第1章 唐突な終わり
「ありがっしましたぁー」
聞き取りにくい店員の挨拶を聞き流しながら、神崎冬也は新宿西口にある某ゲームソフト販売店から出ていく。
しばらく暖房のきいていた店内にいたせいか、薄暗くなっていた外は思いのほか寒くなっていて、冬也は着ていたジャンパーのジッパーを閉めると大きなため息をついた。
「はぁ……今年ももう終わりだな」
そう一人愚痴つつ、先程買ったばかりの新作ゲームソフトとコントローラーの入った袋に目を落とす。
冬也は今年で36歳になった。彼女はいない。両親はすでに他界しており、仲の悪い妹がいるが、ここ5年は音信不通だ。
「何やってんだか」
いい歳をしても未だにゲームやら漫画、アニメから抜け出せない中年オタクでいられない、気にもしているが、これ以外に趣味や生き方というものも知らない。
仕事も、残業や責任が嫌で派遣社員として都内のホテルのフロントを転々としている。独り身なら十分な給料をもらっているが、彼女や嫁ができたら一気に食えなくなるだろう。
だが、このご時世、30代後半の中年をフロントの正社員として雇ってくれるようなホテルはない。ましてや、英語もろくにできないとなると更に希望職種での就職範囲は狭くなる。
「すみません」
「ん?」
そんなことを考えながら歩いていると、ふいに声をかけられた。
振り返ると、そこにはセミロングの黒髪で紺のスーツを着こなした女性が立っていた。
「オレ、ですか?」
「はい。失礼ですが、先程ゲームを買っていらっしゃいましたよね?」
「えぇ、まぁ……」
すると、女性は胸ポケットから名刺を取り出して、冬也に差し出した。
『株式会社サイバーエンタメイト 営業課 此花 さくら』と印刷されており、文面をそのまま受け取るならばどこぞのゲーム関連会社の営業マンということだろう。
しかし、冬也はサイバーエンタメイトというゲーム会社は聞いたことがなかった。
「実はアンケートを行っておりまして、お時間があれば是非ご協力をお願いします」
冬也の体に虚脱感が襲ってきた。
「あぁ、そういうの結構です」
よくある手口だ。
それなりの美人がアンケートなどを理由に近くの店舗やファーストフード店、喫茶店に誘い込み、無理矢理商品を買わせる、キャッチセールスという悪徳商法の一つだ。
「いえ、そういうことではなく……」
「あ、クーリングオフとかも知ってるんで、押し売りしても無駄ですよ」
「勘違いされても仕方ありませんが、そういうものではなく、これからお見せするゲームのPVを見て頂いて、アンケートをお願いしたいんです」
と、此花さくらという女性はタブレットPCを見せて食い下がってくる。
冬也はポリポリと頭を掻いた。
「……ここで、ってならいいですよ」
どうせ、家に帰ってもゲームをする以外予定はない。この寒空の下で営業をしている女性に付き合ってやるのも悪い事じゃない、などと思ったのだ。
冬也と此花は通行人の邪魔にならないように、歩道から少し外れて路地に少し入った。
それでも夕方の新宿ともなればそれなりの往来があるが、歩道よりは少ない。
「では、まずこちらの映像を見てください」
と、手慣れた感じで操作をした後、此花はタブレットを冬也に手渡した。
「……どうも」
タブレットにはゲームの映像だろうか、かなりリアリティのある映像が映し出されていた。
舞台は中世ヨーロッパをモチーフにしているのだろうか。
村、街、城、教会、広場、墓地、遺跡など大まかなダンジョンはもちろん、あらゆる店の内部、NPCやモンスターの動き、グラフィックが現状のゲームよりも格段にいい。
戦闘シーンも臨場感があり、モンスターの威圧感、NPCの戦闘モーション、演出は地味ながらいい雰囲気を醸し出していた。
まるで実写かと見間違えるほどのリアリティーだ。
「すごいですね」
「ありがとうございます。残念ながら音楽はまだできていないのですが……」
「いやぁ、グラフィックがここまでリアルになると、臨場感が違いますね。これってPVって言ってましたけど発売は?」
「あ、えぇと、実はまだ決まっていないんです。これが私たちのデビュー作になるので完全な状態になるまで一般には公開しません」
冬也は頷いた。
かなりこだわっているゲーム会社なのかもしれない。
未完成のものを動画投稿サイトやゲーム雑誌に公開したくない。だから、こうして少数のゲーム好きそうな人間を捕まえて、感想やアンケートを実施して改良を重ねていくんだろう。
「アンケートと感想をお願いします」
質問事項がずらりと書かれた紙とボールペンを受け取り、冬也は真剣な表情で質問に答えていく。
時折、タブレットの映像を見返したりもした。
「ん、これってなんです?」
アンケートが『終わり』といった一文の後にも数枚の紙が続いていたのだ。
しかも、質問ではなく、箇条書きでかなりの数の事項が書き連ねてある。
「それはジョブ、スキル、魔法、魔術の一覧です。すべてゲームに実装されますので、よろしければゲームのキャラクリエイト感覚で試してみてください」
「はぁ」
此花にキャラクタークリエイト表を渡され、冬也は再び紙面に没入していった。
その紙面には、勇者や魔法使い、戦士、商人などゲームでお馴染みの職業から蛮族、浪人、写真家などあまり見かけないものまで明記されていた。
(……ふぅん、やっぱ剣士かな。おっ、日本刀のスキルもあんのか。ステータスは体力、知力、攻撃力、防御力、知力、素早さ、運に振り分け、でポイントは1000あってこれを割り振るんだな)
それから10分ほど経って、冬也は満足げに書き終えたキャラクタークリエイト表を此花に差し出す。
「拝見しますね」
「どうぞ」
此花は静かに用紙をめくっていき、その都度、頷いたり、感嘆のため息をついたりとコロコロと表情を変えていく。
「ステータスの振り方がおもしろいですね。体力と攻撃力と素早さは250で他は50と、あっ、運は100なんですね」
「他のネトゲでも攻撃力重視なんです。素早さも上げて、運悪く敵の攻撃が当たったときのことも考えて体力も上げて、運も少々っていう設定」
此花は満面の笑みを浮かべて、冬也が書き込んだ用紙を茶封筒にしまい、頭を下げた。
「ご協力ありがとうございました。この書類は参考にさせてもらいます。キャラクリエイトの方もデバッグの際にスタッフがプレイさせていただきます」
「そうなんですか。テストプレイの参考になるんですね。はぁ、本当にこだわってますね」
「世界がかかってますから」
「へ?」
その言葉を聞いた此花はハッと我に返って唇を軽く噛んだ。
「いえ、私の世界が、生活がかかってると、本音が……」
「あ、あぁ、でも、大丈夫ですよ。きっとこのゲームは売れますよ」
「ありがとうございます。これはアンケートのお礼です、どうぞ」
此花は白い封筒を差し出して、冬也が受け取るとまた頭を下げ、軽い足取りで新宿の人ごみに消えていった。
「……楽しみだな、あれだけのクオリティーのゲームは最近ないからな」
などと言いながら封筒の中身を見て、冬也の動きがピタリと止まった。
中では諭吉さんが笑っていたのだ。
「え?」
封筒を閉じる。見間違いではないか?
アンケートに答えただけで諭吉さんがもらえるわけが……。
「住所や携帯番号も書いてない。名前だって書いてない。え? 何故に?」
冬也は慌てて、此花が消えていった大通りの歩道に飛び出した。何かの間違いかも知れないと返そうと思ったのだが、夕方の帰宅ラッシュの新宿の人だかりはかなりのものである。
この中から此花を見つけるのは10キロの精米から1粒の胚芽米を見つけるくらいに難しい。
「仕方ない。これはありがたく、いただくことにしよう」
封筒を挟んで手を合わせ、姿の見えない此花に感謝の意を示した。
「よしっ、今日は焼き肉の食い放題でも行こう!」
◆
思わぬ臨時収入で、久々の豪華な夕食だったため上機嫌な冬也は、新宿から自宅マンションのある大宮へと帰路についていた。
マンションは死んだ両親が残してくれたものだ。
1602号室のセキュリティーリーダーにカードキーを押し付けると、ピッと電子音が鳴り、ロックが解除された。
中に入ると玄関でスニーカーを脱ぎ捨て、リビングに直行し、デスクトップパソコンの電源を入れる。
途中のコンビニで買った炭酸飲料のペットボトルとちょっと高めのシャーベットをテーブルの上に置いた。
焼肉店のロゴの入った袋の中身を確認してから、
「さて……」
と、まるで気合を入れ直すかのように大きく息を吐いた。
リビングの隣に配されている和室のふすまを開けると、そこには中央に重厚な木製のちゃぶ台と壁にかけられた木刀と模造刀、そして仏壇が置かれていた。
和室の照明をつけて、仏壇に向かうと袋の中に入っている『テイクアウト限定炭火焼特上焼肉弁当』(2200円)を2つを供え、線香に火をつける。
そして、畳に正座し、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
「夕食遅くなってごめん。臨時収入があってね、ちょっと羽目を外してきちまったよ。よかったら食べて」
仏壇には笑顔の両親が並んでいる写真。
がたいのいいがっしりとした、白い歯を見せて豪快に笑っている父に、華奢な母が照れくさそうに微笑み、寄り添っている仲睦まじい夫婦の写真だ。
祖父の影響で古武術、特に剣術と体術を修めていた父の道場に、ひ弱だった母が護身術を習いに来たのが馴れ初めと聞いている。
冬也も20歳頃まで鍛えられていたが、大学の忙しさや親に対する煩わしさ、遅めの反抗期からか、徐々に疎遠になり、結局修め切ることなくやめてしまった。
父が病気で倒れたことを知って、戻ってきたときは道場も畳み、一軒家と広大な土地も売り払って、このマンションに移り住んでいた。
写真の父はもうなく、病気で白髪になり、筋肉も衰え、痩せた父が出迎えてくれたときは心の底から後悔もした。
だが、もう遅かった。
『You‘ve got mail』
リビングから突然、メールの着信音が聞こえてきた。
パソコンの起動が終わったと同時にメールの着信があったのだろうか。
冬也が腰を上げて、立ち上がろうとするが、そこで眉をしかめた。
冬也の趣味はゲームだ。それは据え置き型、アーケード、ソーシャル、もちろんパソコン用のゲームやオンラインゲーム全般も含まれる。
そうなると、多いのだ。
何が?
メールである。
ゲーム会社からのお知らせメールが毎日、読み切れないほどに送られてくる。送信停止をしても『重要なお知らせ』と称して送られてくる。
だから、冬也はすべて迷惑メール設定にしている。
パソコンのメールアドレスはゲーム用と割り切って、友人知人には教えていない。
「……スパム、か」
しかし、それもセキュリティーソフトで弾かれるはずなのだが。
「ま、セキュリティーソフトとスパムやらウィルスはいたちごっこみたいなもんだしな」
和室を出て、リビングのパソコンの前に向かうと、画面ではメールが開封され、画面いっぱいにメールの文面が映し出されていた。
「おいおい……」
怪訝そうに冬也は画面をのぞき込んだ。
あり得ない。
メールが着信したのはいい。
だが、そのメールが勝手に開き、パソコンのディスプレイ全画面表示モードで表示されるなんてことは、まずあり得ない。
新手のウィルスメールかもしれない。
冬也はジトっとした目でメールの内容を追う。
『あなたに、カルティナを救ってほしい。
どうか力を貸してください。
もし、同意していただけるのであれば【YES】を、断るのでしたら【NO】を押してください。
こちらも時間がありません。
無回答であれば同意と見させていただきます。』
「えぇ……」
完全にウィルスメールの類だ。
要は【YES】をクリックしようが【NO】をクリックしようが、それを合図にウィルスがパソコン内に広がってしまう。
もしくはどっちをクリックしてもエロサイトなどにつながって、高額な請求がやってくるというオチだ。
ウィンドウズボタンを押しても反応がない。
タスクバーどころか、カーソルもメール内しか動かない。
「くそ、こうなると強制終了しかないか」
冬也はやれやれといった感じで、パソコンの電源ボタンを押した。数秒長押ししていればパソコンは強制終了する。
プゥン
そんな気の抜けるような音共に、ディスプレイは真っ黒になり、パソコンの電源が切れたことを視認させてくれた。
次の瞬間。
不意にリビングの照明が消えた。
いや、リビングだけではない。和室の照明も消えている。
「停電? いや、違う」
16階から見える大宮の夜景はいつもと変わらない。煌々とネオンやビルの明かりは夜の闇をかき消さんばかりに光を放っている。
そして、冬也の目に信じられないものが飛び込んできた。
先程までついていたディスプレイからぬるりと一本の黒い腕が伸びていた。それだけではない。
徐々に、徐々に、ゆっくりだが、確実に、ソレはディスプレイからこちらに現れようとしていた。
まるで一昔前に流行った和風ホラー映画の化け物のように。
咄嗟だった。
冬也はディスプレイをつかみ、頭の上まで持ち上げたかと思うと、勢いよくリビングのフローリングに叩きつける。
破砕音が消えると、シンと辺りは静寂に包まれる。
背筋が寒い。
あれはこの世界にいてはいけないものだ。
そう冬也は直感した。
「はぁ、はぁ……」
肩で息をし、無意識ながらも冬也の体はリビングから出るためにドアに向かって駆け出していた。
ドアノブに手をかけて、回す。
「え?」
ガチャ、ガチャガチャ、ガチャガチャガチャ。
開かない。
ガチャ、ガチャガチャ、ガチャ、ガチャガチャ、ガチャガチャガチャ。
「なんでっ、どうして!?」
まるでドアノブが壁についているように、回しても回しても一向にドアが開く気配はない。
チャリン
ガラスの音に冬也の呼吸が止まる。
ゆっくり振り返ると、フローリングに転がったディスプレイのそばにソレはいた。
真っ黒なぼろ布をかぶった、ソレは一応は人型ではあった。
猫背、なのだろうか。それともそういう生き物なのか。真っ黒な腕は真っ黒な足の膝の辺りまで伸び、その手には刃物が握られている。
「…………」
ちらりと和室に目を移す。
壁にかかっている模造刀、あれがあれば多少の抵抗はできる。あまり楽観視はできないが、撃退もできるかもしれない。
ぺたり
ソレが一歩前へ出る。
真っ黒なソレだが、後ろに映える大宮の夜景がソレの輪郭を浮き出してくれているのが不幸中の幸いだった。
冬也の目がソレの左足に集中する。
(左足が浮いた瞬間に和室に飛び込む。模造刀で奴を倒す)
汗がじわりとにじみ出る。
時間にして数秒だろうが、冬也の今まで生きてきた中で最も長い数秒である。
浮いた。
「でぇいっ!」
テーブルの上に置いてあったコンビニの袋を中身ごとソレに投げつけ、小太りの36歳にしては素早い動きで、壁にかけてあった模造刀をつかんで鞘から抜き放つ。
ソレは鈍重な動きで、冬也のいる和室に体の向きを変える。
(遅いぞ、こいつ。動きがのろまだ。勝てるかもしれない)
鞘を投げ、ちゃぶ台を足場に、冬也は跳んだ。
落下の勢いと上段からの振り下ろしで終わりだと、思っていた。
あるものを見るまでは。
(マジか……)
あるもの、それはソレの足元に転がっているコンビニの袋の残骸だった。
ソレにぶつかって破れたのではない。
袋もペットボトルも、細切れにされて落ちていた。
風が冬也の顔をなめる。
投げた鞘が、空中で、一瞬にして小口切りのようにバラバラとなってソレの前で落ちていく。
斬った。さっきの風は鞘を斬ったときに起こった衝撃だったのだ。
ソレはのろまではない。
刃物を持った腕がぶれた。
「がっ……く」
フローリングに落ちた冬也の肩に、手に、腕に、足に、頬に、腹に、腿に、無数の切り傷が刻まれる。
ぺたり
血まみれになって倒れ込む冬也を見下ろすように、ソレはまるで困ったように首をかしげる。
そして、冬也の頭をつかむと、やはりのったりとした動きでベランダへと引きずって行く。
ベランダへのガラス戸を開けようとするが、クレセント錠の開け方がわからないのか、もたついている。
「ぐぅ、くそったれが……」
頭をつかむソレの腕を外そうともがくが、びくともしない。ソレ自身もなんとも思っていないのか、ガラスを力任せに叩いている。
そして、とうとうガラスに亀裂が入った。
冬也はもがくのをやめる。
ソレがある体勢に入ったからだ。
昔、父と一緒によく見ていたプロ野球のピッチャーの振りかぶりと酷似していたから、これから何が起こるのかも予想できた。
冬也の体は亀裂の入ったガラスを突き破り、ベランダの手すりの遥か上を飛び越えて空に舞った。
地上16階の冬の空は寒いな。
それが神崎冬也の最期の感想だった。




