異世界生活の始まり
目を開けると、ぎっしりと本の詰まった本棚が見えた。
ここは……図書館?
フラフラと壁際に並んでいる本棚に近づくと、本の背表紙には見たことのない文字が書かれていた。
「あれ? 読めないんだけど……あの、フレイア様? フレイア様いませんかあ? ……困ったなあ。文字も読めないんじゃ、図書館の館長なんてできないよ」
どうしたものかと途方に暮れていると、突然頭のなかに無機質な女性の声が響いた。
『図書館館長の称号が付与されました』
『異世界言語スキルを獲得しました』
「は? え、誰?」
『ワタシはアン様専用のナビゲーターです』
「あなたがこの世界のナビをしてくれるってこと?」
『ハイ、そうです。よろしくお願いします』
「よ、よろしく。じゃあ、あなたのことはナビって呼ばせてもらうね」
『了解しました』
「ナビ、異世界言語スキルってどういう能力?」
『異世界言語スキルとはマドモ・アーゼルにあるすべての国の言語を理解できるスキルのことです』
「すべての国の言語って……」
半信半疑で本を見ると、さっきまで読めなかった背表紙の文字が読めるようになっていた。
「うそっ!」
英語なんか何年勉強しても覚えられなかったのに。なんだかズルしてるみたいで気が引けるけど、正直とても助かる。
ほっとして窓の外に目をやると、敷地の先にある細い通りを体格のいい男性たちが歩いているのが見えた。初めての異世界人だ。
服装からして庶民ね。貴族だったらもっとゴテゴテ着飾ってるはずだもの。王国といってもターコイズは端っこのほうだから、この辺に貴族は住んでないのかもね。まあ、そのほうが気が楽だけど。
「それにしても、誰もこっちを見ないわね」
『バリアを解除しますか?』
「わ、びっくりした」
私の呟きにナビが反応したようだ。
「バリア? もしかして、見えないように図書館にバリアが張ってあるの?」
『正しくは図書館の敷地全体に張ってあります』
「はー、すごいわね。でも、解除したらどうなるの? 危ないんじゃない?」
ピコン!
機械音が鳴って、パソコンの画面のようなものが目の前に出てきた。
画面にはバリアが何段階か表示されている。
『すべて解除』
『悪意のあるもののみ入館拒否』
『16歳未満のみ入館拒否』
『入館制限条件を設定』
「へえ、強弱を選べるのね。16歳未満拒否って、まさかいやらしい本が置いてある――」
『違います』
反応早っ!
とりあえず、落ち着くまではこのままにしておこうかな。何が起こるかわからないし。
「ナビ、バリアは解除しないことにするわ」
『了解しました』
***
ゆっくり館内を見てまわると、建物の大きさや間取りが、うちの近くにあった図書館に似ている気がした。もしかすると、私の記憶を再現したのかもしれない。
入口の近くにトイレを発見したので、さっそく中へ…………。
良かったー! 水洗トイレだった。この世界、下水道完備してるのね。さすがフレイア様!
トイレを出てから、そばにある受付カウンターの中に入ってみた。館長なんだからいいわよね。
「失礼しまーす……」
ワクワクしながら受付の椅子に座る。カウンター越しに見る景色は、いつもと全然違っていた。
「ここが私の図書館なのかあ。うふふふ」
クルリと椅子を回すと、サイドテーブルの上に見覚えのある文房具が。
「これって、私が使ってたのと同じ?」
書き心地が気に入っているボールペン、有名メーカーの消しゴム、ピンクのセロテープスタンド。
「まさか……」
私は受付の真ん前にある階段を駆け上った。
もしフレイア様が私の物をこの世界に再現してくれたのなら、どこかに私が住んでいた部屋があるかもしれない。
折り返しになった階段を上りきると、がらんとした空間が広がっていた。
「二階には本がないんだ……」
手前にある細い通路を左に歩いていくと、一番奥の扉にドライフラワーのリースが飾られていた。
「これ、部屋のドアにかけていたものと同じ……」
緊張してドアを開けると――思った通り、私が住んでいた部屋にそっくりだった。
部屋数は少ないけど、キッチンとトイレとお風呂の間取りも同じだ。
「やった! 電気もガスも使える!」
試しに冷蔵庫を開けてみたら、いつも買っている食材が詰め込まれていた。至れり尽くせりだ。
「フレイア様、ありがとうございます!」
慈悲深い女神に感謝を捧げる。早いとこフレイア様の像を飾らなきゃ。
食べ物を見たせいか、お腹がぐうっと鳴った。
そういえば、お腹空いたな。何か作って食べよう。
お米を炊くのはめんどくさいので、パックのご飯をレンジで温め、フライパンでソーセージと目玉焼きを焼いた。ついでにトマトとキャベツのサラダを用意して、ダイニングテーブルで食べた。一人の食事なんてこれだけあれば十分だ。
まさか異世界で日本食が食べられるなんて思わなかったなあ。
ゆっくりと味わいながら食べるご飯の味は格別だった。
「なんでこんなに美味しいんだろ……あっ、そうだ! 今の私って二十歳なんだっけ!」
バタバタしていたから大事なことを忘れていた。
慌てて鏡を見ると、シワもシミもないツヤツヤお肌の少女が。
「うわー、私ってこんなに肌綺麗だったんだ。若さってすごいなあ」
思わず頬をつかむと、弾力のある手ごたえを感じた。
そっか。衰えた味覚も元に戻ってるから、ご飯がこんなに美味しく感じられるんだ。
そういえば……腰も痛くないし、近くだってよく見える。
「ということは、もう血圧の薬もコレステロールの薬も飲まなくていいし、階段を下りるときも膝が痛まないってこと? やったー! 異世界、バンザーイ! フレイア様、ありがとうございます!」
長いことオンボロな身体と付き合ってきたから、健康な身体になったことがとても嬉しい。思わぬ恩恵に、またしてもフレイア様に感謝を捧げた。
食器を洗ってから部屋の中をチェックすると、不思議なことがいくつかあった。
たとえば、時計はそのままなのに、カレンダーがすべてなくなっている。
なんでだろ……もしかして、一日は二十四時間だけど、月日の数え方が違うのかな。だとしたら、時計があるのにカレンダーがないのもわかる。
他にも、テレビやパソコン、家族の写真などが見当たらない。
たぶん、ここにあるとまずい物が消えてるんだろうな。
冷蔵庫や電子レンジはあるけどいいのかな。もしかして似たような魔道具があるとか?
「どっちにしても異世界の物だってばれるといけないから、この部屋は私以外立ち入り禁止にしよう。ナビ、誰も二階に来られないようにできる?」
『了解。他の人間が入れないようにバリアを張りました』
「ありがとう。これで安心ね。……さて、昼寝でもしようかな」
そう。今世のモットーは、のんびり手を抜いて生きていくこと。
そのためにもお昼寝はかかせない。
年を取るごとに睡眠時間が減り、眠りも浅くなっていたけど、今は若い身体だからいくらでも眠れるはず。長時間寝るのも体力がいるのだ。
奥の部屋に入ると、ベッドにはいつも使っていた枕と布団があった。
「むふふふ」
ベッドに潜り込むと、すぐに睡魔に襲われた。
ああ、この感じ久しぶり。やっぱり若いと違うのねえ。
図書館が開館しても昼寝はかかさないようにしようと考えていたら、いつのまにか深い眠りについていた。
こうして、私の異世界のんびり生活が始まった。
読んでいただき、ありがとうございます。
明日からは毎日一話ずつ投稿します。




