十九話:朝ごはん
――朝。
食堂。
大きな窓から差し込む光が、静かに室内を照らしている。
テーブルの上には、すでに朝食が並べられていた。
湯気の立つスープ。
焼き立てのパン。
整えられた皿。
その席に――
「お兄様!」
ぱっと顔を上げた少女。
リリアナが、少し安心したように微笑む。
「おはよう」
レオンは軽く手を上げて応じる。
「……おはようございます」
椅子に座りながら、短く返す。
だが――
リリアナの様子が、どこか落ち着かない。
視線が、何度もこちらに向く。
「……どうした」
「え、あの……」
一瞬、言い淀む。
そして、少しだけ声を落とす。
「深夜に……その……」
ぎゅっと手を握る。
「大きな地震、あったって聞いて……」
視線が揺れる。
「大丈夫でしたか?」
まっすぐな問い。
心配しているのが、隠せていない。
「……」
レオンは一瞬だけ、言葉を止める。
(地震、か)
まあ、間違ってはいない。
あの規模なら、そう認識されても不思議じゃない。
「問題ない」
短く答える。
「外にいただけだ」
「そ、そうなんですか……」
ほっとしたように、肩の力が抜ける。
だが――
完全には安心しきれていない。
「怪我とか……してませんか?」
小さな声。
恐る恐る、確認するように。
「してない」
「……本当に?」
「本当だ」
レオンは、軽く腕を見せる。
傷はない。
少なくとも、見える範囲では。
「……よかった」
リリアナが、小さく笑う。
心から安心した顔。
「びっくりして……眠れなくて……」
「屋敷の人たちも、すごく慌ただしくて……」
「お兄様を探しても見つからなくて……」
言葉を続けながら、ふと視線を落とす。
「……何か、怖いことが起きてるんじゃないかって……」
不安が滲む。
その様子を見て――
レオンは小さく息を吐く。
「そうか……すまん心配かけたな……」
「だが、何も起きてねえよ」
少しだけ、柔らかく言う。
「少なくとも、お前の周りではな」
「……」
リリアナは顔を上げる。
少しだけ、目を見開いて。
「本当に……?」
「ああ」
短く、頷く。
「俺がいる」
一拍。
「何もさせない」
それだけ。
だが――
十分だった。
「……はい」
リリアナは、こくりと頷く。
その表情から、不安が消える。
代わりに、静かな信頼が残る。
その時。
「朝食が冷めます」
横から、淡々とした声。
レイナ。
いつの間にか控えていた。
「……食え」
「はい」
リリアナは素直に頷き、パンを手に取る。
その様子を横目で見ながら、レオンも食事に手を伸ばす。
静かな時間。
穏やかな空気。
だが――
(……このままでいいわけがない)
視線は自然と外へ向く。
アルセリア平原の方向。
昨夜の戦い。
父の視線。
レイナの言葉。
すべてが繋がっている。
「……」
レオンは何も言わず、スープを口に運ぶ。
温かい。
だが――
思考は、すでに次へ進んでいた。
(準備するか)
この日常を守るために。
壊すために。
変えるために。
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――朝食を終えた後。
レオンは一人、自室に戻っていた。
扉が閉まる。
外の気配が遠ざかる。
静寂。
机の上には、広げられたままの世界地図。
「……」
椅子に腰を下ろし、指を伸ばす。
触れるのは――
ヴァルディス侯爵領。
そして、その周辺。
ゆっくりと、なぞる。
考える。
(……ここで動けば、確実にバレる)
昨夜の出来事。
父――アルディウスの視線。
あれは“確信に近い疑い”だった。
(完全に警戒されてるな)
兵団まで動いた。
つまり――
(領内は、もう“監視下”だと思った方がいい)
不用意に動けば終わる。
拠点作りどころではない。
まだ、早い。
「……どうする」
小さく呟く。
視線は地図の外へ滑る。
領外。
未知の土地。
だが――
(人手が足りない)
拠点を作るなら、必須だ。
だが領内では集められない。
目立つ。
確実に掴まれる。
(なら、外で――)
そこまで思考が進んだ時。
「ふん、随分と悩んでおるな」
背後から声。
振り返るまでもない。
「……お前か」
そこにいたのは、ノクティア。
腕を組み、いつもの偉そうな態度で立っている。
「なんじゃその反応は」
「いや別に」
興味なさげに返す。
だが視線は逸らさない。
ノクティアは鼻を鳴らし、勝手に部屋の中へ歩いてくる。
「まあよい」
一拍。
「ならば、我が手を貸してやろうか?」
「……あ?」
レオンの眉がわずかに動く。
「転移魔法じゃ」
さらりと言った。
「好きな場所へ、一瞬で移動できる」
「……」
数秒。
沈黙。
レオンはノクティアをじっと見る。
嘘を言っている様子はない。
「……そんな便利なもんがあるなら」
椅子から立ち上がる。
一歩、近づく。
「昨日、屋敷に帰る時苦労しなかったんじゃねえのか?」
ジト目。
「森抜けて、普通に歩いて帰ってたよな?」
「……」
一瞬、言葉が止まる。
そして――
「……あれは初見じゃったからじゃ」
そっぽを向く。
ほんのわずかに不機嫌そうに。
「転移は、一度行った場所にしか繋げられぬ」
「……なるほどな」
納得。
理にかなっている。
万能ではない。
だが――
(十分すぎる)
レオンの思考が一気に進む。
(領外に出る)
(人を集める)
(戻る)
(誰にも見られない)
すべて、成立する。
「じゃあ、今なら使えるってことか」
「当然じゃ」
ふん、と鼻を鳴らす。
「我を誰だと思っておる」
「……黒竜だろ」
「分かっておるなら、最初から頼れ」
「偉そうだな」
「偉いからな」
「……」
短い沈黙。
だが、その中で。
レオンの中では、すでに結論が出ていた。
迷いはない。
必要な条件は揃った。
「……行くぞ」
低く言う。
「ようやくか」
ノクティアの口元が、わずかに歪む。
楽しそうに。
「案内しろ。繋げる」
「任せておけ」
黒い魔力が、静かに広がり始める。
空間が歪む。
現実が揺れる。
レオンは一歩、踏み出す。
(ここから先は――)
もう、戻らない。
(作る)
(全部だ)
次の瞬間。
世界が、切り替わった。
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