第五話 白い部屋への報告
港の夜は、血と潮の臭いに満ちている。
七番倉庫の周囲では、白鷺組の組員たちが負傷者を運び出している。コンクリートには血痕が残り、コンテナの壁には銃弾の跡が刻まれている。
夏芽は刀を鞘へ収め、最後に周囲を見渡す。
敵は制圧した。
組長に致命傷はない。
だが、襲撃の背後に何者がいるのかは、まだわからない。
夏芽は鷲一郎のそばへ戻る。
「組長。現場の確認は終わりました。帳面と携帯電話は回収済みです」
「ご苦労。お前は先に傷を診てもらえ」
「私は後で構いません」
「夏芽」
鷲一郎の声が低くなる。
「命令だ」
夏芽は一瞬だけ黙り、頭を下げる。
「……承知しました」
彼女が医療班のいる方へ向かう。
その背中を、コンテナの陰から誰かが見ている。
黒い服を着た女。
閉じられた瞼は、港の明かりを映さない。
盲目の女は、戦闘の最中からずっと、この場所にいた。
銃声の位置。刃が風を切る音。男たちの悲鳴。足音の数。そして、戦闘が終わった後に残る呼吸の乱れ。
彼女は目に頼らず、現場のすべてを把握している。
夏芽の動きも、鷲一郎の立ち位置も。
そして、予定どおりに進まなかった部分も。
「……なるほど」
女は小さく呟く。
夏芽は想定以上に速い。
武器を持つ敵を優先して無力化し、鷲一郎への接近経路を確保する。戦闘中に感情を乱す様子もない。仲間を救うために無謀な行動へ出ることもなく、必要な判断だけを積み重ねている。
厄介な護衛だ。
だが、彼女を倒すことが今回の目的ではない。
女は音を立てずにその場を離れる。
深夜。
街の喧騒から隔絶された白い部屋で、アーサーはお気に入りの白いカウチに腰掛けている。
白いローブ。後ろで緩くまとめた長い白髪。片眼のモノクル。
手元には、湯気の立つ紅茶がある。
扉が開く。
「戻りました」
盲目の女が入室する。
「おかえり。ずいぶん遅かったね」
アーサーは穏やかに笑う。
「港で少し予定が変わりました」
「そうかい。では、聞かせておくれ」
女は椅子に座らない。
「七番倉庫で武装集団と白鷺組が交戦。白川鷲一郎は現場に到着し、用心棒の夏芽も同行していました」
「それで?」
「夏芽は複数の敵を短時間で制圧。銃を持った相手にも対応しています。戦闘判断は冷静です。鷲一郎の位置を常に把握し、危険が迫れば優先して排除する。隙を作るのは簡単ではありません」
アーサーは紅茶を一口飲む。
「鷲一郎は無事なのかな?」
「現時点では、致命傷を負った様子はありません」
「そうか」
残念がる様子はない。
むしろ、何かを確かめるように微笑んでいる。
「彼女は、よく働くんだね」
「はい。ですが、周囲の組員は彼女を快く思っていません。女性であることを理由に、実力を認めようとしない者がいます」
「それは面白い」
アーサーはカップをソーサーへ戻す。
「彼女がどれほど敵を倒しても、周囲の人間が認めなければ評価されない。人間というのは、実に不便な生き物だね」
「報告は以上です」
「ありがとう」
アーサーはテーブルの上に置かれた写真を手に取る。
白川鷲一郎。
その隣には、刀を携えた夏芽の写真がある。
「さて。港での騒ぎは、これで終わりかな?」
「武装集団の背後関係は、まだ判明していません。回収された帳面と携帯電話から、何か見つかる可能性はあります」
「それは困ったね」
声は優しい。
「余計なところまで調べられると、少し面倒だ」
女は沈黙する。
「次は君に、直接動いてもらおう」
「対象は白川鷲一郎ですね」
「そう。今度は、彼自身に会ってほしい」
アーサーは鷲一郎の写真をテーブルへ置く。
「殺してはいけないよ。彼には生きていてもらいたい。けれど、無傷で帰してもいけない」
「負傷の程度は」
「命に別状がない程度でいい。ただし、本人にも周囲にも、護衛がいても防げなかったと理解させてほしい」
「夏芽の目の前で、ということですか」
「できればね」
アーサーの笑みが深くなる。
「彼女は組長を守るために雇われている。ならば、彼女の目の前で彼を傷つければいい。そうすれば、彼女の立場も、白鷺組の中の人間関係も、少しずつ変わっていくだろう」
「……承知しました」
「君ならできるよ」
アーサーは女の顔を見つめる。
「ところで、君は僕の頼みを聞いてくれるね?」
「依頼の条件に従います」
「うん。そういうところが好きなんだ」
女は返事をしない。
アーサーはそれを気にすることもなく、満足そうに頷く。
「では、詳しい話をしようか。座っておくれ」
女は椅子へ向かう。
白い部屋に、時計の音が響き始める。
港で起きた襲撃は、終わったのではない。
アーサーにとっては、これから始まる計画の第一段階にすぎない。
そして、盲目の女はまだ知らない。
この依頼が、白鷺組だけでなく、彼女自身の運命までも変えていくことを。




