二十二話:食事
“勢力”が生まれた。
だが――
それは、まだ形だけだ。
空気は変わった。
意志も生まれた。
だが現実は――変わっていない。
痩せた身体。
空腹。
疲労。
それを、レオンは見ていた。
「……」
一拍。
静かに口を開く。
「まずは――」
視線が、全員をなぞる。
「飯だ」
その一言。
それだけで――
場が止まった。
「……は?」
「飯……?」
小さなざわめき。
だが、それは理解ではない。
困惑だ。
意味が分からない。
ここで、なぜそれが出てくるのか。
「お前ら、何日食ってない」
誰も答えない。
答えられない。
沈黙が、そのまま答えだった。
「……だろうな」
レオンは淡々と頷く。
そして。
「ノクティア」
「なんじゃ」
「狩れるか」
一瞬の間もなく。
「当然じゃ」
口元を歪める。
次の瞬間――
黒い影が、風のように消えた。
残された者たちは、ただ立ち尽くす。
何が起きるのか分からないまま。
だが、レオンは動いた。
「動けるやつ、前に出ろ」
命令。
短く。
無駄がない。
数人が、戸惑いながらも前に出る。
「火を起こせ」
「石を集めろ」
「水がある場所を探せ」
次々に指示が飛ぶ。
的確に。
迷いなく。
最初はぎこちない。
だが――
動き始める。
人が、動く。
それだけで、空気は変わる。
やがて。
風が揺れる。
空気が震える。
そして――
“それ”は、落ちてきた。
ドン、と音を立てて。
巨大な魔物の死体。
まだ温かい。
血の匂いが、風に混じる。
「……これで足りるじゃろ」
ノクティアが、何事もなかったかのように言う。
「十分だ」
レオンは即答する。
「解体できるやつ、来い」
数人が動く。
慣れている者もいる。
手つきが違う。
「火を強くしろ」
「鍋を作れ」
「煮ろ」
指示が飛ぶ。
無駄がない。
すべてが繋がっている。
しばらくして。
音が変わる。
肉が焼ける音。
油が弾ける。
湯が沸く。
スープの匂いが、風に乗る。
それだけで――
場の空気が、変わる。
誰かの腹が鳴る。
一人じゃない。
あちこちから。
隠せない。
抑えられない。
それでも――
誰も手を出さない。
視線が揺れる。
疑っている。
当然だ。
「……食え」
レオンが言う。
だが。
動かない。
誰も。
信じられない。
それが“普通”だからだ。
その時。
「……食べる」
小さな声。
シエルだった。
前に出る。
まだ少し震えている足。
だが――止まらない。
器を取る。
両手で。
一口。
口に運ぶ。
「……っ」
止まる。
全員が見ている。
息を止めて。
次の瞬間。
ぽろり、と。
涙が落ちた。
「……あったかい」
かすれた声。
もう一口。
食べる。
止まらない。
夢中で。
まるで、奪うように。
だが――
そこにあるのは、飢えだけじゃない。
安堵だった。
それを見て。
一人。
また一人。
手を伸ばす。
恐る恐る。
だが確実に。
そして――
やがて。
全員が、食べ始める。
無言で。
必死に。
噛みしめるように。
その光景を。
レオンは、ただ見ていた。
動かない。
語らない。
ただ――
見ている。
「……それが、“普通”だ」
ぽつりと。
小さく呟く。
誰に向けた言葉でもない。
だが――
確かに、届いた。
温かい食事。
満たされる腹。
そして――
初めて与えられた“扱い”。
その全てが。
ゆっくりと。
確実に。
彼らの中で、形を変えていく。
恐怖から。
疑念から。
――信頼へ。
――その時だった。
「……アークレイド様」
小さな声が、焚き火の音に混じった。
シエルだった。
器を両手で抱えたまま、涙の跡が残る顔で、レオンを見ている。
まだ、食べている。
だが――手が止まっていた。
「……これ」
一拍。
視線が、鍋へと落ちる。
「……全部、食べてもいいの?」
その言葉は、小さかった。
だが――重かった。
遠慮ではない。
“確認”だ。
奪われる前に止めるべきか。
怒られる前にやめるべきか。
それを、確かめている。
レオンは、短く答えた。
「ああ」
一切の迷いなく。
「残すな」
「ある分は、全部食え」
「……」
シエルの指先が、わずかに震える。
ゆっくりと。
もう一度、スープを口に運ぶ。
そして――
「……アークレイド様」
今度は、はっきりと。
「……ありがとう」
ぽつりと、落ちた言葉。
その瞬間。
空気が、静かに揺れた。
誰かが顔を上げる。
誰かがレオンを見る。
そして――
「……アークレイド様」
一人が、呟いた。
「ありがとうございます……」
また一人。
「……アークレイド様……」
次第に、その名が広がっていく。
命令でもない。
強制でもない。
ただ――
“与えられたもの”に対して、自然に零れた呼び名。
レオンは、何も言わなかった。
否定も。
訂正も。
ただ――
その呼び方を、受け入れた。
「勘違いするな」
静かに言う。
「俺は神じゃない」
一拍。
「祈っても、何も変わらない」
炎が揺れる。
「変えたいなら、動け」
「飯も、寝床も、居場所も――全部、自分たちで作れ」
誰も、目を逸らさない。
「俺は、そのための場所を用意する」
低く。
だが確実に。
「ついて来るなら、働け」
「はい……!」
最初に答えたのは、シエルだった。
迷いのない声。
それに続くように。
「はい!」
「ついて行きます……!」
「アークレイド様……!」
声が、重なっていく。
小さく。
だが確実に。
何もなかった平原に――
火が灯る。
食事の匂いが満ちる。
人が動き始める。
そして――
この日。
アルセリア平原に、一つの名が刻まれた。
アークレイド教。
世界の常識を壊すための、まだ小さな火種。
その始まりだった。
面白いと感じましたら、ブクマ、評価、コメント等をよろしくお願いします。




