第2章 始まりは突然に……
「ん……あぁ……うん?」
神崎冬也は目を覚ました。
降り注いでくる日光のまぶしさと暖かさに『起こされた』と言った方が正しいかもしれない。
「夢か、嫌な夢を見たもん……だぁ?」
寝ている冬也の面前に広がる澄み渡った蒼天に、壁や床が白一色で、家具もない見慣れぬ部屋。
上体を起こし、寝惚けている頭をフル回転させる。この状況を考えなくてはならない。
「起きましたね。血まみれで私の庭に落ちてきたときは驚きました」
「うわぁっ!?」
唐突に背後から話しかけられ、冬也は思わず悲鳴を上げてしまった。
「ごめんなさい。今度は私が驚かさせてしまったかしら?」
「あぁ、いや、誰かいるとは思って、なく、て……」
冬也の言葉がぶつりぶつりと途切れ、最後は口の中で消えていく。
彼の視線の先には昨日出会った女性、此花さくらが立っていた。セミロングの黒髪に顔は変わりないが、服装が紺のスーツ姿からふわりとした白が基調のワンピースへと変わっており、少しの間、誰だかわからなかった。
「此花さん、どうしてここに!?」
「ここは私の宮殿です。あと、私の名はアーリア。此花さくらはあの世界での分身体での名前です」
「あの世界? 分身体?」
気になるワードが此花、いや、アーリアの口から飛び出してくるが、冬也にはわけがわからない。
「私はカルティナの九大神の一人で、闇と秩序を司どっています。国の名前にも使われるほど崇拝されているのです、偉いのです」
胸を張って自画自賛をドヤ顔をする女神なんているのか、とツッコミたくなる気持ちを必死でこらえつつ、冬也は深呼吸をした。
「いろいろと質問したいんだが、いいですか?」
「えぇ、もちろん」
此花、アーリアがパチンと指を鳴らすと、白い空間は一瞬にして緑溢れる洋風庭園に姿を変えた。
「こちらへ。お茶でも飲みながら話を聞きましょう」
ガーデンテーブルとチェアを手で示し、アーリアは優雅に歩き始めた。
そんな光景に困惑しつつも、冬也はベッドから立ち上がる。
冬也が数歩離れると、音もなくベッドは消え去り、そこには今まで何もなかったかのように青々とした芝生が現れていた。
「コーヒーと紅茶がありますけど?」
「紅茶で」
ガーデンチェアに腰を掛けて、アーリアの所作に視線を移す。
何もない空間からティーカップとティーポットを取り出し、人差し指でテーブルを軽く小突くと、やはりどこからともなくシュガーポットとミルクポットがテーブルから生えるように出てきた。
常識では考えられない。
「いったいここはどこなんです?」
「ここはカルティナ。あなたのいた地球から見たら異世界と呼ばれる世界です」
彼女の視線は琥珀色の液体が注がれるカップに集中しているが、きちんと答えてくれた。
「マジか、ラノベやアニメで流行ってるってアレか」
「アレです」
冬也の独り言にもアーリアが頷く。
「『異世界転生』とはちょっと違うんですけどね。あなたは死んだわけではありませんし、私の願いを達成したら地球へお送りします」
手元に紅茶が差し出され、冬也は小さく頭を下げる。
「呼ぶにしても、もう少し穏便な召喚方法はなかったんですか?」
「え? メールで召喚に応じてもらえるか、前もってお知らせしましたが?」
「……あぁ、あのスパム」
紅茶に角砂糖を二つ落としながら、パソコンに届いていた怪文書を思い出した。
「あれに了承してもらえたから、ここに来たのでは?」
「違う。オレはスパム、えぇといたずらだと思ったからパソコンの電源を落としたんだ。そしたら、真っ黒な化け物が現れて」
「彼ですか?」
アーリアはあっさりと言った。
「ぶっ!?」
冬也は焦って、紅茶を吹き出しそうになった。
いつの間にか、例の化け物『ソレ』がアーリアの後ろに控えていたのだ。
「彼はシャドーサーヴァント、使い魔ですね。こんななりですが、立派な私の雑用係です」
アーリアの笑顔は変わらない。
彼女が静かに手を上げると、シャドーサーヴァントは砂浜に作られた山が波で崩されるように消えてしまった。
「でも、オレはあいつに殺されかけたんだぞ。ナイフで切り刻まれるわ、地上16階から放り投げられるわ」
「それはごめんなさい。あの子たちは命令に忠実過ぎるところがあって……。例えば、『あなたをここに連れてきて』と言うとどんなことをしてでも連れてこようとするの」
「殺してでも、か」
「殺しはしないと思うけど、抵抗されれば瀕死の重体くらいまではするかも」
このいい加減な女神は冬也から目を反らしつつ弁明する。
「で、どうすれば地球に帰してくれるんです?」
「話が早いですね」
「どこぞにいる魔王を倒せとか、国を作って世界を統一しろとか、無理難題じゃないことを願いたいが?」
アーリアは姿勢を正し、正面から冬也に向かい合うと、
「この世界の異変を止めてほしいのです」
真剣な眼差しで言う。
「……抽象的過ぎる。その異変ってなんなんです?」
「わかりません」
冬也は自分の耳を疑った。
『わかりません』
聞き間違えでなければ、この世界の代表の女神の一人であるアーリアは確かにそう言った。
「え、いや、は?」
「わかりませんが、カルティナに異変が起こりつつあることは確かなのです。それを止めてほしいのです」
「無理だ。そんなの、車の知識のない素人にどこが故障したかわからないけど確実に故障している車を修理しろって言ってるのと同じだぞ!」
あまりのいい加減さに、冬也は怒りがふつふつと湧いてきた。
「返す言葉もありません。ですが、私たちでもわからないのです。しかし、確実に世界に異変が近づいているのは確かなこと」
たち、というのは他の九大神のことだろう。
大きなため息を吐いて、冬也は空を見上げた。
「今は他の生き物に害をなす魔物の活発化、数年に一回程度、神の制御を外れた自然災害が起こり始めている程度です。ですが、長い歴史の中、そういったことが起こると近々、世界に影響を及ぼす異変が起こるのです」
「じゃあ、対策を講じるなり、カル、ティナ? の人たちに対処させればいいことじゃないか」
「できればしています。私が九大神に着く前、今から500年前には先々代の九大神に封印された旧神の一体が復活し、最北の大陸が荒野と化しました」
そう言いつつ、アーリアは何もない空間から数本の巻物を取り出して冬也に手渡す。
「220年前は後に『黒き獣』『赤き竜』と呼ばれる巨大な魔物が出現し、当時の世界の半数の人間が命を落としました」
「……退治、できたのか?」
「退治、できたとは言えないでしょう。やはり地球から召喚された一人が二匹を虚数空間魔法によって虚数空間に落とし、自らもその中へ」
冬也は巻物を開いて、文字を追い始めた。
文字は見た目はアルファベットと似ているが、ロシア語やフランス語とも違っている。
だが、冬也は読むこともできれば、意味もはっきりと理解できた。
どうやら異世界転生でお約束の、言語理解はもう備わっているらしい。
巻物の内容は文字と絵で、かつてカルティナで起こった厄災についての神々が残した記録のようだ。
アーリアの話していた『黒き獣と赤き竜』『旧神の復活と消滅』も書かれていた。
それ以前にも多くの、世界の理から逸脱した厄災があったことが大まかに記録されている。
しかし、時を遡れば遡るほど記述は曖昧で、絵も大雑把になっている。
どうやら、大昔の異変に関しては口伝を書き記しただけのようだ。
あまり参考にはならない。
「はぁー、地球に、日本に帰してくれ」
「お力を貸してはもらえませんか……」
アーリアがうつむき、しゅんと小さくなる。
「地球への帰還はできますが、少し時間がかかるのです」
「どれくらい?」
「早ければ1年、最悪の事態を考慮しますとわかりません」
「何言ってくれちゃってんだ、あんたはっ!?」
その怒声は庭園に木霊した。
「しょ、召喚儀式にはかなりの力が必要なのです。私は今回、あなたをカルティナに召喚したことでほとんどの力を失っています。で、ですから、私たちの力の源である信仰の力が十分に貯まるまで……」
「もういいっ! つまり今すぐに帰れないってことなんだろっ」
冬也は鬼のような形相でアーリアをにらみつける。
「は、はい」
神妙な表情で消え入りそうな声を絞り出すアーリア。
冬也はがっくりと肩を落として、わざとらしい盛大なため息を漏らす。
「力を失ってるのは嘘じゃないんだよな?」
「はい」
「早くても1年」
「はい」
もう一度ため息をつく。
つまり、ここでどうこうしようと、アーリアに怒鳴り散らそうと事態は変わらないと理解できた。
ならば、やるべきことをやるしかない。
冬也は腕組みをして、チェアの背もたれに体を預ける。
「大方、ここも長くはいられないんだろ?」
「えぇ、あと30分ほどで地上に下りてもらわないと……」
「時間ギリギリまでできる限りの準備をしたい。裸一貫で地上に放り出すつもりじゃないんだろ?」
「もちろんです。ある程度の準備はしてあります」
慌てた様子でアーリアは指を鳴らす。
冬也のそばに大きめの木箱が音を立てて現れた。
「そこに私が見繕ったあなたの装備と多少のお金、小道具類が入っています。確認してください」
ちらりとアーリアの方を見てから、木箱の蓋に手をかける。
「おぉ」
思わず感嘆が漏れた。
中には銀、だろうか、冷たい光沢を放つ金属と革で作られた軽鎧、日本刀が一振り、革のブーツに革の腕当て、赤い宝石を中心としたアミュレットが置かれている。
箱の隅には硬貨が詰まっているのであろうごつごつとした袋と、複数のホルダーを備えたベルトが収まっていた。
「鎧には私の加護が宿っています。夜、暗所での戦闘において加護の力が発揮されるでしょう」
「加護って?」
「生者気配察知、身体能力向上、気配遮断の三つです」
なかなかに便利そうな加護だ。
ゲームで言うところの装備アビリティ、と冬也は勝手に判断した。
「刀は鋼ではなく、エンシェントドラゴンの牙から削り出したものを使用しています。持ってみてください、それほど重さは感じないと思います」
言われるままに鞘から刀を抜き取ると、日本刀特有の鋼の刀身や刃文はもちろんなく、白い刀身が伸びている。
重さは一般的な日本刀、打刀よりもだいぶ軽い。
「……これ、硬度とか切れ味はどうなんだ?」
高校生の時に触れた日本刀、真剣の重厚感や鈍光沢は頼りになる、切れる、格好良さ、いろいろと湧き上がるものがあったが、どうもこの刀身の白さや重さ、牙という言葉に冬也は不安を覚えていた。
「試してみましょうか?」
そう言ってアーリアは見覚えのある刀を取り出した。そう、『ソレ』と闘った時に使った模造刀である。
「刃を上にして持っていてください」
「ん」
言われた通りに鋭くなっている側を上にして、冬也はドラゴンの牙から作られた刀を構える。
すると、アーリアは模造刀を無造作に放り投げた。
くるりくるりと回転する模造刀の刃と、牙の刀の刃が当たった瞬間、冬也の目には信じられない光景が映し出された。
刃同士がぶつかった瞬間、模造刀の重みに少し腕が下がったが、衝撃らしい衝撃はほとんどなく、音もなく模造刀が二つに切れて青草の上に落ちた。
「御覧のように切れ味は素晴らしいものです。それにですね」
アーリアは庭の木から一枚の葉をちぎって、冬也の握る刀に落とす。
はたして葉は刃に触れた瞬間、はらりと二つの葉片へと切り分けられた。
「すごい」
「硬度も保証します。一般的に流通している武器や防具であれば折れるどころか刃こぼれもないでしょう」
「一般的?」
「現在のカルティナの文明では鉄が武器防具の主な材料として使われています。しかし、中には魔力を混ぜ込んだ『魔金属』やその刀と同じように魔物などから採取された牙や爪、骨を加工したもの、星の石『星鉱石』などの稀少なものはどうなるか、実際にぶつからないとわかりません」
冬也は少し考えて、アーリアの言葉を頭の中で反芻する。
「ありがとう、わかったよ」
刀身を鞘に納めつつ、冬也はアーリアに礼を述べる。
「他にもありますが、まずは鎧などを着てください。あとは下で説明します」
「あぁ、わかっ……え?」
冬也が驚くのも無理はない。
今のニュアンスではアーリアも地上に下りると言っているように聞こえる。
「私も地上に下ります。正確には私の分身体ですが、右も左もわからないあなたを地上に放り出して、時間まであとはご自由に、とはできません」
その言葉を聞いて、冬也は少しだけアーリアを見直した。殺されかけ、勝手に異世界に連れてきて、帰るのに1年かかると言われたときは疫病神とも思っていたが、根は真面目なのかもしれない、と。
腕当てをつかんで左腕に巻き付ける。
革の腕当てだが、腕の外面には薄い鉄板で防御面を補っているようだ。違和感はあるが、不快感はない。
「あれ?」
ふと、あることに疑問が浮かんだ。
視界に冬也の、自分自身の腹が入ってきたのだが、あるものがない。
風呂に入るとき、いつも嘲笑しながらつまんでいたアレが。
そして、服も少々だぶついている。
「あの、アーリア、様?」
「アーリアで結構です。なんでしょうか?」
「オレの体は、その、他人の体に変わってるってオチじゃないよな?」
「なんのことです?」
「ないんだよ、長年蓄えられてきた脂肪が! 贅肉が!」
アーリアはにこりと微笑んで、テーブルをコンとノックしてから冬也を手招いた。
「どうぞ」
どうやらテーブルを覗いてみろ、ということらしい。
恐る恐る、テーブルに手をついてから大きく深呼吸をして、冬也はテーブルを見た。
そこには自分がいた。
まぎれもなく、神崎冬也その人だ。
「わ……わ……わわ」
金魚の口のようにパクパクと動く口からまともに声は出ていない。
「若返ってるじゃんかっ!」
「はい」
あっさりと返答するアーリアと鏡のようになっているテーブルに映る自分の姿を交互に確認しながら、冬也は唾を飲んだ。
そう、若返っていた。
恐らく十代後半頃の自分に変化している。
「な、なんで?」
「あなたの最盛期の肉体に戻してあります。正確には最盛期になる少し手前ですね。そうしなければあとは衰えるだけですので」
「そ、そうなのか」
「カルティナではあなたの肉体の時間は実際の時間よりもゆっくりと流れていきます。これは異世界から来た方すべてにみられる傾向で、どうやらカルティナの人間の3分の1くらいの速さです」
冬也は体を動かし、動作自体に違和感がないことを試してから、ポンと手を打つと『なるほど』と頷いた。
「老化の速さが、ってことか」
「はい。では、私も準備をしてきますので、あなたも準備を進めてください」
冬也は何かを言おうとしたが、時間が差し迫っているのか、アーリアは庭園の奥に見える白亜の宮殿へと早足で行ってしまった。
30分なんて、あっという間に経つ。
冬也も用意された装備を黙々と身に付け始めた。せっかく用意してもらったものを無碍にもできないし、何もないままよくわかっていないカルティナの地上に下ろされては大変なことになる。
すべての装備を装着し、一応の準備を終えて、冬也はアーリアを待つことにした。
飲みかけの紅茶を口にして、辺りを見回してみる。
あまりにも唐突なことに周りを観察する余裕もなかったが、改めて見ると、アーリアの庭園は素晴らしいの一言に尽きる。
手入れの行き届いた木々と空の青と光を反射し、煌めき輝く広い池、木々の間を時折、小鳥が飛び交い、宮殿や池に向かう石畳の通路。
「そういえば、最近は公園とか、緑のある所に出掛けたこともなかったな。最後は……あぁ、親父が生きてた頃に白川郷に行ったのが自発的に行った自然あふれる場所だったか」
琥珀色の液体に、若返った冬也の顔が映る。
心臓の鼓動が早い。
これから向かう場所への期待と不安、いや、不安だけかもしれない。
「生きて、日本に帰りたいな」
「大丈夫です」
振り返って、『あっ』と冬也は声を出す。
アーリアは分身体と地上に行くと言っていた。
先程の白いワンピースを着たアーリアの隣に、軽装鎧に、鎧の下の服、ショートパンツ、腿まであるベルト付きのブーツなど装備一式を黒一色に統一した、もう一人のアーリアが立っていた。
「彼女が地上を案内します。私の残りの力を考えるに一週間くらいだと思いますが、わからないことはどんどんお教えします」
「それは助かる」
冬也は右手に持っていた刀を左手に持ち直すと、白いアーリアに手を差し出す。
「ありがとう、とは言いづらいが、礼を言うよ。なるべく静かに暮らしたけど、もし異変とかいうのに遭遇して、力になれるようなら力になる。死なない程度にな」
「ど、どうしたんですか、急に!?」
アーリアが目をパチクリさせて叫んだ。
「いや、いじいじしていても意味はない。だったらこの世界を楽しもうと思ってな」
冬也の答えに、アーリアは呆気に取られた表情を見せるが、それも数瞬のこと。
すぐに安堵の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、神崎冬也さん」
アーリアを中心に淡い緑色の光が円状に広がっていく。
「行きますよ、こっちに」
黒いアーリアが冬也に手を伸ばす。
冬也はこくりと頷いた。
そして彼女の手を取り、光の渦の中に飛び込んだ。




