二話:街
「というわけで、久しぶりに街に行きたいから案内してくれない?」
「はぁ、また急ですね……今度は何を思いついたんですか?」
めんどくさそうにため息をつくのは、俺の専属メイド、レイナだ。
「いや〜、ちょっと魔力トレーニングの限界が見えてきてね……外の世界が気になったんだよ」
「まだあれやってたんですか。あんな拷問みたいなこと」
「拷問って……」
魔力を解放して脅し、レイナが本性を明かした時、なぜそんなに魔力量が多いのかと聞かれた。
そして一度だけ、一緒にトレーニングをやらせたことがある。
「普通の人間なら三日で倒れますよ、あれ。よく毎日続けられますね」
「慣れればなんとかなるって」
「その“慣れ”に至る前に、大抵の人はやめるんですけどね」
ぐうの音も出ない。
「でも、一緒にやったとき、レイナの魔力量も少し伸びただろ?」
「ええ、まぁ……誤差レベルですけど」
「一日で見ればな。でも、それを十年続けたらどうなると思う?」
「さあ? 普通の人はそこまで無駄な努力を続けませんから」
「ひどいな」
「事実です。……まぁ」
レイナは一瞬だけ言葉を区切り、
「そこまで続けられるのは、少しだけ評価してますけど」
「お、デレた?」
「調子に乗らないでください。取り消しますよ」
「はいはい」
「それで? 街に行くんですよね?」
「ああ。貴族ってバレたら面倒だし、変装して行こう。準備頼む」
「言われなくてもやりますよ。あなたが外で問題を起こす前に対処しないといけませんから」
「俺、そんなトラブルメーカー?」
「自覚なかったんですか?」
「……なかった」
「でしょうね。だから私がいるんです」
「頼りにしてるよ、レイナ」
「はぁ、めんど……」
そう言って、レイナは準備に向かった。
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準備を終えたレイナと共に廊下を歩いていると。
――ぱたぱたと、小さな足音が聞こえた。
「お兄さま!」
振り向くと、そこにいたのは。
白銀に近い淡い髪を揺らしながら、こちらに駆け寄ってくる少女。
柔らかく広がるドレスの裾を両手で少し持ち上げ、一生懸命に走っている。
……相変わらず元気だな。
「走るな。転ぶぞ」
「えへへ、ごめんなさい」
少し息を弾ませながら、嬉しそうに笑う。
紫がかった瞳が、きらきらと輝いていた。
――リリアナだ。
「どうしたんだ?」
「うん、ちょっと廊下を歩いてただけ」
楽しそうに答える。
特に変わった様子もない。
「お兄さまは?」
「これから街に行く」
そう言うと、リリアナは目を少し丸くした。
「……街に?」
「ああ」
「そっか」
小さく頷いてから、ふわっと笑う。
「お兄さまが街に行くなんて、珍しいですね」
「まあな」
「じゃあ――」
にこっと笑って。
「楽しんできてくださいね」
明るい声だった。
いつも通りの、何の曇りもない笑顔。
「……お前は来るか?」
なんとなく聞いてみる。
するとリリアナは、少しだけ考えるようにしてから、
「ううん、私はいいです」
あっさりと答えた。
「私がいたら、気を遣わせちゃいますし」
「別にそんなことは――」
「大丈夫ですよ」
やんわりと遮られる。
「私はここにいる方が好きですし」
そう言って、軽く肩をすくめた。
「お兄さまの話、後で聞かせてくださいね」
「ああ、それくらいならいくらでも」
「楽しみにしてます」
嬉しそうに微笑む。
「いってらっしゃいませ、お兄さま」
小さく頭を下げる。
まだ少しぎこちない仕草だが、本人は気にしていない様子だ。
「気をつけてくださいね」
「ああ」
短く返す。
リリアナはそのまま、くるりと背を向けて。
ぱたぱたと軽い足音を立てながら去っていく。
リリアナの姿が見えなくなってから、
「よし、じゃあ変装に着替えて街に行くか」
「……はい」
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街は、思っていたよりも騒がしかった。
人の声。
笑い声。
硬貨の触れ合う音。
どれもが混ざり合って、妙な熱気を作り出している。
「……こんな感じなのか」
「初めてですか?」
隣を歩くレイナが、呆れたように言う。
「まあな」
視線を巡らせる。
店が並び、人が行き交う。
一見すれば、普通の街だ。
――だが。
「……なんか、変だな」
「何がですか?」
「いや……分からん」
言葉にできない違和感。
だが確実に、何かが引っかかる。
そんな時だった。
――……たす、けて……
ふと。
耳の奥で、かすかな声がした。
「……ん?」
「どうしました?」
「いや、今……」
気のせいか――?
だが、もう一度。
――……ここ……
「……レイナ」
「はい」
「ちょっと裏、行くぞ」
「は?」
返事も待たず、足を向ける。
人通りの少ない路地裏へ。
光が届かず、空気が一気に淀む。
……さっきまでの賑やかさが嘘みたいだ。
「こんなところに何が――」
レイナが言いかけた、その時。
――見つけた。
地面に置かれた、大きなガラス瓶。
鎖で封じられ、重しが乗せられている。
そして、その中に――
「……なんだ、これ」
少女がいた。
いや、人間じゃない。
透き通るような肌。
淡い光を纏う髪。
小さな体。
――精霊。
その少女は、瓶の内側からこちらを見ていた。




