ソロバンを作ろう
ターコイズの西にある職人ギルドに、乗り合い馬車で向かった。
街道沿いのリンゴの木に白やピンクの花が咲き、鳥の鳴き声があちこちから聞こえてくる。ギルドに着くまでのあいだ、春真っ盛りの景色を楽しんだ。
職人ギルドは、レンガで構築された三階建ての建物だった。入口でキョロキョロしていると、係の女性が声をかけてくれた。
「おはようございます。今日はどういったご用件でしょうか」
「えっと、新しい道具を作りたいのですが」
「承知いたしました。どうぞこちらへ」
彼女の後をついて行くと、机と椅子が置かれているだけの簡素な部屋に案内された。
「担当の者を呼んできますので、少々お待ちください」
「はい。ありがとうございます」
両側にも同じような部屋があったけど、耳をすませても何も聞こえなかった。情報漏洩しないよう防音魔法をかけてあるのかもしれない。
奥の椅子に座って待っていると、三十代くらいの男性が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。製作部のドミニクです」
「アンです。よろしくお願いします」
「さっそくですが、新しい道具をお作りになりたいとか?」
「ええ。これと似たような物を作りたいのですが……」
私は鞄の中からソロバンを取り出し、机の上に置いた。
「これは、何をする道具なんでしょうか?」
興味深そうにソロバンを見つめるドミニクさん。
「これはソロバンといって、計算に使う道具です。この珠を上にあげて、一と数え……」
私はパトリックさんに説明したときと同じように、そろばんの珠を弾いてみせた。
「ほうほう、そうやって使うんですね。触ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
ドミニクさんは慎重にソロバンを触りながら、私にいくつか質問をした。
「素材は何で出来ているのですか?」
「よくわかりませんが、たぶん木だと思います」
「素晴らしい加工技術ですね。どちらで作られた物かわかりますか?」
「それが、昔プレゼントされた物なので……遠くの島国の工芸品だと聞いた覚えがあります」
日本製とは言えないので、適当にごまかす。
「なるほど……わかりました。少々お待ちください」
ドミニクさんはいったん部屋を出ると、髭ボーボーのワイルドな男性を連れて戻ってきた。
「大変お待たせしました。彼は工房長のギョームです」
ギョームさんは無言で私の前に座ると、机の上にあったソロバンを手に取り、しげしげと眺めている。
「動かして構わねえか?」
「ええ、どうぞ」
私が許可すると、彼は珠を弾いたり、ソロバンを前後左右に振ってみたり、枠や軸を触ったりしている。
「こりゃあ、面白いな。全部木で出来てるのか。軸に珠を通してから、ここに嵌めるんだな。珠も凄いが、これだけ細い軸をどうやって……」
「あの、作れそうですか?」
「当たりめえだ。俺の腕を疑うのか?」
「い、いえ、そういうわけでは」
「ちょっと、ギョームさん! すみません、このひと腕はいいんですが態度が悪くて」
「ああ?」
いけない。私の迂闊な言葉で、職人のプライドを傷つけてしまったわ。
「すみません。ギョームさんの腕を疑っているわけではなく、異国で作られた物だから、材料などがなくて無理かもしれないと思っていたんです」
「なんだ。そういうことならまかせときな。確かにすげえ技術だが、作れないとは言わねえよ。試作品が出来たら連絡するから、嬢ちゃんの意見を聞かせてくれ。あ、こいつは借りていくぞ。分解してみてえし」
「分解⁉」
とドミニクさんが目を丸くする。
「ちゃんと元通りにするから心配すんなよ」
「あの、壊しても構わないので、なるべく近い物を作ってください。よろしくお願いします」
「おお、まかせとけ」
「では、試作品が出来ましたら、ギルドのほうから連絡いたしますね」
私は正式な発注書を書き、職人ギルドを出た。
最低でも一、二か月はかかるというから、のんびり待つことにしよう。
***
職人ギルドからの連絡を待っているあいだに、パトリックさんから話があると言われた。なんだろう。まさか、辞めたいとか……いや、それはないわね。契約解除したら妖精が見えなくなっちゃうんだから。
閉館後にパトリックさんの教室で話を聞くことにした。ダイアナが淹れてくれた紅茶を飲みながら、彼が話を切り出すのを待つ。
「実は、お願いがありまして……わたしの妻も、こちらで働かせていただけないでしょうか」
「え? 奥さんを?」
「はい……お恥ずかしい話、妻はわたしのもと教え子なんです。もちろん付き合い始めたのは彼女が卒業してからですが」
「あらまあ、大恋愛じゃないですか!」
キャサリンが喜びそうだわ。
「いえ、そんな」
「あ、ごめんなさい。続けて」
「は、はい。長年わたしを支えてくれた妻は、私が辛い思いをしてきたことも知っています。なのに、彼女に妖精が見えるようになったと話すことができず、誤魔化すために嘘をつくことすらある。それがとても心苦しくて辛いのです」
「なるほど……」
それは困ったわね。夫婦関係にひびが入っては大変だわ。
「妻は働いた経験はありませんが、成績優秀な学生でした」
「だったら、色々と手伝ってもらえそうですね。ご存じのとおり、あまり賃金は払えませんけど」
パトリックさんにだって、微々たるお金しか渡していない。彼の場合は妖精が見えるようになることがご褒美だけど、奥さんは違うからね。
「雇っていただけるなら、お金などいくらでも結構です!」
「そんなこと勝手に判断しては駄目ですよ。奥様の考えもあるでしょうから、ちゃんと話をしてください」
「そ、そうですね。早計でした。ありがとうございます」
数日後、パトリックさんが図書館に奥様を連れてきた。
パトリックさんと同じく銀髪で、透き通るような薄茶色の目をした品のある淑女だった。
「初めまして。妻のクリスティーヌです。いつも主人がお世話になっております」
「こちらこそ、パトリックさんには色々と助けていただいています」
私たちは閉館後に受付奥の部屋で話をした。
私は、パトリックさんと特別な契約を結んでいて、奥様には話せないことがあること。パトリックさんに、本当のことを話せないのが辛いから、奥様とも契約して欲しいと頼まれたことなどを話した。
「まあ、そうでしたか。どおりで最近様子が変だと思いました」
「うちとしては、人手が足りてない状況なので構わないのですが、賃金は少ししかお支払いできません。どうなさるかは奥様がお決めになってください」
「わたくしは……大してお役に立てないかもしれませんが、契約したいと思います」
「本当によろしいのですか?」
「ええ。主人とのあいだに秘密があるなんて嫌ですもの」
「わかりました。それではこちらにサインをお願いします」
クリスティーヌさんは、ためらうことなく契約書にサインした。
「これでクリスティーヌさんもご主人と同じ〝妖精が見える目〟というスキルが使えるようになります」
驚いたクリスティーヌさんが、パトリックさんに問う。
「あなた、妖精が見えるようになったの……?」
「ああ、そうなんだ。今まで黙っていてすまなかった」
「そんなこと! 良かったわねえ。本当に良かった。あなたの願いがやっと叶ったのね……やっと……うっ、うぅ」
「ああ、クリスティーヌ」
泣き出したクリスティーヌさんを、パトリックさんがそっと抱き締めた。
長年、連れ添った夫婦だからこそ、相手の気持ちがよくわかるのだろう。思わず私ももらい泣きしてしまった。
「あ、ごめんなさい。わたくしったら」
私がいることを思い出したのか、クリスティーヌさんは慌ててパトリックさんから離れた。
「いえいえ。では、話を戻しますね。このスキルは契約が解除されると使えなくなる限定スキルですが、獲得されますか?」
「もちろんです。わたくしも一度でいいから妖精を見てみたかったので」
「わかりました。ナビ、お願い」
『スキル〈妖精が見える目〉を労働者クリスティーヌ・デュマに授けます』
「え……」
クリスティーヌさんが目を見開き、息をのんだ。
「見えるかい? クリスティーヌ」
パトリックさんが優しく問いかける。
「ええ、見えるわ! とても可愛い妖精たちがわたくしの目の前にいる」
「薄い黄色の羽がララ、オレンジ色のほうがルル。ふたりとも本の妖精なんだ」
「まあ、本の妖精さん? はじめまして、パトリックの妻のクリスティーヌです」
「パット!」
「クリス!」
「まあ、あなたったらパットって呼ばれてるのね」
「きみだって、今日からクリスだよ」
ふたりが幸せそうに微笑み合うのを見て、ちょっとだけ羨ましくなった。




