十三話:決意
重厚な扉の前で、レオンは一度だけ息を整えた。
――迷いはない。
ノック。
「入れ」
短い声。
扉を開けると、父は書類から目を離さぬまま言った。
「……レオンか。久しぶりだな」
ゆっくりと視線が上がる。
「それで、なんの用だ?」
レオンは一歩踏み出した。
「父上。私は、あなたに話があります」
「ほう。申せ」
許しを得て、レオンは告げる。
「街に出ました」
「奴隷たちを見ました」
拳が、わずかに強張る。
「魔力回復のために酷使され、価値のない者は切り捨てられる」
「……それが、この世界の“正しさ”として受け入れられている」
一拍。
「私は、あれを正しいとは思えません」
顔を上げる。
「この世界は、腐っています」
言い切る。
「だから、変えたい」
沈黙。
蝋燭の火が揺れる。
やがて、父は静かに口を開いた。
「……では聞こう、レオン」
視線が刺さる。
「お前は、何をすれば世界が変わると思っている?」
「……歪んだ制度を壊し、腐った者たちを排除すれば」
「なるほど」
わずかな頷き。
だが、その目はすでに結論を見据えている。
「では仮に、それを成したとしよう」
一拍。
「貴族を斬り、神官を排し、制度を壊した」
「その後、何が起こる?」
言葉が、止まる。
「……今よりは良い社会になっているはずです」
「“はず”か」
小さく息を吐く。
「では別の問いだ」
ゆっくりと、言葉を落とす。
「その新しい世界で、“何が正しいか”は誰が決める?」
沈黙。
答えは出ない。
「結局は、人だ」
短く断じる。
「人が決め、人が裁き、人が正しさを定める」
机を軽く叩く。
「そしてその“人”は、今と同じ人間だ」
一拍。
「ならばどうなる?」
レオンは、何も言えない。
「同じことが繰り返される」
淡々と告げる。
「立場が変われば、正義も変わる」
「今日の裁く側が、明日には裁かれる側になる」
視線が鋭くなる。
「つまり、お前が斬ろうとしているのは“結果”だ」
「原因ではない」
静寂が落ちる。
「人はな、レオン」
声が、わずかに低くなる。
「自分で考えることを嫌う」
「だから、何かに預ける」
「王が言ったから、神が定めたから、昔からそうだから」
「そうして理由を得て、思考を止める」
一拍。
「その結果、どうなる?」
問い。
だが、答えはすでに見えている。
「……利用される、ということですか」
レオンが絞り出す。
「その通りだ」
即答。
「自分で考えない人間は、考える人間に使われる」
「それだけの話だ」
重い現実が、静かに落ちる。
「そして都合が悪くなればどうする?」
「……」
「裏切られたと喚き、被害者の顔をする」
「だがそれは、自ら思考を手放した結果に過ぎん」
沈黙。
「お前が見た光景も同じだ」
静かに言う。
「誰か一人が作ったものではない」
「“そうしてきた人間の積み重ね”が、あの現実だ」
呼吸が、浅くなる。
「もう一つ、理解しておけ」
父は窓の外に目を向けた。
遠くに灯る街の光。
「あれが社会だ」
「一人一人は小さい」
「だが集まれば、“流れ”になる」
一拍。
「その流れは、誰にも止められん」
振り返る。
「どれだけ正しくとも、逆らえば飲み込まれる」
「それが“理”だ」
言葉が、胸に沈む。
「世の中は、お前の思い通りにはならん」
「すべてが上手くいき、誰もが救われる――そんな結末は存在しない」
「何かを得るには、何かを失う」
「例外はない」
一切の迷いがない声。
ただの事実として、そこにある。
「だからこそだ」
視線が戻る。
「変えたいのなら、方法を誤るな」
一歩も動かず、圧だけが増す。
「個を斬るな」
「流れを変えろ」
静かに。
だが、決定的に。
「人を変えろ」
「思考を変えろ」
「信じるものを変えろ」
一拍。
「それができぬのなら――」
言い切る。
「お前は、何も変えられん」
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その後、俺は屋敷に帰り自分の部屋のベッドで一人考えていた。
「お前は、何も変えられん」か……
その言葉は、深く沈んだ。
逃げ場のない現実として。
レオンは何も言えなかった。
だが――
考えていた。
どうすれば、この世界を覆せる。
理論か。
力か。
それとも――
別の何かか。
目を閉じる。
父の言葉が、反響する。
――人を変えろ。信じるものを変えろ。
分かっている。
だが、人は変わらない。
変えられない。
自分が正しいと信じている限り。
この世界も同じだ。
魔力回復の最適解は、性行為。
それは事実であり、効率であり、合理だ。
――否定はできない。
「……可哀想だからやめろ、か」
通じるはずがない。
感情では、世界は動かない。
動いたとしても、一時だ。
すぐに元に戻る。
歴史が、それを証明している。
ならば――
理論か。
地動説のように、否定できない証明を突きつけるか。
だが。
「……無理だな」
即座に切り捨てる。
この世界の仕組みは、完成している。
それを上回る理論など、現実的ではない。
仮にあったとしても。
人は受け入れない。
都合のいい現実に、縋る。
ならば。
必要なのは、理論ではない。
納得だ。
では人は、何に納得する?
正しさか。
――違う。
力だ。
圧倒的な力。
理解すら及ばない差。
存在そのものが、理屈を否定する。
そこまで至れば。
人は、考えることをやめる。
そして――従う。
「……そうか」
ようやく、理解した。
理論で覆せないなら。
理論そのものを、塗り替えればいい。
そのために必要なのは――
議論でも、説得でもない。
信仰だ。
思考を手放し、正しさを委ねる対象。
絶対の指標。
神。
すべてが、繋がる。
「……神を作る必要はない」
一拍。
「俺が、その座に立てばいい」
静かに、確定する。
誰もが逆らえない存在に。
誰もが疑えない存在に。
誰もが“正しい”と信じる存在に。
「理論で納得させられないのなら」
一歩、踏み出す。
「俺が言うことを、すべて正しいと思わせる」
それは暴論ではない。
この世界において、最も合理的な解だ。
なぜなら。
人は――
考えないことを、選ぶ。
「ならば」
目に、光が宿る。
「その先に立つ」
信じるものの頂点に。
神として。
指標として。
世界の“正しさ”そのものとして。
「俺が神になる」
「そして――」
わずかに、言葉を止める。
「この世界の常識を」
静かに、告げる。
「すべて、塗り替える」
――すべて、塗り替える。
そう決めた瞬間だった。
「……お兄様?」
不意に、扉の向こうから声がした。
はっとして、振り向く。
いつの間にか、扉が少しだけ開いていた。
その隙間から、リリアナがこちらを見ている。
不安そうな目で。
「……リリアナ」
名を呼ぶと、彼女はゆっくりと部屋に入ってきた。
後ろには、シルフィアが小さく浮かびながらついてきている。
「……どうした?」
できるだけいつも通りの声で問う。
だが、リリアナは首を横に振った。
「お兄様……なんだか、怖い顔をしていました」
その言葉に、言葉を失う。
気づいていなかった。
自分が、どんな顔をしていたのか。
「……そうか」
短く答える。
だが、それ以上は続かない。
リリアナは、少しだけ距離を詰めた。
「……何か、あったんですか?」
その問いは、優しくて。
だからこそ、重かった。
「……」
答えようとして――やめる。
こんなもの、聞かせていい話じゃない。
この子に背負わせていいものじゃない。
――そう思ったのに。
口が、勝手に動いた。
「……ごめんな」
ぽつりと、零れる。
「……え?」
リリアナが、きょとんとする。
レオンは、視線を逸らしたまま続けた。
「……お前の辛さに、ずっと気づいてやれなかった」
言葉にした瞬間、胸の奥が軋んだ。
「周りの連中がどう見てるかも」
「お前がどんな思いで笑ってたのかも」
「……何も、分かってなかった」
拳が、わずかに震える。
「……最低だな、俺は」
自嘲のように吐き捨てる。
その瞬間――
「違います」
はっきりとした声。
顔を上げる。
リリアナは、首を振っていた。
「お兄様は、悪くないです」
まっすぐに、こちらを見る。
「私は……お兄様がいてくれただけで、嬉しかったですから」
「……」
言葉が、詰まる。
そんな簡単なことで。
この子は、満足していたのか。
「だから……」
リリアナは、少しだけ笑った。
いつも通りの、柔らかい笑顔で。
「そんな顔、しないでください」
その一言が、胸に刺さる。
「……」
しばらく、何も言えなかった。
ただ――
ゆっくりと手を伸ばす。
そして、そっとリリアナの頭に触れた。
「……そうか」
小さく、呟く。
だが、その目はもう揺れていない。
「でもな」
一拍。
「それでも、俺は許せない」
静かに、言う。
「お前が、そんな風に思わなきゃいけない世界を」
リリアナの肩が、わずかに揺れる。
「……お兄様?」
「だから」
手を離す。
その代わりに、真っ直ぐに見据える。
「俺が変える」
迷いはない。
「お前が、何も我慢しなくていい世界にする」
その言葉は、誓いではない。
――決定だった。
「……お兄様」
リリアナが、少しだけ涙ぐむ。
だが、すぐに笑った。
「……無理、しないでくださいね」
「……ああ」
短く答える。
だが、その意味はもう違う。
無理をしない、ではない。
――やると決めた。
それだけだ。
シルフィアが、ふわりと肩に乗る。
「……レオン、なんか怖い顔してるけど……でも、いい顔」
「……そうか」
小さく息を吐く。
そして、目を閉じる。
――決意は、揺るがない。
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