04-混乱の果てに
藪に引きずり込まれた俺は、コンマ数秒の差で赤い雨に打たれずに済んだ。
「あの蛙……人を引きつけるためのトラップだったのかよ!」
「そういうことです。水源を汚染されれば、人間も動かざるをえない。
そういうことを計算してやっているんでしょうね」
もちろん、周りにいたゴブリンたちも赤い血の雨に打たれて溶解した。
だが、どこに隠れていたのだろう。森の中からゴブリンたちが現れた。
俺たちの目の前にも現れる。
薄気味悪い緑色の肌にギョロリとした白目の大きな瞳。
小枝のような四肢と不釣り合いに大きな武器。
そいつらは俺たちを見て、醜悪に笑った。
フィズが石を投げる。ゴブリンは反応すら出来ず頭を潰されて死んだ。
一体一体は脆弱だ、だが数が多い。手傷を負った状態では押し潰される。
「こりゃあ、退かなきゃマズいんじゃあないのか……!?」
「そうでしょうが、エルフたちは後退するとは絶対に言わないでしょうね」
地獄めいた湖畔に目を向ける。溶解熱が生み出した胸の悪くなる臭いを発する煙が充満していた。半身が焼け爛れた男、手首から先が解けた男、全身がケロイド状になった男。誰もが満身創痍、だが誰もが闘志を失っていなかった。武器を持ち、ゴブリンを殺す。
(イカれてる……タルタロスってのは、あんなんじゃないと戦えない場所なのか?)
背中からサブマシンガンを取り、コッキングボルトを引く。
「で、どうするんだ。あの蛙野郎が死んだとなると解毒は出来ないだろ?」
「あれはウソです」
飛び掛かって来るゴブリンを華麗な動作で迎撃しながらフィズが言う。
「大量の水で薄めれば問題ない程度の濃度になります。この水量ならすぐですね」
「あっそ、着いて行くための方便なわけね。なら留まる意味もない」
横合いから動向を伺っていたゴブリンの頭を撃ち抜く。最初に使った時はどうやればいいのか分からなかったが、段々とコツが掴めてきた。連射すると耐えられないほどの反動が襲ってくる、だから数発ごとに区切ってやればいい。
3発撃つ度にトリガーから指を外し、弾道を修正する。これまで持っていた武器よりも遥かに強力で、そして弾数が多い。もう少しマトモに戦える。と、調子に乗っていると弾が切れ、銃がカチリと音を立てた。これが好機とゴブリンが飛びかかって来る、大きく身を逸らし石斧の一撃を避けつつ、足を跳ね上げゴブリンを蹴り飛ばす。
「油断大敵。弾数の確認はいつでもしておくこと、です」
クルクルと宙を舞うゴブリン。
それをフィズの石が打ち落とした。
「肝に銘じておく。さっさと下がろう、あいつらに付き合う必要は――」
散弾銃を手に取り、逃げようとした。
が、また俺は見てしまった。
戦場の真ん中でうずくまる白銀の少女を。
「助けに行ったら死にますよ。あそこにはまだ毒液が残っていますから」
「さすが相棒。俺の考えていることなんてお見通し、ってわけか」
「スケベ心の持ち主は自分で分からない、ってことです!」
スケベ心とは心外な。
ゴブリンを撃ち殺しながら考える。
俺はなぜあの時、シオン・アマツキを助けてしまったのか。
どうして何度も、あの子を助けようとするのか。
ああ、スケベ心と言われても仕方がない。
ようするに俺は気持ちよくなりたいのだ。
俺よりも圧倒的に優れた、圧倒的な強者であるシオンを。
俺みたいな何の力もない人間が助ける。最高に気持ちがいい。
「……ま、そこは俺が圧倒的に優しいってことにしておいてくれないか?」
「優しい人はそんなことを言ったりしないですよ。好きにしなさい」
生きるも死ぬも、ということか。
呼吸を止めて一瞬考える、やめておいた方がいい。
そんな自分の弱気を振り捨てて、俺は走り出した。
吊り紐のついた銃が動きに合わせて揺れる。
足を刈り取ろうとするゴブリンの攻撃を跳んで避け、頭をカチ割ろうと振り下ろされた攻撃をしゃがんでかわす。一瞬だって止まらない、
止まれない。俺はシオンの肩を掴み、引き寄せた。
「こんなところで座ってんじゃねえよお前! 死にたいのか!」
そう言えば死にたいって言ってたな。
しまった、これじゃあ完全な間抜けじゃないか。
「放っておいてください! 私は、私は、ここで……」
「死にたいってか! 死にたいならなんで、なんで避けたんだよ!」
「避けてしまったんです、体が!
もう嫌なんですよ、私は!
私は私が大嫌いなんだ!
死にたいと思っても死ぬことすら出来ない私自身が!」
クソ、命を粗末にしやがって。
死ぬなら是非ともその力、俺にくれ。
そうしている間にもゴブリンどもが近付いてくる。ホルスターから拳銃を抜き、近付いて来るゴブリンを迎撃する。単体の身体能力は子供並だし、ウェイトも軽い。だから10mm弾を喰らって簡単に吹っ飛ぶ。だが数が多過ぎるし、いつまで経っても諦めない。
「死ぬなよ、クソ……! 死ぬなんて言うな、簡単に! そんなっ……」
「そうだ、シオン! 死んではならん!」
ヌッ、と巨大な影が差した。
いや、それほど大きくはない。
単にそう感じているだけのことだ。
ゴブリンたちも感じたのだろう、あまりにも大きな殺意を。
恐怖している。
爺さんは剣を振り上げ、なぎ払った。
一太刀でゴブリンたちが撫で斬りにされた。
「死んではならん、シオン!
お前が死んでは、父にも母にも申し訳が立たんぞ!
命を懸けて戦ったのだ、お前も戦わねばならん! シオン!」
爺さんは叫んだ、生きていることさえも不思議なほどの負傷で。
全身に蛙の毒液を浴び、露出している場所はすべてケロイド状になっている。
特に深刻なダメージを負っているのは顔面だ。
頭蓋骨が露出し、溶けた皮膚と肉がまとわりついているような感じだ。
まだ毒液の効果が残っているのだろう、毒液が肉を溶かし、煙を上げる。
いまなお、のたうち回りたくなるような激痛が彼を襲っているのだろう。
その証拠に一歩踏み出すのにも難儀しているような遅さだった。
それでも、彼は倒れない。
倒れず、笑っている。
笑いながらゴブリンを殺している。
もはやそれが人間だと、俺には認識出来なかった。
「戦え、シオン! 戦えィッ!
それがお前に課せられた、使命なのだァッ!」
剣を振り上げ、振り下ろす。
まとわりつくゴブリンを蹴り飛ばし、叩き潰す。
次から次へとゴブリンの石斧が老人に突き刺さるが、それを意にも介さない。
逃げていくゴブリンもいたが、彼は逃がさなかった。
殺して、殺して、殺して――やがて、死んだ。
ゴブリンを狙って突き出された剣の切っ先は地面に刺さった。
そこを支えにするように、彼は両膝を突いた。
結局、彼は最後まで倒れなかったのだ。
震える手でゴブリンを狙う、最後に殺し損ねたゴブリンを。
逃げようとする背中に3発撃ち込み、殺した。
周りにはもう、動くゴブリンはいなくなっていた。
「だから……だから……私は、そういうのが嫌なんだよ……」
シオンは泣いた。
その泣き声が、どこか遠くに聞こえた。




