八話:回想
リリアナが生まれる前の話です。
転生してから、五年が経った。
この世界にも、石鹸はあるにはある。
だが――正直、使いづらい。
獣脂をそのまま固めたような代物で、匂いはきつく、泡立ちも悪い。
汚れは落ちるが、肌に残る感触がどうにも気持ち悪い。
庶民に至っては、それすら使わないことも多い。
水で流すか、布で拭くだけ。
――面倒くさい。
脂は落ちにくいし、さっぱりしない。
作ろうと思えば、もっとマシなものは作れる。
だが、自分でやれば確実に目立つ。
「天才だ」とか、「特別だ」とか。
そんな扱いは、正直ごめんだった。
なら――
きっかけだけ与えて、誰かにやらせればいい。
ちょうどいい相手は、すぐ近くにいる。
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「……あれ」
レオンは手を見つめた。
昼に食べた肉の脂が、指に残っている。
水で洗っても、ぬるぬるが消えない。
「レオン?」
背後から声がした。
振り返ると、セレナがこちらを覗き込んでいる。
「何してるの?」
「これ、落ちないなって」
手を見せると、セレナは一瞥して肩をすくめた。
「油だもの。水じゃ無理よ。石鹸使えば?」
「さっき使ったけど、なんか微妙でさ」
「ああ……あれね」
セレナも少し顔をしかめる。
「匂い残るし、あんまり好きじゃないわ」
「だろ?」
レオンは少しだけ考えるように言う。
「さっき、暖炉の灰触ったあとだと、ちょっと落ちた気がする」
「灰?」
セレナの目が、すっと細くなる。
「気のせいじゃない?」
「かも。でも、なんか違ったんだよ」
「へえ」
一瞬の間。
そして、セレナは笑った。
「じゃあ、試してみましょうか」
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暖炉の灰を集め、水をかける。
「これで?」
「分からん」
「適当ね」
「うん」
桶の底に溜まった水をすくう。
見た目はただの濁った水。
だが、指で触ると違った。
「……ぬるぬるする」
セレナも同じように触れる。
「本当ね」
油のついた手をこする。
「……落ちてる」
完全ではないが、さっきより明らかに落ちていた。
二人は顔を見合わせる。
「面白い」
同時に笑った。
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「これ、今の石鹸よりいいんじゃない?」
セレナがぽつりと呟く。
「匂いもないし」
「確かに」
「じゃあ――」
彼女はすぐに次を考える。
「これを使って、ちゃんとした形にできないかしら」
「形?」
「今の石鹸って、ただの脂の塊でしょ?
だったら、こっちをベースにした方が良さそう」
レオンは少しだけ考えたふりをする。
「油と混ぜたらどうなるんだろうな」
「……やってみましょう」
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厨房から脂をもらい、鍋で溶かす。
白い塊が、ゆっくりと液体になる。
「匂うわね」
「仕方ない」
そこに、灰の水を加える。
混ぜる。
最初は分離していた。
だが、混ぜ続けるうちに――
「……あれ?」
セレナが声を上げた。
「白くなってきてない?」
透明だった液体が、濁り始める。
さらに混ぜる。
重さが変わる。
「落ちるの遅くなってる」
「油じゃなくなってきてるな」
セレナは楽しそうに笑った。
「いいわね、これ」
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型に流し込む。
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翌日。
「やる?」
「ああ」
水をつけて擦る。
すると。
「……泡」
白い泡が立った。
「出てる」
そして。
「落ちてる」
油が、すっと消える。
セレナは何度か試し、満足そうに頷いた。
「できたわね」
「ああ」
「これ、売れるわ」
「早いな」
「当然でしょ」
セレナは石鹸を見つめ、楽しそうに笑う。
「だって、今までのよりずっと使いやすいもの」
一拍。
「こんなの、流行らないわけがないじゃない」
レオンは軽く肩をすくめた。
「じゃあ次は?」
「匂いね」
即答だった。
「いい香りがしたら、貴族にも売れるわ」
もう次を見ている。
レオンは何も言わず、頷いた。
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完成した石鹸は、正直見た目が良くなかった。
「……地味ね」
セレナはそう言いながら、机の上の塊をつついた。
くすんだ白色。形も不揃いで、表面もざらついている。
「まあ、初めてだしな」
「ええ。でも――」
彼女は石鹸を持ち上げ、光にかざす。
「これじゃ売れないわね」
あっさりと言い切った。
「そんなにか?」
「ええ。だって、“商品”に見えないもの」
レオンは少し考える。
「でも、汚れは落ちるぞ?」
「それは分かる人にしか分からない」
セレナは肩をすくめた。
「市で売られてる石鹸だって、一応は汚れは落ちるわ」
「……まあな」
「でも、みんな仕方なく使ってるだけ」
一拍。
「“欲しくて買うもの”じゃないのよ」
にやりと笑った。
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「じゃあどうする?」
「難しくないわ」
セレナは指を一本立てる。
「まず、“ちゃんとした品”に見せる」
「見せる?」
「ええ。形と見た目」
彼女は石鹸を並べ直しながら言う。
「市にある石鹸って、雑に切っただけでしょ?」
「そんな感じだな」
「だから安っぽく見えるの」
二本目の指が立つ。
「次に、香り」
「やっぱりそこか」
「当然でしょ?」
セレナは軽く笑う。
「貴族が香油を使う理由、知ってる?」
「……匂い消し?」
「それもあるけど、“気分”よ」
一拍。
「いい香りは、それだけで価値になるの」
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数日後。
庭や市場で手に入る花や香草を使い、試行錯誤が始まった。
「これ、どう?」
レオンが差し出したのは、花をすり潰して混ぜたものだ。
セレナは香りを確かめ、小さく首を振る。
「……弱いわね」
「そうか?」
「嫌な匂いは消えてる。でも、それだけ」
少し考え込む。
「香油みたいに、もう少しはっきりした香りが欲しいわね」
「香油か……」
「作れなくても、近づけることはできるでしょ?」
セレナはすぐに切り替える。
「混ぜましょう」
「混ぜる?」
「一つでダメなら、組み合わせるの」
すり潰し、混ぜ、試す。
何度も失敗する。
強すぎて鼻に残るもの。
逆にすぐ消えてしまうもの。
だが――
「……これ」
ある組み合わせで、セレナの手が止まった。
「いいわ」
「ほんとか?」
「ええ」
彼女は石鹸に混ぜ、水をつけて擦る。
ふわりと、柔らかい香りが広がった。
「強すぎない。でも、ちゃんと残る」
満足そうに頷く。
「これなら、“使いたくなる”わね」
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「次は形ね」
セレナはそう言って、木片を手に取った。
「何してるんだ?」
「型を作るの」
「型?」
「市の菓子職人だって、型を使うでしょ?」
「ああ、確かに」
「同じよ。揃ってる方が“ちゃんとしてる”ように見えるの」
四角く削り、枠を作る。
そこに流し込む。
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数日後。
机の上には、整った石鹸が並んでいた。
色は均一で、形も揃い、ほのかに香りがする。
最初のものとは、明らかに違っている。
「……いい感じだな」
「ええ」
セレナは腕を組み、満足そうに頷く。
「これなら売れる」
「今度は本当に?」
「もちろん」
彼女は一つ手に取り、軽く掲げた。
「これはね、“汚れを落とすもの”じゃないの」
「違うのか?」
「ええ」
一拍。
「“気分を変えるもの”よ」
レオンは少しだけ眉を上げる。
「気分?」
「そう」
セレナは微笑む。
「いい香りで、さっぱりして、少し気分が上がる」
「それが?」
「それにお金を払うのよ、人は」
迷いのない声だった。
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「じゃあ、いくらで売る?」
「そうね……」
セレナは少し考え、すぐに決める。
「最初は高めにいきましょう」
「高め?」
「ええ」
彼女は石鹸を見つめながら言う。
「市にある石鹸より少し高い程度じゃ意味がないわ」
「どういうことだ?」
「同じ“石鹸”として見られるからよ」
一拍。
「これは別物にするの」
「……なるほど」
「だから値段も、それに合わせる」
にやりと笑う。
「貴族向けね」
「最初からそこ狙うのか」
「当然でしょ?」
即答だった。
「広める前に、“特別な物”にするの」
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石鹸を並べたまま、彼女は満足そうに頷いた。
「いいわね」
「何が?」
「これ」
指で軽く叩く。
「面白いし、売れるし、まだまだ良くできる」
一拍。
「長く稼げるわ」
レオンは小さく息を吐いた。
――完全に商売の顔だ。
ここまで来れば、もう自分の出る幕は少ない。
「じゃあ、次は?」
「決まってるわ」
セレナは迷いなく言った。
「売るのよ」
その目は、すでに“市場”を見ていた。
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