五話:プリン
「……で、ここが俺の屋敷だ」
玄関ホールに足を踏み入れながら、軽く言う。
「……」
シルフィアは、ふわりと宙に浮いたまま、周囲を見回していた。
高い天井。
整えられた空間。
自分の何倍もある柱や扉に囲まれているせいか、その小さな身体は余計に頼りなく見える。
――まだ、完全には気を許していない。
「……広い」
ぽつりと呟く。
「まあな」
適当に返す。
そこで、ふと思い出した。
「そういえば」
視線を上げる。
「約束してたな」
「……?」
「帰ったら、何か食わせるって」
「……あ」
一瞬、目を見開く。
どうやら忘れていたらしい。
「レイナ」
「はい」
「せっかくだし、この前新しく考えたあのお菓子を持ってきてくれ」
「承知しました」
レイナは一礼して、そのまま静かに立ち去る。
「……ほんとに、くれるの?」
シルフィアが、小さく聞く。
宙に浮いたまま、こちらをじっと見ていた。
「だから言っただろ」
「……」
「約束は守る」
それだけだ。
「……」
一瞬、言葉を失ったように黙る。
それから――
「……変な人間」
ぽつりと呟いた。
「よく言われる」
「……」
くすり、と。
ほんの少しだけ、笑った気がした。
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しばらくして。
レイナが戻ってくる。
「お持ちしました」
机の上に置かれたのは、小さな皿。
……いや。
人間にとっては“普通サイズ”の皿だ。
だが――
「……大きい」
シルフィアが、ぽつりと呟く。
その視線の先。
自分の身体よりも大きな器の上に、淡い黄色の菓子が揺れていた。
「……なにこれ」
「さあな。食ってみろ」
スプーンを差し出す。
「……」
少しだけ躊躇う。
だが――
ふわりと机の上に降りる……ことはなく。
宙に浮いたまま、そっと近づいてくる。
小さな手でスプーンを握り。
慎重に、すくう。
――その動作すら、どこかぎこちない。
口へ。
「――……っ」
止まる。
「……なに、これ」
ぽつりと呟く。
もう一口。
今度は、さっきよりも大きく。
「……あまい」
目が、わずかに見開かれる。
「……やわらかい」
舌の上で、すっと溶けていく感覚。
「……おいしい」
はっきりと、そう言った。
次の瞬間。
その動きが変わる。
迷いが消える。
スプーンを握る手が速くなる。
宙に浮いたまま、夢中で食べ始める。
小さな身体に似合わず、勢いよく。
「ふふっ」
その様子を見て、リリアナが嬉しそうに笑った。
「それ、プリンっていうんです!」
「ぷりん……」
口に運びながら、言葉を繰り返す。
もう止まらない。
「お兄さまが考えたお菓子なんですよ。私もこの前初めて食べましたがすごく美味しかったです。」
「……え?」
ぴたりと、動きが止まる。
スプーンを持ったまま、ゆっくりとこちらを見る。
「……あなたが?」
「ああ」
短く答える。
それ以上は言わない。
「……」
シルフィアはしばらく黙ったまま。
皿と、俺とを交互に見て。
自分の何倍もあるその器と、そこに盛られた甘味。
そして、それを考えた人間。
「……すごい」
ぽつりと呟く。
「こんなの……初めて」
また一口。
今度は、少し味わうように。
「……おいしい」
さっきよりも、柔らかい声で。
「……人間でも、こういうの作るんだ」
「まあな」
「……」
じっと、こちらを見る。
さっきまでとは違う視線。
警戒ではない。
――興味と、少しの信頼。
「……ちょっと見直した」
「そうか」
「ほんのちょっとだけ」
「はいはい」
「……でも」
スプーンを握ったまま、小さく言う。
「……ありがとう」
今度は、はっきりと。
俺に向けて。
そう言った。
――その様子を。
リリアナが、嬉しそうに見守っていた。
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やがて。
スプーンの動きが、ふっと止まる。
「……あ」
小さな声。
気づけば――皿の中は、空になっていた。
ついさっきまで、あれほどあったはずの甘い塊は、跡形もなく消えている。
「……」
シルフィアは、その場でぴたりと動きを止めた。
宙に浮いたまま。
ただじっと、皿を見つめている。
自分の何倍もある白い器。
その縁に、そっと手をかけて――
中を覗き込む。
「……ない」
ぽつりと、呟く。
もう一度、覗く。
当然、何もない。
「……」
無言のまま。
指先で、器のふちをなぞる。
まるで、まだ残っているかもしれない何かを探すように。
ほんの少しだけ。
名残惜しそうに。
「……もう、終わり?」
こちらを振り返る。
どこか信じられない、という顔で。
「当たり前だろ。食いきったんだから」
「……」
しばらく沈黙。
それから――
「……もう一回」
ぼそっと呟いた。
「無理だ」
「……」
ぴたりと固まる。
そして再び、皿へと視線を落とす。
未練がましく。
名残惜しそうに。
じっと。
「……」
その様子を見て、リリアナがくすっと笑う。
「気に入ってもらえたみたいですね」
「……気に入った」
小さく頷く。
視線は、まだ皿のままだった。
「すごく」
ぽつりと付け足す。
その声は――
さっきよりも、ずっと素直だった。
――小さな精霊は。
空になった皿を、いつまでも名残惜しそうに見つめていた。




