雇用契約
本のある部屋に案内すると、ダイアナさんはブルーグレーの目を輝かせ、本棚に近づいていった。
本の背表紙を見て、ときおり「ひゃあ」とか「おお」とか小さな声を出していたが、利用者は常連の紳士ひとりだけだったので黙認してくれた。
ララとルルが「ダレ」「ダレ」とついて回っていたが、ダイアナさんに妖精が見えないとわかると興味をなくしたようだ。
特別室の中を見せると、ダイアナさんは「鼻血が出そうです」と言って、本当に鼻を抑えていた。意外と面白いひとだ。
「ここで働くようになったら、特別室の本も無料で好きなだけ読めますよ」と囁いたら、「ふわわわわ」と変な声を出していた。
「こども用の部屋は二階に作る予定です」
「増設するの?」
とキャサリンに訊かれた。
実は、二階にバリアを張っているため、いまだにこの図書館は一階建てだと思われているのだ。
私は受付の向かいにあるカモフラージュ用のドアを開けた。
バリアを解くと、目の前に階段が現れた。
「これはいったい……」
キャサリンが目を白黒させている。
「もしかして、館長さんは魔法使いなんですか?」
ダイアナさんに訊かれたので、そうみたいですと答えると「知らなかったわ!」とキャサリンが驚いていた。
そういえば言ってなかったかも。そんなに驚くということは、魔法が使えるひとって思ったより少ないのかな。
興奮冷めやらぬ二人を連れて、折り返しのある階段を上がった。
「わあ、広いですねー」
「ほんと。まだ何も置いてないのね」
私は広いスペースの左奥の方を指差し、彼女たちに言った。
「ここらへんに靴を脱いで過ごせるようなコーナーを作ろうと思ってるんです」
「「靴を脱ぐ⁉」」
二人が声を合わせた。
そりゃあ驚くよね。あっちの世界でも限られた国にしかない習慣だったもの。
「ええ。赤ちゃん連れの方が、マットの上に赤ちゃんを置いて寛げるようにしたいんです」
「まあ、そんなこと考えたこともなかったわ。確かに、ずっと抱っこしてるのは疲れるし、赤ちゃんだって自由に動けたほうがいいわよね」
「それなら子連れの女性たちも気軽に来られますね!」
二人とも貴族なのに、考え方が柔軟で助かる。驚いてはいたが、靴を脱ぐこと自体に拒否感はないようなので安心した。
「あっちに従業員用の部屋を用意するつもりよ」
私は手前にある通路の奥を指さした。
実は、三階を増設し、私の部屋はそちらに移動させてある。同じ階に部屋があると、お互い気詰まりだろうと思ったのだ。
「ここに住めるなんて夢みたいです」
ダイアナさんが目をうるうるさせている。
「だけど、本当にここでいいの? あなたなら、もっと待遇の良い仕事が見つかると思うけど」
そう言いながらも、私はすでに彼女が気に入ってしまったので、ここで働いて欲しいと思っていた。
「いいえ。私はここで働きたいです!」
「それでは、今後ともよろしくお願いしますね。ダイアナさん」
「私のことはダイアナと呼んでください。それに、私は部下なんですから、敬語もやめてください」
「わかったわ、ダイアナ」
「無事に決まって良かったわね」
「キャサリン、いい人を紹介してくれてありがとう」
「ありがとうございます。キャサリンさんのおかげです」
「どういたしまして」
私は作っておいた契約書の内容を説明した。
「就業時間は午前十時から午後六時まで。図書館は五時で閉館するので、六時までは片付けや翌日の準備にあててください。休館日が図書館員の休みになります。休日出勤の場合は、休日手当か振替休日か、どちらかを選んでください。希望があれば長期休暇も検討します。低くて申し訳ないのですが、賃金はこれくらいで……」
経営者として恥ずかしくなるような数字だが、彼女は文句も言わずにうなずいてくれた。
なんていい子なの。儲かったらボーナスを弾まなきゃ!
「休憩時間は二時間ずつ交代でとりましょう。食堂はないので食事は自分で用意してください。業務内容は主に本の貸し出しだけど、小さい子が困っているときは世話をして欲しいの。大丈夫かしら?」
「時々、姉の子の世話をしていたので大丈夫だと思います」
「だったら安心ね。何か質問はある?」
「あの、館長さんっておいくつなんですか?」
「二十歳よ」
「そんなに若いのに館長になれたのは、魔法使いだからですか?」
「ちょっと、ダイアナ! そんなこと訊いちゃ駄目よ」
「あ、すいません」
キャサリンに注意されて、ダイアナの顔が青くなる。
「いいのよ。疑問に思ったことは何でも訊いてちょうだい。だけど、私がこの図書館の館長になったのは、ある方に頼まれたとしか言えないの。まだこの土地にも慣れてないから、わからないことは教えてくれると助かるわ」
「もちろんです。わたしにできることなら何でも言ってください!」
「頼りにしてるわね。それから、最後に大事なことなんだけど、契約すると私の魔法や図書館の秘密については、話そうとしても話せなくなるの。それでもよければサインしてちょうだい」
このペナルティは、私がこの世界で目立たず生きていくために必要なこと。それが嫌だというなら諦めるしかない。
「問題ありません」
ダイアナがサインをすると、ナビの声が聞こえた。
『雇用契約が成立したので、労働者は雇用主のスキルの一部を使えるようになりました』
「そうなの⁉」
私が大声を出したので二人が驚いた顔をしている。
「ごめんなさい、なんでもないの」
あとでナビに詳しく訊こう。
「それで、いつから働ける?」
「色々と準備もあるので……次の休館日に引っ越してきてもいいですか?」
「三日後ね。いいわ、それまでにお部屋の準備をしておくわね。狭いから必要なものだけ持ってきてちょうだい」
「わかりました。では、これで失礼します」
***
キャサリンとダイアナが帰ってから、ナビに話を聞いた。
妖精との契約ほどではないが、雇用契約を結んだことで、ダイアナが私のスキルの一部を使えるようになったそうだ。
「そのスキルって、契約を解除したら使えなくなるの?」
『ハイ、そうです』
「なら、悪用されることはないわね。まあ、ダイアナなら心配ないだろうけど」
三日後、ダイアナは図書館に引っ越してきた。
大きな荷馬車には、ベッドや洋服ダンスや鏡台などが積み込まれている。
結局、半分ほど部屋に入りきれなかったので、そのまま持って帰ってもらうことになった。
「狭くてごめんなさいね」
「そんな! わたしの考えが至らなかったせいですから。素敵なお部屋で嬉しいです」
きっと、わたしには想像もつかないような広い家に住んでいたんだろうな。
ダイアナの1DKの部屋は、豪華な家具と洋服でいっぱいになった。
「もう少し動きやすい服装を揃えなければいけませんね」
クローゼットを覗き込んだダイアナが、眉をひそめて呟く。
「荷物が片付いたら少し話をしましょう。私は下にいるから声をかけてちょうだい。急がなくていいから」
「はい。ありがとうございます」
ララとルルと一緒に本を整理していると、ダイアナが下りてきた。
「もういいの?」
「はい、大丈夫です」
「実は、私も知らなかったんだけど、雇用契約をしたことで私のスキルの一部をあなたも使えるようになったんですって。どうする? 使う?」
「えっと……たとえば、どのようなスキルが?」
「そうねえ。たとえば、この図書館には本の妖精が住んでるんだけど〈妖精が見える目〉というスキルがあれば、その妖精が見えるようになるわ」
「本の妖精⁉ 見たい! 見たいです! ください、スキル!!」
「わ、わかったわ」
すごい勢いね。そんなに食いつくとは思わなかったわ。
「ナビ、お願い」
『スキル〈妖精が見える目〉を労働者ダイアナ・ミュラーに授けます』
「終わったわよ」
「え、もう? 特に変わった感じはしないのですが……」
「ダイアナ、上を見て」
「上……? ひゃあ!」
上を見上げたダイアナが悲鳴を上げる。
どうやら妖精たちと目が合ったらしい。
「ミエタ!」
「ミエタ!」
ララとルルが興奮して飛び回っている。自分たちの姿が見える人間が増えて嬉しいのだろう。
「こ、これが本の妖精? なんて綺麗なの……」
「ララ キレイ!」
「ルルモ キレイ!」
「良かったわね、褒めてもらえて。ダイアナ、薄い黄色の羽のほうがララ、薄いオレンジ色のほうがルルよ」
「ララちゃんとルルちゃん……わたしはダイアナです。これからここで働くのでよろしくお願いします!」
「ダイアナ」
「ヨロシクー」
「まさか、妖精が見られる日が来るなんて……」
感激して涙ぐむダイアナに私は言った。
「これからは一緒に働くんだから早く慣れてね」
「はい! 粉骨砕身、がんばります!」
「固い固い」
「カタイ」
「カタイ」
ララとルルが私の真似をすると、ダイアナが楽しそうに笑った。




