少年リュカ
異世界で経験する初めての夏。
汗はかくけど異常な暑さではない。地球と違って温暖化の心配はなさそうだ。
図書館の周りを散歩をするひとを見かけると、水分補給はちゃんとしてるのか心配になる。この世界、果物を絞ったジュースはあるけど、経口飲料水がないのよね。
木陰で休憩してもらおうといくつかベンチを置いたから、少しはマシかな。身体が良くなるようにここに散歩に来てるのに、具合が悪くなったらフレイア様のご利益が疑われちゃうものね。
今日も、汗だくになった男の子が図書館の外にしゃがみ込んでいたから「何か飲んだほうがいいよ」と連れてきてしまった。
〈祈りの部屋〉の長椅子に座らせ、飲み物をあげると、
「なに、これ? あまぁい」
男の子が大きな目を見開いた。はしばみ色っていうのかな。黄色がかった薄茶色の綺麗な目だ。
「ふふ。実はこれ、私が作ったの」
「おねえちゃんが? すごいねえ」
お姉ちゃん! 新鮮な響き。
書きためていたレシピノートのなかに経口飲料水があったから、レモンをたっぷり入れて作ってみたんだ。結構、砂糖が入ってるから飲みすぎ注意だけど。
「なかにはいったのはじめて。ここ、すずしいね」
そうでしょそうでしょ。なにしろ、全館冷暖房完備ですから。フレイア様に感謝を!
「しばらくここに座って涼んでて」
「うん」
男の子はボーッとフレイア様の像を見ている。親は一緒じゃないのかな。
暇つぶしに本を持ってきてあげようと思ったけど、貴族じゃなさそうだから、たぶん字は読めないよね。
「ねえ、ナビ。インベントリに小さな子が見て喜びそうな本はないの?」
この世界に絵本がないのは確認済みだ。
『図鑑ならあります』
「じゃあ、それでいいか。ララ、ルル!」
「ナニー」
「ヨンダ?」
「あまり読まれてない本を二、三冊持ってきて。交換したいの」
「イイヨ」
「モッテクル」
二人は競うように飛んでいった。
男の子の様子が見えるように〈祈りの部屋〉のドアは開けっ放しにしてある。
どうやらさっきよりは顔色が良さそうね。
「モッテキタ」
「コレモ」
「ありがとう。助かったわ」
受付の奥の部屋でナビに交渉する。
「この本を子どもが好きそうな図鑑と交換して」
『了解しました』
目の前の二冊が消え、動物図鑑と妖精図鑑が現れた。
「良いチョイスね」
「ルル!」
「ララ!」
ララとルルが興奮して妖精図鑑を指差した。表紙に妖精の絵が描いてあるから気になったのだろう。
「そうね。あなたたちも載ってるかもしれないから、あとで見せてあげるわ」
(あの子が興味を持ってくれるといいけど)
私は図鑑を持って〈祈りの部屋〉にいる男の子に声をかけた。
「具合はどう?」
「もう、へいき」
「良かった。これ、何の本かわかる?」
「あっ、どうぶつのほんだ! こっちは……ようせい?」
「そうよ。どっちも本物そっくりの絵が描いてあるの。見たい?」
「みたい!」
「誰もいないから、ここでゆっくり見てていいわよ」
「うん」
男の子は動物図鑑を手に取った。ページをめくる目が輝いている。
しばらくは放っておいてもよさそうね。
それから急に忙しくなった。
アルベールさんが新人騎士を紹介してくれたり、初めて来館したひとに特別室のことを説明したりとバタバタしていた。
だから、気づかなかったのだ。
――アン! ホンガ!
――トラレル!
ララとルルの悲鳴のような声が聞こえた。
驚いて振り返ると、男の子が図鑑を抱えたまま、図書館の外に出ていくのが見えた。
え……なんであの子が……?
追いかけなきゃいけないのに、目の前の光景が信じられず、頭が混乱している。
棒立ちになった私の肩に誰かが手を置いた。
「俺が行くから」
「アルベールさん……」
いつのまにそばに来てたんだろう。
アルベールさんは男の子を追いかけて図書館の外に飛び出した。ものすごい速さで走っていくが、男の子はすでに門の手前にいる。
「オイツケー!」
「トリカエセー!」
ララとルルが妖精らしからぬ声で叫んでいる。相当怒っているのだろう。
あと少しで追いつくというところで、男の子が本を抱えたまま門の外に出てしまった。
その瞬間――彼の手から本が消えた。
男の子はキョトンとした顔で自分の手を見ている。なにが起きたかわからないのだろう。
キョロキョロとまわりを見て、門の向こうに落ちている本を見つけた。急いで取りに行こうとしたが、何かに当たってはじき飛ばされた。
「いたっ……うわーん! いたーい! いたいよお。ママーッ!」
「ああ、なんてこと……」
本を盗むのは図書館にとって大罪。あの子はもう二度と図書館に入ることができなくなった。
アルベールさんが男の子を抱き上げ、私を見た。
私は本を拾い、重い足取りで門の外に出た。
***
セルジュさんに留守番を任せて、私は騎士団の詰所に同行した。
国内にはこういう詰所が何十か所もあり、ここで仮眠したり、容疑者に話を聞いたりするらしい。日本でいう交番みたいなものかな。
男の子は泣きながら医師に診察されている。どうやら軽い打ち身で済んだようなのでほっとした。
「大丈夫か?」
アルベールさんは、男の子ではなく私に声をかけた。
「ひどい顔色だぞ」
「……大丈夫です」
ショックで血の気が引いているだけ。まさか、あの子が本を盗むなんて思わなかったから。
詰所にはジョディさんという逞しい身体つきの女性騎士もいた。
「きみの名まえを教えてくれる?」
彼女は優しい声で男の子に訊いた。
「……リュカ」
「リュカくんね。リュカくんは、どうして黙って本を持っていっちゃったの?」
「ドロシーにみせようとおもったから」
「ドロシーって?」
「ぼくのいもうと」
「そう。でも、本は図書館の物だから、勝手に持っていっちゃダメなのよ」
「そうなの?」
「知らなかった?」
「うん。ドロシーにみせたら、すぐかえせばいいとおもったの」
「そう……」
ジョディさんが助けを求めるように私を見た。
こう言ってるけど、どうする? そう訊かれているような気がした。
「知らなかったのなら、しょうがないわね……」
リュカくんではなく、ちゃんと躾をしなかった親の責任だろう。
「ドロシーちゃんを図書館に連れてこようとは思わなかったの?」
気になったので訊いてみると、
「ドロシーはびょうきだから、おそとにでられないんだ」
リュカくんは悲しそうな表情で答えた。
「病気?」
「ずっとセキがでてて、おネツもあるの。だから、きれいなえをみたら、げんきになるとおもって」
「そう……お医者さんには診てもらった?」
「ううん、おかねがかかるからダメだって」
よく見ると、彼の服はツギハギだらけでズボンの裾が擦り切れていた。
「アルベールさん、あの――」
「大丈夫だ。騎士団の医師を向かわせよう。リュカ、ドロシーのところへ連れて行ってくれるかい? お医者さんも一緒だよ」
「でも……」
リュカくんの顔が曇る。
「お金のことは心配いらないよ。困ったひとを助けるのが騎士団の仕事だからね」
「ほんと? だったらつれてってあげる」
「ありがとう。クロード先生、いいですか?」
「ああ。わたしが行こう」
クロードという老医師を連れて、アルベールさんがリュカくんの家に向かうことになった。
「アン、後は俺たちに任せてくれ」
「はい……よろしくお願いします」
あの子は本を盗もうとしたわけじゃない。病気の妹に見せて、元気づけたかっただけなんだ。
「アルベールさん! この本も持っていってください」
「いいのか? 大事な本なのに」
「ええ。私が触ったせいか、本も図書館に戻りませんし、ドロシーちゃんが元気になるまで貸してあげることにします」
「悪いな、ありがとう」
そう言うと、再びリュカくんを抱き上げた。
遠ざかっていく彼らを見つめながら、私はどうすればいいのか途方に暮れていた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!
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