ」
「確かに〈こどもの部屋〉と名付けてはいますが、子どもたちの家族も一緒になって楽しみながら学んでいますよ。もちろん学校ではないので、本を読むことを一番の目標にして欲しいですけど」
「わ、わかった。じゃあ……今日からよろしくお願いします」
それ以来ブレアさんは週に一度は来館し、音の出る本や私の作った書き取り帳で字を覚えようと努力している。
(彼女ならもう読めると思うんだけど、まだ自信がないのかしら)
私が思案していると、ダイアナがブレアさんに絵本を差し出した。
「大丈夫です! これは絵本といって、絵でだいたいの内容がわかるようになってるんです。絵の横に文が書いてあるので、少しでも字が読めれば楽しめますから」
「そ、そうかい? だったら……ちょっと読んでみようかな」
「わからないところがあったら、いつでも聞いてくださいね」
ブレアさんはうなずくと、嬉しそうに本を手に取り、隅のほうの席に座った。
部屋の中を見渡すと、読み終わった子どもたちが、小さな子に絵本を読んであげていた。字の読めないおじいちゃんに、男の子がたどたどしく読み聞かせているのも微笑ましい。
「館長さん、早く次の『イソップ物語』を本棚に並べたいですね」
ダイアナの言葉に、私は強くうなずいた。
◆ ◆ ◆ ◆
結果として、『ウサギとカメ』の豪華版は貴族たちのあいだで飛ぶように売れた。
きっかけは、コナイサンス出版の設立者であるドーヴェルニュ侯爵家のサロンで、侯爵の孫が『ウサギとカメ』の朗読を披露したことだった。
金箔をふんだんに使い、ウサギとカメの目に赤と緑の石をはめ込んだ豪華な装飾本は、貴族たちの注目を浴びた。
「なんて素敵な本なの」
「うちの子にも買ってあげたいわ。どこでお求めになったの?」
「わたくしも知りたいですわ!」
子どもを持つ親たちに囲まれたドーヴェルニュ侯爵は、謎の豪華本について語った。
「この本は、絵と文で内容を表現した〝絵本〟というもので、国内で初めて出版された子ども向けの本です。また、賢い皆様にはお分かりだと思いますが、短いストーリーのなかにたくさんの教訓が込められています」
ドーヴェルニュ侯爵は、さらに声を高めた。
「きっと子どもたちも、努力の大切さや逆境に負けない強さを、この絵本から学ぶことでしょう。コナイサンス出版では、今後もこのような絵本を『イソップ物語シリーズ』として出版する予定です。ただし、豪華版は数が限られていますので、お早めのご購入をお勧めいたします」
(国内で初めて⁉)
(数量限定⁉)
考えることは皆同じ。
(((そんな珍しいものならば早く手に入れなければ!)))
こうして貴族たちのあいだで『ウサギとカメ』の争奪戦が始まり、子や孫に『ウサギとカメ』の豪華版を与えることが、一種のステータスになっていった。
◆ ◆ ◆ ◆
「それで、庶民のひとたちの反応はどうですか?」
ゾシメ氏の話を聞き、私は不安になった。
貴族たちに売れたのは朗報だが、識字率の低い庶民に売れなければ意味がない。
絵本を目にする機会さえあれば、そこに何が書いてあるのか、きっと知りたくなる。
近頃は教会でも読み書きを無償で教えてくれるから、やる気さえあれば字を覚えることができるはずなのだ。
「今はまだ様子見といったところでしょう。そもそも、書店に来る庶民の数が圧倒的に少ないですからな。なあに、徐々に数字は伸びてきておりますので、心配には及びません」
そう。この世界の書店って、庶民にとっては敷居の高い場所なのよね。絶対買えるわけないと思って素通りする高級ブランドショップみたいな感じ? 中に入るだけでも勇気がいるわよねぇ。
だったら、まずは自分たちでも買える値段だということを伝えなきゃ!
「ゾシメさん。出版社の人達って、どんな風に本の宣伝をしてるんですか?」
「そうですなあ。新聞に広告を出したり、書店をまわって本を置いてもらえるように交渉したり……」
「店の外に張り紙はしないんですか? たとえ字が読めなくても、『ウサギとカメ』の表紙絵の下に、本の価格を大きく書いて張っておけば目につくと思うんですけど」
「なるほど……それは素晴らしいアイデアですな! そうか、ワタクシたちは貴族に売り込むことばかり考えていたから駄目だったんだ……こうしてはいられません。さっそく社に戻って宣伝用の張り紙を用意いたしますぞ!」
ゾシメ氏は目を爛々と輝かせ、勢いよく図書館を飛び出していった。




