落伍者の楽園
赤錆びたスラムの中を、腹の底まで響かすようなサイレンが鳴り響き、住人に危機が去ったことを知らせる。
それと共に、今までシェルターやボロ屋の中に引き篭もっていた人々が周囲の様子を伺いながら次々と現れると、各々道具を纏めて仕事場へと戻り始めた。 ある者は深くため息をつき、またある者は腕時計の針を神経質に眺めながら足を進める。 まるで昼休みが終わったサラリーマンが仕事に戻るかのように。
地上と然程変わらぬ雑然とした人混み。 その間をボロを纏った子供達が元気よく駆ける。 彼らが好奇心に任せて向かうも追い返されるのは、守り人達が拠点として使う酒場。 そこへ、このスラムとしては極めて稀な客が集められていた。
『いやぁ流石は売り出し中の上澄みだな! まさかあれだけの数を無傷でいなすとはこっちとしても驚きだよ!』
「アタシらにあんなのをお出しされても逆に死ぬのが難しいね。 イミュニティ共相手に100匹組み手やってた方がまだ張り合いがある」
「頼むから俺だけは一括りにしてくれるな野蛮人。 俺は教養ある進歩的文化人だからそんな真似やらないんだよ」
「……ややこしくなるから漫才ならまた今度にしてくれないか」
いつも通り無駄口の叩き合いを始めようとする二人へ苦言を呈しつつ、ミサゴは思わず額に手を当てる。 個室に通された4人を待っていたのは、人ではなく複数台のカメラと一つのラジオだけ。 安全地帯まで案内してくれたハンターキラーも、保護した子供らを親元へ送り届けるため姿を消し、顔を出して話してくれる現地人は誰一人としていない。
「つまり、俺達はまだ信用に値しないということか?」
『恐れているのさ。 落伍者でも、組織を離脱したワケでも無いクロウラーがここを闊歩していることを』
「なんだいそりゃ? まるでここに住んでる連中が夜逃げ野郎のロクデナシばっかみたいな言い方じゃないか」
『その言葉は是でもあり非でもある。 何しろここの成り立ち自体が複雑だからな』
「街の歴史は後日聞くとして、まずここが何なのか教えてくれ。 俺達はここについて何も知らない」
『そう焦るなよ誰も話さないなんて言っちゃいない。 ……それに、どうやら話に混ざりたい奇特なヤツもいるようだ』
今まで飄々とした態度を崩さなかったハーメルンの声色が、如何にも面倒くさげな雰囲気を帯びる。 その瞬間、軽く開いていた扉が乱暴に蹴破られ、半分に割れた板が窓を破って落ちていった。
「うおっ! いきなり何だ!?」
『……ドアは足で開けるモンじゃないと教えたはずだがな、ゾーラ』
すぐ真横を飛んで行った板切れにビビッて思わず仰け反ったアンダードッグの様子など気にせず、ハーメルンは遠隔操作でカメラを動かし、闖入者へクドクドと文句をつける。
古びたレンズが差す先に立っていたのは、金棒のような形状をした対装甲ヘビークラブを背負い、白いタンクトップとダメージデニムのホットパンツを身に纏った、緩い雰囲気を醸す瑞々しいギャル。 彼女はクロウラー達が屯する個室に足を踏み入れた瞬間、嬉し気だった顔を途端に顰めた。
『何だ? 今度は一体何が不満だ?』
「なにがって、私が想像していたクロウラーと全然違うわ!」
いきなり現れた挙句、一方的に捲し立てるゾーラと呼ばれたティーンは、ハーメルンの呆れたような問いにムッと頬を膨らませると、横並びになったクロウラー達とアイオーンの顔を順に眺めながら不平を洩らす。
「フラクタスに潜る人間は全員野蛮で逞しくて下品で勇敢でデリカシーの無い男揃いだって聞いてたのに、あなた達小奇麗だし半分はサーカスみたいな恰好じゃない!」
「そりゃパンドラシティ創成期の話だろ? 街が出来て100年近く経ってるってのに価値観の更新ができてないのか?」
「私は地下育ちなんだから外の事情なんて知らないんですぅー! これだから人様の事情を汲めない男は駄目ね!」
「あぁそうかい」
「あー! なによその言い方! もういいわよアンタみたいなモヤシ!」
心底興味なさげで辛辣なアンダードッグの物言いにムカッと来たのか、ゾーラはベーッと舌を出して皮肉屋なサイボーグから露骨に距離を取ると、残りのメンツを前から後ろから好き勝手に眺めて回る。 不愛想で目つきも悪いミサゴからは怯むように一歩引き、退屈げに大あくびをするピースキーパーには好奇心に満ちた視線を向ける。 そしてふとアイオーンと視線が合うと、ゾーラは何を思ったのかグッと彼女と距離を縮めた。
「ねぇあなた、そのファッション自分で選んだの?」
「え? 偉い人からこの格好をしてって言われたから……」
「何も考えずそれを丸々呑んだの? あなた色々世の中に疑問に持たないと駄目よ」
戸惑いつつもおずおずと口を動かすアイオーンの返答に呆れたのか、ゾーラはさり気なくアイオーンの背後に回ると、躊躇うことなく背に触れる。
「ひゃっ!?」
大胆に開いた背中を爪先でなぞられ思わず上ずった悲鳴を洩らすアイオーン。 続けて耳元と首筋に息を吹きかけられると、一転して熱っぽい吐息を洩らしながら腰砕けになり、そのままへなへなと座り込んでしまう。
「…………」
普段の彼女からは想像もできない艶やかな姿に、ミサゴは咄嗟に言葉を失い、反射的にそっぽを向く。 何故そんな真似をしたかはミサゴ自身にも分からない。 しかしその姿を目聡く視界に収めたピースキーパーは、何も言わずともただ愉快気にニヤニヤと笑っていた。
「おいおいセクハラだぞ娘っ子」
「五月蠅いわよ。 こんな悪戯されても文句言えないくらいはしたない恰好させてるのはあなた達でしょ?」
明後日の方を向いたまま何も言えなくなってしまったミサゴに代わり、仕方なくアンダードッグが苦言を呈するも、ゾーラはムカつく相手には真面目に取り合わない。
「そもそもこの子は何なの? 私と同い年くらいなのに、自分が男からどう見られてるのかも分からないなんて」
「同い年ねぇ? おいそこの野郎二人、この子が生まれてどれくらい経ったか覚えてるか?」
「えぇっと、確か2カ月くらいだったか?」
「……4カ月から半年くらいだったはず」
「ねぇもしかして私馬鹿にされてる?」
当然のように返される非常識な言葉に、ゾーラは再び浅い怒りを滾らせて頬を膨らかすと、荒い息を吐いてへたり込んだままのアイオーンに視線を戻す。
「まったく、常識のないおかしな大人に囲まれてたら駄目ね! しょうがないから私がちゃんとした服を見繕ってあげるわ!」
「え?」
唐突な宣告に思わずアイオーンは戸惑いの言葉を洩らすが、ゾーラの考えて言葉にして行動するまでがあまりに早い。 アイオーンの身体を軽々と抱え、破れた窓ガラスから何の恐れも無く飛び出した小娘は、飛び出した勢いそのままにバラックの屋根の上を飛び移り、あっという間に遠ざかっていった。
「おい待て! 一体何処に連れていくつもりだ!?」
『あーうん大丈夫だ心配はいらない。 悪い奴じゃないってことだけは俺の首を賭けて保証する。 ……万が一何かあったら街を燃やしたって構わんぞ』
遠ざかっていく背中へミサゴは反射的にブレードを飛ばそうとするが、ハーメルンの心底疲れ切った言葉に嘘が無いことを察すると、振り上げた右腕を渋々下す。
『小娘達の位置はちゃんとこちらで常にモニターしてる。 キチンと位置情報は共有するから、先に今後のことについて話そうか』
「……さっき言ったこと。 ゆめゆめ忘れるな」
程なく、アンプに送信されてきたデータを一瞥し、ミサゴは嘆息して気持ちを切り替えた。
否、切り替えようとした、というのが正確だった。




