二十一話:少女
――演説が終わった後。
場は、まだ静まり返っていた。
誰も動けない。
誰も言葉を発せない。
ただ――
レオンの言葉と、あの“力”の余韻だけが、重く空気に残っている。
そんな中――
「……ねぇ」
小さな声が、静寂を裂いた。
視線が集まる。
レオンの前に、一人の少女が立っていた。
白銀の髪。猫のような耳と尾。
痩せた身体に、粗末な鎖。
歳は……十にも満たないだろう。
だがその目は――
妙に冷めていた。
「ほんとにさ」
一歩、近づく。
「壊せるの?この世界」
その視線は、まっすぐだった。
試している。
いや――
“確かめている”。
「嘘だったらさ」
さらに一歩。
「どうするの?」
距離が消える。
そして――
少女は、レオンの胸元を掴んだ。
ぐい、と乱暴に引き寄せる。
「ねぇ」
挑発するように。
「答えてよ」
周囲がざわめく。
「やめろ……!」
「殺されるぞ……!」
だが、少女は離さない。
むしろ――笑った。
「ほら」
「強いんでしょ?」
「だったらさ――」
さらに力を込める。
「怒ってみなよ」
空気が凍る。
普通なら。
ここで終わりだ。
殴られる。蹴られる。
最悪――殺される。
それが、この世界の“当たり前”。
だからこそ少女は――
試している。
壊しにきている。
(……ああ)
その瞬間、レオンは理解した。
この目。
この態度。
この“わざとらしい反抗”。
――知っている。
前世で、見たことがある。
テレビの特集で。
施設で暮らす子供たち。
虐待を受けてきた子供たち。
彼らは――
『わざと問題を起こす』
『わざと嫌われるようなことをする』
なぜか。
簡単だ。
――“試している”のだ。
『この人は、どこまで許してくれるのか』
『結局、この人も自分を捨てるのか』
信じたい。
でも、信じられない。
だから――壊す。
関係が始まる前に、自分から壊しにいく。
そうすれば、傷つかなくて済むから。
「……なるほどな」
レオンは、ぽつりと呟いた。
そして――
少女の手を、そっと外す。
乱暴ではなく。
あくまで、静かに。
「何すんの」
少女が眉をひそめる。
その瞬間――
レオンは、そのまま腕を回した。
引き寄せる。
「――っ」
少女の体が、わずかに跳ねた。
だが、振り払えない。
強引ではない。
だが、逃がさない力。
気づけば――
少女は、レオンの胸の中にいた。
「……な、にこれ……」
声が震える。
理解が追いつかない。
痛みが来ない。
怒号もない。
ただ――
抱きしめられている。
優しく。
静かに。
逃げ場を塞ぐようにではなく――
“落ち着かせる”ように。
「つまんねえことするな」
レオンは淡々と言う。
「試すな」
「……え」
少女の思考が止まる。
「どうせ、『こいつも同じか』って確認したいんだろ」
図星。
少女の体が、びくりと震える。
「そんなもん、やる意味はない」
腕の力は変わらない。
だが――
強くもならない。
ただ、そこにある。
「俺は、お前を殴らない」
「理由は簡単だ」
一拍。
「お前は、何も悪くないからだ」
静寂。
完全な静寂。
「……ほんとに?」
かすれた声。
「何回やっても?」
「何回でもだ」
即答。
迷いはない。
「……何回でも?」
「飽きるまでやれ」
変わらない声。
変わらない温度。
少女の視界が揺れる。
初めてだった。
拒絶されない。
壊されない。
無視されない。
ただ――
“受け止められる”。
「……へんなの」
ぽつりと呟く。
だが。
次の瞬間。
ぽろり、と涙が落ちた。
「……バカじゃないの」
震えた声。
それでも――
少女は離れなかった。
むしろ。
ぎゅっと、服を掴む。
今度は――
壊すためじゃない。
離れないために。
「……じゃあさ」
顔を押し付けたまま、言う。
「ついてっても、いいの?」
レオンは、迷わず答えた。
「ああ」
「最初から、そのつもりで言ってる」
少女は何も言わない。
ただ――
そのまま、しばらく動かなかった。
涙を、こぼしながら。
少女は、しばらく動かなかった。
レオンの胸に顔を押し付けたまま、ただ静かに涙を零している。
誰も、声を出せない。
先ほどまでの空気とは、明らかに違っていた。
張り詰めた緊張ではない。
恐怖でもない。
――何かが、変わり始めている。
「……」
やがて。
レオンは、ゆっくりと少女を離した。
無理に引き剥がすのではなく。
自然に、そっと。
少女は顔を伏せたまま、離れた。
だが――
その手は、まだレオンの服を掴んでいる。
離さない。
離れない。
その意思だけは、はっきりと伝わっていた。
「……お前はどうする」
レオンが、静かに問う。
少女は、少しだけ顔を上げる。
涙で濡れた目。
だが――
その奥にあった濁りは、もうない。
「……いく」
小さく。
だが、はっきりと。
「ついてく」
その言葉が落ちた瞬間。
空気が、揺れた。
「……」
周囲の奴隷たちが、ざわめく。
恐怖ではない。
迷い。
そして――
選択の前の沈黙。
「……俺は言ったはずだ」
レオンが全体を見渡す。
「救ってやるとは言わない」
「守ってやるとも言わない」
一拍。
「だが」
視線が鋭くなる。
「ついて来るなら――使い潰さない」
静かな言葉。
だが。
その重みは、誰よりも彼らが知っている。
「……っ」
誰かが、息を呑む。
この世界で。
“使い潰さない”という言葉が、どれだけ異質か。
――理解しているからこそ、刺さる。
「……」
一人。
また一人。
膝をつく者が現れる。
音もなく。
だが確実に。
「……やる」
「俺も、行く」
「……もう、戻る場所なんてない」
言葉が、広がっていく。
やがて。
ほとんどの者が、膝をついていた。
強制ではない。
命令でもない。
ただ――
“選んだ”。
それだけだ。
「……」
レオンは、それを見下ろす。
(……これが最初か)
だが、表情は変わらない。
「名前は」
ぽつりと。
少女に向けて言う。
「……え」
「お前の名前だ」
一拍。
「あるのか」
少女は、わずかに視線を落とす。
「……ない」
小さな声。
「そうか」
レオンは頷く。
「なら、今つけろ」
「……え?」
「自分で決めろ」
「お前の名前だ」
静かに言う。
「他人に決められるもんじゃねえ」
少女の目が、揺れる。
戸惑い。
混乱。
それでも――
考える。
初めて与えられた“選択”を。
「……」
長い沈黙。
そして――
「……シエル」
ぽつりと。
「シエル……が、いい」
小さく。
だが、確かに自分で選んだ名前。
「……そうか」
レオンは頷く。
「シエル」
その名を呼ぶ。
それだけで。
少女の肩が、わずかに震えた。
「これからはそれで呼ぶ」
淡々と。
否定も修正もない。
ただ、受け入れる。
「……うん」
シエルは、小さく頷いた。
涙の跡を残したまま。
だがその表情は――
もう、さっきとは違っていた。
「……決まりだな」
レオンが全体を見渡す。
「ここが、お前らの最初の場所だ」
一拍。
「働け」
それだけ。
だが――
「「……はい」」
自然と、声が返る。
強制ではない。
恐怖でもない。
ただ――
受け入れた。
その瞬間。
何もなかった平原に。
“勢力”が、生まれた。
面白いと感じましたら、ブクマ、評価、コメント等をよろしくお願いします。




