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第三話 血の値段

白鷺組の屋敷に戻ると、夏芽を待っていたのは歓迎ではなく、露骨な敵意だった。


「おい、組長の用心棒様のお帰りだ」


玄関先で煙草を吸っていた男が、わざとらしく声を張り上げる。


「今度は何をやらかしたんだ? また誰かに説教でもしてきたか?」


周囲の組員が笑う。

夏芽は草履を脱ぎ、揃えてから廊下へ上がる。


「お疲れさまです」

「おい。無視か?」

「無視したつもりはありません」

「だったら、こっちを向けよ」


夏芽は振り返る。

男は煙草をくわえたまま、彼女の刀を指さした。


「その刀、飾りか? 女がそんなもん持って歩いて、何の役に立つ」

「必要なときに使います」

「必要なときねえ」


男が鼻で笑う。


「お前が刀を抜く前に、こっちが片づけてやるよ。女は後ろで震えてりゃいいんだ」


夏芽は返事をしない。

男たちの脇を通り抜けようとしたとき、別の声が飛んできた。


「そういや、今朝の件を聞いたぞ」


年配の組員が腕を組み、廊下の壁にもたれている。


「取り調べに口を出したそうじゃねえか」

「……はい」

「組の人間が仕事をしているところへ、勝手に割り込んだんだって?」

「これ以上続けるべきではないと思いましたので、組長に報告すると伝えました」

「誰もお前の意見なんか聞いてねえんだよ」


男が吐き捨てる。


「お前は組長を守る。それだけだ。組のやり方に口を出すな。まして、俺たちに指図するなんざ百年早い」

「承知しました」

「本当にわかってんのか?」

「はい」

「女は楽でいいな。頭を下げてりゃ、誰かが守ってくれる」


夏芽の足が、一瞬だけ止まる。

だが、何も言わずに歩き出す。

背後で笑い声が上がった。


「おい、聞いたか? 返事だけは一人前だとよ」

「刀より先に頭を下げる用心棒か。こりゃ頼もしい」


夏芽は廊下の角を曲がる。

笑い声が遠ざかっても、耳から消えることはなかった。


 鷲一郎の執務室には、三人の幹部が集まっていた。

机の上には、運送会社からもたらされた報告書が広げられている。


「妙な連中が、うちの名前を使って金を取っている。しかも、複数の店で同じような話が出ているそうです」


幹部の一人が書類を指で叩く。


「敵対組織の仕業でしょうか」

「まだ決めつけるな」


鷲一郎は煙草盆を脇へ押しやった。


「うちの名前を使っただけで、敵の仕業だと騒ぐのは早い。内側の人間が関わっている可能性もある」

「まさか、組の人間が?」

「まさか、で済ませるな」


鷲一郎の声に、幹部たちは口を閉じる。


「調べろ。誰が、どこで、誰に接触したのか。裏を取ってから俺に報告しろ」

「承知しました」


そのとき、襖が叩かれた。


「失礼します」


夏芽が入室する。

幹部の一人が、あからさまに顔をしかめた。


「何だ。今は幹部の話し合い中だぞ」

「組長に報告がありまして」

「用心棒が報告することなんざ、たかが知れてるだろう」

「聞こう」


鷲一郎が言った。

幹部は不満げに口をつぐむ。

夏芽は鷲一郎へ向き直った。


「今朝、裏門の路地で組員の方々が一人の男性を取り調べていました。白鷺組の名前を使って金を巻き上げた疑いがあるそうです」

「それで?」

「男性はひどく負傷していました。事情を確認する前に、これ以上傷つけるべきではないと思いましたので、組長に報告すると伝えました」

「誰が取り調べていた」

「若い組員の方と、数名です。途中から幹部の方もいらっしゃいました」


鷲一郎の目が細くなる。


「その男は、何か話したか」

「私ちゃんが見ている間は、ほとんど話せる状態ではありませんでした」


沈黙が落ちる。

幹部の一人が舌打ちした。


「だから何だ。裏切り者を締め上げるのは、裏社会じゃ珍しいことでもない」

「そうだな」


鷲一郎はあっさり認めた。


「だが、締め上げることと、使い物にならなくなるまで殴ることは同じじゃない」

「組長。しかし、相手が裏切り者なら――」

「裏切った証拠はあるのか」


幹部は言葉に詰まる。


「疑いだけで人を痛めつけ、口も利けなくして、それで何を聞き出すつもりだ。俺たちは拷問が目的で組をやっているわけじゃない」


 鷲一郎は報告書を閉じた。


「その男を医者に診せろ。生きて話せる状態にしておけ。取り調べは俺の許可が出るまで中止だ」

「……承知しました」


幹部たちは頭を下げる。

しかし、そのうちの一人が夏芽を睨んだ。


「組長。ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか」

「言ってみろ」

「この女が、組の内情に口を出しすぎているのではありませんか」


夏芽は顔を上げた。


「組長の護衛という役目を与えたはずです。それなのに、組員の仕事にまで干渉する。これでは、下の者たちに示しがつきません」

「私は、組長に報告しただけです」

「黙れ。お前に聞いていない」


幹部の怒声が飛ぶ。

夏芽は口を閉じる。

鷲一郎は、幹部をじっと見た。


「お前は、俺の用心棒が誰に報告するべきだと思っている」

「それは……組長に」

「なら、何が問題だ」

「ですが、女にそこまでの権限を持たせるのは――」

「女だからか」


幹部の顔が強張る。

鷲一郎は声を荒らげない。


「俺は夏芽に、組の運営を任せた覚えはない。だが、目にしたことを報告するなとも言っていない」

「……」

「お前たちが気に入らないのは、こいつが余計なことをしたからではない。こいつが女でありながら、俺のそばに立っているからだろう」


誰も答えない。いや、誰も答えられない。


「違うと言うなら、腕で判断しろ。性別で判断するな。俺の前で筋の通らん理屈を並べるな」


幹部たちは黙って頭を下げた。

だが、その目から不満が消えたわけではなかった。


 鷲一郎が話を終え、幹部たちが退室する。

最後の一人が襖を閉める直前、夏芽へ冷たい視線を向けた。


 その視線には、はっきりとした敵意があった。


「夏芽」

「はい」

「こっちへ来い」


鷲一郎が机の前の椅子を示す。

夏芽は一礼して腰を下ろした。


「今朝の男の件だが」

「はい」

「お前が止めなければ、あいつらはどこまでやったと思う」


夏芽は少し考えた。


「……わかりません」

「そうか」

「ただ、あのままでは、話を聞き出す前に命を落とす可能性もあったと思います」

「俺もそう思う」


鷲一郎は机の引き出しから書類を一枚取り出した。


「お前は、あの男が無実だと思ったのか」

「いいえ。何もわかりませんでした」

「なら、なぜ止めた」

「生きていなければ、事情を確認できませんので」


鷲一郎はわずかに口元を緩めた。


「正しい答えだ」


 夏芽は目を伏せた。


「ですが、皆さんには嫌われてしまいました」

「今さら気づいたのか」

「……最初から、あまり好かれてはいませんでしたけど」

「それもそうだな」


鷲一郎は短く笑った。

すぐに表情を戻し、夏芽を見る。


「お前が何をしても、気に入らん連中は気に入らん。お前が誰より腕を立てても、女だという理由だけで認めない奴もいる」

「はい」

「それでも、お前は俺の用心棒だ。俺が命じた仕事を果たせ。ほかの連中の顔色をうかがう必要はない」

「……承知しました」

「ただし、俺が正しいと思うことと、お前が正しいと思うことが、いつも同じとは限らん」


 夏芽が顔を上げる。


「お前自身で考えろ。俺の命令だからという理由だけで、何も考えずに動くな」

「はい」

「考えたうえで動いたなら、結果には責任を持て。俺もそうする」


その言葉に、夏芽は静かに頷いた。

鷲一郎は彼女の顔を見つめたあと、ふと視線を落とした。


「……傷は、本当に問題ないんだろうな」

「大丈夫です」

「医者の言葉をそのまま繰り返すな」

「……少し、痛みます」

「最初からそう言え」


鷲一郎は額に手を当てた。


「今日は無理をするな。護衛は別の者に任せる」

「ですが、私ちゃんは――」

「命令だ」


 夏芽は口を閉じた。


「……承知しました」



 その日の夕方。

屋敷の裏手にある小さな倉庫で、男が一人、椅子に縛りつけられていた。

朝、路地で殴られていた男だ。

頬は腫れ、鼻には止血のための布が当てられている。呼吸するたびに脇腹が痛むのか、男は浅く息を繰り返していた。

その前に、年配の幹部が立っている。


「もう一度聞く。誰に頼まれた」

「……知らねえ」

「まだ隠すか」

「本当に、知らねえんだ……!」


 幹部が男の顎をつかむ。


「白鷺組の名前を使って金を取る。だが、誰の命令かは言えない。都合がよすぎるな」

「俺は、ただ金を運んだだけだ……!」

「どこへ」

「……港の倉庫だ」


 幹部の手が止まる。


「何番の倉庫だ」

「七番……。そこで封筒を渡せって言われたんだ」

「誰に渡した」

「顔は知らねえ。帽子を深くかぶってて……声も、よくわからなかった」


幹部は男から手を離した。

男が咳き込む。


「最初から、そう話せばいいものを」

「だから、話そうとしたんだ……! なのに、あんたらが……!」

「口の利き方に気をつけろ」


幹部の手が再び上がる。

その瞬間、倉庫の扉が開いた。


「そこまでにしておけ」


鷲一郎が入ってくる。

幹部はすぐに姿勢を正した。


「組長。今、聞き出したところです」

「聞こえていた。港の七番倉庫だな」

「はい。これから調べさせます」

「俺が許可するまで、誰も動くな。相手が何者かもわからんのに、港へ乗り込む馬鹿はいらん」

「承知しました」


鷲一郎は男の前に立つ。


「お前の話が本当なら、今すぐ殺す理由はない。だが、嘘なら話は別だ」


 男の顔が引きつる。


「……本当です」

「なら、知っていることをすべて話せ。お前が何をしたのか、誰に何を渡したのか。隠し立てをするな」

「わかりました……」


鷲一郎は幹部へ向き直った。


「それと、今朝こいつを殴っていた連中を呼べ」

「何のために?」

「自分たちが何をしていたのか、本人の口から説明させるためだ」


幹部の表情が曇る。


「組長。あいつらも、組のためを思って――」

「組のため?」


 鷲一郎の声が冷える。


「相手の口を塞いで、情報まで潰すことが組のためか。血を流させれば、仕事をしたことになるのか」

「……」

「俺は、そんな安い仕事を認めた覚えはない」


倉庫の中が静まり返る。

鷲一郎は男をもう一度見た。


「医者をつけろ。話は明日、改めて聞く」


それだけ言って、倉庫を出る。

廊下の先には、夏芽が立っていた。

彼女は鷲一郎を見ると、一礼した。


「組長」

「どうした。休んでいろと言ったはずだ」

「少し、確認したいことがありまして」

「何だ」

「港の七番倉庫というのは、以前から白鷺組が使っている場所でしょうか」


鷲一郎の目が細くなる。


「なぜ、それを聞く」

「運送会社で見かけた人影が気になっています。もし同じ場所に関係するなら、偶然ではないかもしれません」


鷲一郎はしばらく黙っていた。


「……まだ何もわからん。だが、その話は覚えておこう」

「はい」

「夏芽」

「はい」

「お前は今、休むのも仕事のうちだ。余計なことを考えるなとは言わんが、傷を悪化させるな」

「……気をつけます」

「その返事は信用できんな」


鷲一郎はため息をつき、歩き出した。

夏芽はその背中を追う。

港の七番倉庫。

白鷺組の名前を使う不審者。

そして、何が何でも口を割らせようとする組の男たち。


 それぞれが別の出来事に見えても、どこかでつながっている可能性はある。


夏芽はまだ、何も知らない。

誰が裏で糸を引いているのか。

なぜ白鷺組の名前が利用されているのか。

その先に何が待っているのか。


 ただ一つ、確かなことがある。


この組では、女であるというだけで、余計な敵を作る。

そして敵は、必ずしも外から来るとは限らない。

夏芽は腰の刀に手を添え、静かに廊下を歩き続けた。

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