二十三話:開拓
翌朝。
アルセリア平原に、朝日が差し込んだ。
風が草を撫で、昨日の焚き火の跡から、かすかに煙が上がっている。
数百人。
昨日まで奴隷だった者たちは、まだ戸惑いを残したまま、身を寄せ合って眠っていた。
だが――昨日とは違う。
腹には、食べ物が入っている。
ここにいていいと言われた。
そして、自分たちで作れと言われた。
それだけで、人間の目は変わる。
「……始めるか」
レオンは小さく呟いた。
肩の上では、シルフィアが眠そうに目をこすっている。
「ん……もう朝?」
「ああ」
「人間って大変だね。昨日あんなに働いて、今日も働くんだ」
「生きるってそういうもんだ」
「ふーん」
シルフィアは肩の上で足をぷらぷらさせながら、平原を見渡した。
「あれ? ノクティアは?」
「別件だ」
「別件?」
「あいつには、ちょっとしたお使いを頼んである」
「へぇ……黒竜にお使い頼む人間、初めて見た」
「便利だからな」
「本人が聞いたら怒るよ?」
「怒らせとけ」
シルフィアは呆れたようにため息をついた。
「ほんと、レオンってたまに怖いよね」
「今さらだろ」
「まあね」
そんなやり取りをしていると、少し離れた場所で、誰かが起き上がった。
シエルだった。
白銀の髪に、猫のような耳。
昨夜、最初にレオンへ歩み寄った少女。
彼女は周囲を警戒するように見回してから、こちらに気づいた。
「……」
目が合う。
だが近づいてはこない。
猫のように、一定の距離を保ったまま、じっと見ている。
「起きたなら動け」
「……命令?」
「指示だ」
「……ふーん」
シエルは少しだけ目を細めたあと、立ち上がった。
素直ではない。
だが、逃げない。
それで十分だった。
レオンは周囲を見渡す。
まだ拠点とは呼べない。
寝床もない。
水場も安定していない。
畑もない。
あるのは人と、火の跡と、昨日の意思だけだ。
「全員、聞け」
声を上げる。
ざわめきが止まる。
数百の視線が集まる。
まだ不安そうな者もいる。
だが、昨日のように完全に怯えているだけではない。
「今日は三つやる」
レオンは指を立てた。
「水場の確認」
二本目。
「寝る場所の確保」
三本目。
「畑に使えそうな土地の確認」
畑、という言葉に、何人かが反応した。
生きるための場所。
食べ続けるための仕組み。
その意味が、彼らにも分かったのだろう。
「倒れる前に休め。無理して死なれても困る」
その言葉に、一瞬だけ妙な沈黙が落ちた。
休め。
それは、彼らにとって聞き慣れない命令だった。
死ぬまで使われる。
壊れたら捨てられる。
それが当たり前だった者たちには、理解しづらい言葉だった。
「……休んでも、いいんですか?」
控えめな声。
淡い髪の少女が、胸元に手を添えながらこちらを見る。
自分のためではない。
周囲の弱った者たちを見ている。
「お前、名前は」
「……フィリア、です」
「フィリア。お前は動けない者を見ろ」
「……私が、ですか?」
「ああ。倒れたら作業が止まる。だから、倒れる前に止めろ」
「……はい」
フィリアは小さく頷いた。
そしてすぐに周囲へ向き直る。
「顔色が悪い人は、こちらへ来てください。昨日あまり食べられなかった人も、無理しないでくださいね」
柔らかな声。
押しつけがましくない。
だが、不思議と逆らいにくい。
何人かが、おずおずと彼女の近くへ集まっていく。
(フィリアは放っておいても人を支えるな)
レオンは内心で評価した。
優しいだけではない。
必要なものに気づける。
それは集団にとって、かなり使える。
「アークレイド様!」
次に響いたのは、明るい声だった。
オレンジ色の髪を揺らした少女が、片手を元気よく上げている。
「お前は」
「ルミナです!」
聞く前に名乗った。
「水場探し、私行きます!」
「理由は」
「楽しそうだからです!」
「……」
レオンは一瞬、黙った。
この状況で、それを言うか。
昨日まで奴隷だった。
今も何もない平原にいる。
これから始まるのは、重労働だ。
それを楽しそうと言う。
「お前、よくこの状況で前向きになれるな」
「え? だって昨日より良くなってますよ?」
ルミナは当然のように笑った。
「昨日は何もなかったです。でも今日は、ご飯も食べました。やることもあります。だったら昨日よりいいです!」
あまりに真っ直ぐだった。
強がりではない。
無理に笑っているわけでもない。
本気でそう思っている。
(……理解できないな)
だが、その明るさは周囲に伝染していた。
暗かった空気が、少しだけ軽くなる。
「分かった。水場を探せ。ただし単独では動くな」
「了解です!」
ルミナはすぐに近くの数人へ声をかけた。
「一緒に行こう! 水見つけたら勝ちだよ!」
「勝ちってなんだよ……」
「でも、行くか」
人が動き出す。
たった一人の明るさで、流れが生まれる。
「……騒がしいですね」
静かな声。
長い髪を軽く束ねた少女が、すでに周囲を観察していた。
その目は冷静だ。
誰が動けるか。
誰が怯えているか。
誰が指示を理解しているか。
何も言わずに、全部見ている。
「お前、名前は」
「……ルシアです」
「何か気づいたか」
「このままだと、動ける人に作業が偏ります」
即答だった。
「体力がある者、軽作業ならできる者、休ませるべき者に分けた方がいいです。全員を同じように動かすと、夕方には崩れます」
「続けろ」
「まず水場と仮寝床。畑の確認は午後でもいいです。疲れた状態で土を見ても、判断を誤ります」
正しい。
レオンは軽く頷いた。
「なら、お前が分けろ」
「私がですか?」
「できるだろ」
「……できます」
一瞬だけ、ルシアの目が細くなる。
「任せるんですか?」
「任せるんじゃない。使う」
「……そうですか」
なぜか、少しだけ笑った。
「その言い方の方が信用できます」
そして彼女は振り返った。
「動ける人は三列に分かれてください。体力に余裕がある人は右。軽作業ならできる人は中央。体調が悪い人は左です。無理をして右に行かないこと。倒れれば、周りの負担が増えます」
声は大きくない。
だが通る。
自然と人が従う。
(元は、それなりに人を動かす側にいたか)
奴隷に落ちても、立ち方は消えない。
ルシアは使える。
そう判断したところで、シルフィアが肩の上から小声で言った。
「ねぇ、レオン」
「なんだ」
「あの子たち、昨日より顔が違うね」
「ああ」
「人間って、ご飯食べて寝るだけで変わるんだね」
「それが普通だ」
「……普通って、すごいんだね」
シルフィアの声は、少しだけ静かだった。
レオンは答えない。
ただ、動き始めた人間たちを見ていた。
水を探す者。
体調の悪い者を支える者。
木を集める者。
まだ拙い。
まだ遅い。
だが――確かに動いている。
その時、森の方へ向かう小さな影があった。
黒髪の少女。
足音がほとんどない。
草の上を歩いているはずなのに、気配が薄すぎた。
「おい」
レオンが声をかける。
少女は足を止めた。
「名前は」
「……リゼ」
「どこへ行く」
「周囲を見る」
「一人でか」
「一人の方が早い」
「危険があれば戻れ」
「……危険があれば、消す」
「戻れ」
少しだけ沈黙。
「……了解」
リゼはそれ以上何も言わず、森の影へ溶けるように消えた。
近くにいた者たちがざわつく。
「今の子、どこ行った……?」
「見えなかったぞ……」
シルフィアが肩の上で目を丸くする。
「あの子、精霊じゃないよね?」
「人間だ」
「人間ってたまに変なのいるね」
「お前に言われたくはないだろうな」
シルフィアは頬を膨らませた。
「私は可愛い精霊だから変じゃないもん」
「はいはい」
「雑!」
そんなやり取りをしていると、少し離れたところで、獣人の少女が元気よく手を上げていた。
「アークレイド様! 私は何をすればいいですか!」
「お前は」
「セラフィナです!」
犬のように真っ直ぐな目。
期待に満ちた顔。
このまま放っておくと、命令されるまでずっと待っていそうだ。
「フィリアを手伝え」
「はいっ!」
即答。
セラフィナは嬉しそうにフィリアのもとへ駆けていく。
「フィリアさん! 私、手伝います!」
「え、あ、ありがとうございます」
「なんでも言ってください! 頑張ります!」
その勢いにフィリアが少し困ったように笑う。
それを見て、少し離れた場所にいたシエルがぼそりと呟いた。
「……犬みたい」
「聞こえてますよ!?」
「聞こえるように言った」
「ひどいです!」
小さな笑いが起きた。
昨日まで怯えていた者たちの間に。
確かに、笑いが生まれた。
(悪くない)
レオンはその空気を見て、そう判断する。
恐怖だけで人は動く。
だが、続かない。
ここに必要なのは、継続する仕組みだ。
「シエル」
「……なに」
「水場組に行け。耳と鼻が利くだろ」
「……命令?」
「指示だ」
「ふーん」
不満そうに見せながらも、シエルは素直に歩き出した。
「別に、あんたのためじゃないから」
「何も言ってない」
「……うるさい」
その距離感。
近づきすぎず、離れすぎず。
猫そのものだ。
やがて、水場を探す組、寝床を作る組、体調を整える組に分かれていく。
混乱はまだある。
だが、昨日のような無秩序ではない。
流れができつつあった。
その時、背後から控えめな声がした。
「あ、あの……」
振り返ると、長い耳を伏せるようにした少女が立っていた。
薄い金色の髪が朝日に透け、両手は胸の前で強く握られている。
声は小さい。
視線も合わない。
だが、自分から来た。
「名前は」
「……アルティナ、です」
「何ができる」
「木とか、草とか……少し、分かります」
エルフ。
自然に近い種族。
なら使える。
「水場組に合流しろ。畑に向く場所を見ろ」
「は、はい……!」
アルティナは顔を上げた。
ほんの少しだけ嬉しそうに。
だが、レオンと目が合った瞬間に真っ赤になり、慌てて俯いた。
「い、行ってきます……!」
小走りで去っていく。
「……あの子、可愛いね」
シルフィアが言う。
「使えるかどうかだ」
「レオンってほんとそういうとこあるよね」
「なんだ」
「女の子が照れてるのに、感想が“使えるかどうか”なの、ちょっとどうかと思う」
「必要な判断だ」
「はいはい」
シルフィアは呆れながらも、少し楽しそうだった。
開拓は始まったばかり。
水も、寝床も、畑も、何も安定していない。
だが、人が動いている。
声が生まれている。
役割が自然とできつつある。
何もなかった平原に、初めて“生活”の気配が芽吹いていた。
レオンは、広がる草原の先を見た。
遠くには森。
その向こうには、ヴァルディス侯爵領。
屋敷。
父。
兄。
そして――リリアナ。
(……あっちは、どう誤魔化すかだな)
昼はここにいる。
だが、屋敷の生活も完全には捨てられない。
むしろ、捨てれば父に怪しまれる。
だから戻る必要がある。
何事もなかったように。
「……めんどくせえな」
「何が?」
「二重生活だ」
「レオンって、なんか楽しそうに面倒ごと増やすよね」
「増やしたくて増やしてるわけじゃない」
「ほんとかなぁ」
シルフィアは疑わしげにこちらを見る。
レオンは答えなかった。
ただ、動き始めた人々を見ていた。
まだ小さい。
まだ弱い。
だが――ここから育つ。
この場所も。
この人間たちも。
そして、アークレイドという名も。
この日、アルセリア平原の開拓は、本当の意味で始まった。
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