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プロローグ

 私、佐倉杏さくらあんは、高校卒業後小さな会社に事務員として就職。二十二歳で同じ会社の同僚と結婚し、専業主婦となって三人の子どもを育て上げた。


 子育てが終わってからは、介護が必要になった養父母の世話に追われ、最後に脳梗塞で倒れた夫を看取った直後、肺炎であっけなく死んでしまう。享年七十八歳であった。


 今の私に身体はなく、魂となり、天国を彷徨さまよっている。


 辺り一面真っ白な空間で、生前耳にしていたような三途さんずの川や綺麗なお花畑は見当たらない。なんだかガッカリ。


「ここは天国ではないのですよ」


 天から美しい声が響いた。


「そうなんですか? では、私はどこにいるんでしょうか?」


 私は見えない声の主に訊く。


「実は――」


 声の主がいきなり目の前に現れた。ボッティチェリの絵に描かれていそうな、金色の髪をした美しい女性だ。


「ここは魂の選別場所なのです」


「魂の? あの……もしかして、あなたは神様ですか?」


「ええ。あなたがいた世界とは異なる世界の神フレイアです」


「異世界の女神様……」


「そうです。よくご存じのようですね」


「孫がそういう小説が好きでしたから」


「それは話が早い。あなたにはぜひわたくしの創った世界へ転生していただき――」


「お断りします」


「え、はやっ! ど、どうしてですか?」


 私の返事が意外だったのか、異世界の女神様が驚いている。神様のくせに妙に人間臭い反応だわ。

 

「だって、私はさっき死んだばかりなんですよ。しかも、子育てと老人介護と夫の世話に追われる人生を、やっとの思いで終えたところなんです。疲れてもうクタクタなんですよ。わかります? いえ、わかるわけないですよね、人間の苦労なんて……とにかく今は休みたいので、転生するなら何百年か経ってからで結構です」


「そんなあ……わたくしの世界、若い人には人気なんですよ。剣と魔法の世界で夢があるって」


「だったら若い方に譲りますよ。べつに私じゃなくてもいいでしょ」


「ダメです! 誰でもいいわけではなく、あなたの魂が必要なのです!」 

 と女神フレイアは力説する。


「実は、あなたはもともと、わたくしの創った世界〝マドモ・アーゼル〟で生まれるはずでした。ですが、魂の選別の際に手違いでこの世界で生まれてしまったのです」


「はあ……」

 正直、あまりに突拍子もない話でついていけない。


「あなたの魂の適応力には驚かされました。本来持っている力を無意識に制御し、見事にこの世界に溶け込んでいましたからね」


「そうなんですか!?」


「なので、この世界の神とも話し合い、このまま問題がなければ魂になるまで見守ろうということになったのです」


「それは……知らないこととはいえ、ずいぶんお待たせしてしまったんですね」


「七十八年など短いものです。気にすることはありません。ただ、あるべき魂が欠けているせいで、マドモ・アーゼルの均衡が崩れ始めているのです」


「それは大変ですねえ」


「そうなんです! 考え直してくれましたか!?」


「うーん、お気の毒だとは思いますが、今さらそんな危ない世界に行けと言われても……」


「最上級の攻撃魔法と防御魔法を使えるようにします!」


「そんなたいそうな力をいただいても上手く使える自信がないですし、のほほんと生きてきたので、たとえ魔法であっても人を殺すなんて無理だと思います」


「でしたら、できるだけ安全な国にご案内しますので」


「そんな国あるんですか?」


「もちろんです!」


 女神フレイアは何もない空間から大きな地図を出した。


「マドモ・アーゼルは、大きな大陸にある五つの国と小さな島々で成り立っています。あまり小さな国だと侵略される恐れがあるので……」


 大きな大陸の西側を指さし、女神が言う。


「一番のお勧めは、安定した国力と軍事力で数百年他国を圧倒する『エメラルド王国』ですね。気候も穏やかですし、王宮のあるクリソプレーズという街は華やかで住みやすいですよ」


 地図を見ると、エメラルド王国の大きさは大陸の三分の一くらいあった。


「そんな街なら確かに住みやすいでしょうけど、人付き合いはあまりしたくないんですよねぇ……ご近所付き合いとか親戚付き合いとかママ友とか、ほんと大変でしたから」


 ボスママに気を遣いまくった日々を思い出し、目がうつろになる。あ、目はないんだった。

 

「とにかく、またあんな苦労をしなきゃいけないなら、転生とかしたくないです」


「くっ、その気持ちはわかります……わたくしも神のなかでは若いほうなので、先輩たちの機嫌を損ねないように苦労しているのです」

 と歯を食いしばる女神フレイア。


「神様にも序列とかあるんですね」


「ええ、それはもう激しい序列が」

  女神フレイアは身体をブルっと震わせる。

「怒らせると何をされるかわかりません」


「それは大変ですねえ」


 フレイア様、新米なのね。気が弱そうだし、いじめられたりしてるのかな。私なんかの言うこともちゃんと聞いてくれるし、いい神様よね。


「ならば、ここに一軒家を建ててはどうでしょう?」 


 フレイア様は高い山のてっぺんを指さした。


「ここなら滅多に人も通りませんから!」


「……わかってませんね」


「え、ダメでしたか? バリアを張れば動物も近づかないし、いい場所だと思ったんですけど」


「いくら人がいないからって、そんなところに一人で住めるわけないでしょ。孤独死しちゃいますよ」


「では、ある程度の交流は必要ということですか?」


 フレイア様が困惑している。


「そうですねえ、一日中誰とも喋らない日が続くとボケちゃいそうですし、挨拶と軽い世間話くらいはしたいです」


「で、では、王国の東の端にあるこちらの街はいかがですか? ターコイズという小さな街なんですが、運河沿いにカラフルな木組みの家が建ち並んでいて、可愛いと女性に人気なんですよ」 


「ほお、木組みの家……ヨーロッパっぽい感じですか?」


「そうですそうです! こちらの世界でいうとフランスとかドイツっぽい感じです!」


 女神、詳しいな。


 テレビで見たアンザス地方の美しい街並みを思い浮かべる。

 カラフルな木組みの家かあ。

 一度も海外旅行をしたことのない私には魅力的な提案だった。


「ターコイズは陶器の街としても有名で、たくさんの陶器職人たちがアトリエを構えているんですよ」


 フレイア様はここぞとばかりに推してくる。


「へえ、いいですね」


 今までは安くて丈夫で電子レンジで使える食器ばかり買ってたけど、これからは私ひとりなんだから、少しずつ素敵な器を揃えるのも楽しそう。


「なんなら、その食器を使って食堂やカフェを開いてみては? 素敵なお店を用意しますよ」


「……私が何十年料理を作ってきたと思ってるんですか? 朝昼晩の食事の他、子どもが小さいときは離乳食、大きくなったら三人分のお弁当。知らないと思いますけど、お弁当作りって大変なんですよ。早起きして、痛まないように材料や調理を工夫して、食べ終わったら弁当箱だけじゃなく、箸、箸箱、水筒なんかを毎日三人分洗って乾かさなければならないんです。夏休みなんか一日中何を作るか考えてましたよ」


「そ、そうなんですね」


「ええ。ですから、食堂やカフェなんて絶対やりたくありません!」


「すみません、わたくしが浅はかでした……」


 いけない。フレイア様がシュンとしてしまったわ。強く言い過ぎたかしら。


「いえ、わかっていただければいいんです」


「では、お金持ちの子どもに転生しますか? 親の金で楽して生きられますよ」


「お金持ちというのは惹かれますが、また赤ん坊からやり直すのは嫌です」


「ああ、もうっ! でしたら、はっきりと希望を言ってください!」


 とうとうフレイア様がキレてしまった。

 そろそろ腹をくくるか。


「そうですねえ……そちらの世界、マドモ・アーゼルの成人は何歳ですか?」


「男女とも十六で成人です」


「十六? まだ子どもじゃないですか」


 日本でも成人年齢が引き下げられたとはいえ、私の感覚では成人といえば二十歳だ。お酒だって二十歳にならないと飲めないし……よし、決めた。


「では、二十歳でスタートさせてください」


「わかりました! 性別に希望はありますか?」


「おお、性別も選べるんですね」


 せっかくなので、男性として生きることも考えてみたけど、どうもしっくりこなかった。

 自分の人生を振り返ってみても、女に生まれて後悔したことはないと断言できる。


「女性でお願いします!」

 私は再び同じ性を選んだ。


「二十歳の女性ですね。外見はどうしますか? 金髪碧眼の超絶美形にもできますよ」


 自分が金髪碧眼になった姿が想像できない。超絶美形には憧れるけど、モテすぎてストーカーに付き纏われたりするのはごめんだわ。


 この顔に愛着もあるし、若い頃はそこそこ可愛かったはずだから、このままでもいいかな。


「黒髪黒目って浮いちゃいますか?」


「多くはないですけど、そこまで珍しくはないです」


「ならこのままで。あとはのんびりした生活ができれば」


「でしたら……図書館はどうですか?」


「図書館ですか? 本を読むのは好きですけど、図書館司書みたいな資格はいらないんですか?」


「はい、大丈夫です。では、住居兼仕事場ということでご用意しますね。あと、あなたにしか使えない図書館館長の称号を授けますから、スキルを活用して図書館を運営してください」


「え、司書じゃなくて館長なんですか?」


「もちろんです」


 私が図書館の館長!?

 思いもよらぬ提案に心が躍る。


 高卒では無理だから諦めてたけど、図書館司書は私の憧れの職業だった。まさか今になって夢が叶うなんて。

 いまさら私生活を犠牲にするような働き方はしたくないけど、館長なら自分次第でなんとでもなるわよね。


「家賃は?」


「必要ありません。あなたがあちらの世界にいてくれるだけで世界の均衡が保たれるのですから。では、そろそろ移動しましょうか」


「はい、よろしくお願いします。あの、また会えますか?」


 私が言うと、フレイア様はとろけるような笑みを浮かべた。


「教会に来てくださるのが一番ですが、あなたには面倒でしょうから……図書館の隅にでも、わたくしの像を飾っておいてください。いざというときは、それを通じてお話しますので」


「わかりました。フレイア様そっくりの美しい像をご用意しますね」


「ふふ、楽しみにしています。加護を与えるので、最低でも百年は生きてくださいね。その頃には世界の均衡も安定しているでしょうから。では、異世界マドモ・アーゼルへ参りましょう!」


 そこで私の意識はブチっと切れてしまった。 



読んでいただき、ありがとうございます。

今日はもう一話投稿します。

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― 新着の感想 ―
こんにちは(^^)/ 応援しております。連載頑張って下さいね。 大ヒットしますように( ;∀;)
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