↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/6

第二話 女の居場所

男の顔が、コンクリートに叩きつけられる。


「がっ……!」


鈍い音が路地に響く。

男が呻きながら顔を上げようとすると、黒い革靴が後頭部を踏みつける。頬が地面に押しつけられ、口の端から流れる血が、濡れたアスファルトに細い筋を引く。


「誰に断って、この縄張りで商売してやがる」

「し、知らねえ……!」

「まだ口が利けるじゃねえか」


男の襟首が乱暴につかまれる。

次の瞬間、身体が持ち上がり、壁に叩きつけられる。背中を強打した男が咳き込み、足元に唾液と血を吐く。


白鷺組の裏門へ続く路地。


朝の光が建物の隙間からわずかに差し込む。表通りでは店のシャッターが上がり始め、遠くから配送車のエンジン音が聞こえる。

そのすぐ裏で、一人の男が殴られ続けている。


「お前、昨日どこに顔を出した」


組員が男の胸ぐらをつかみ、顔をのぞき込む。


「知らねえって……!」

「白鷺組の名前を使って、よその店から金を巻き上げたそうだな」

「俺じゃねえ! 俺は言われたとおりに――」


拳が飛ぶ。

男の言葉が途切れる。

鼻から流れる血が上唇を覆い、顎を伝って襟元へ落ちる。男は腹を抱えて膝をつくが、すぐさま髪をつかまれ、無理やり顔を上げさせられる。


「誰に言われた」

「……っ、やめ……」

「誰に言われたって聞いてんだよ!」


腹に蹴りが入る。

男の身体が折れ、喉の奥から潰れたような声が漏れる。

周囲を囲む組員たちは、誰一人として止めない。

むしろ、苛立ちを募らせている。


「さっさと吐けよ」

「朝から面倒かけやがって」

「こういう半端者がいるから、余計な揉め事が増えるんだ」


そのとき、路地の入口に人影が現れる。

夏芽だ。

黒い羽織の裾を揺らし、腰に刀を差したまま、彼女は足を止める。

視線の先では、男が再び殴られている。

拳が頬にめり込み、男が倒れる。

襟首をつかまれ、引きずり起こされる。

また殴られる。

地面に飛び散った血を、誰かの靴底が踏み荒らす。


「……何をしているんですか」


夏芽の声に、組員たちが振り返る。

一瞬だけ、路地が静まる。

男を殴っていた若い組員が、血のついた拳を見下ろし、それから夏芽を見る。


「見りゃわかるだろ。取り調べだ」

「その方は、白鷺組に何を?」

「組の名前を勝手に使ったんだとよ。組長に話が行く前に、こいつの口から聞き出してんだ」


そう言って、男は倒れた男の脇腹を蹴る。

呻き声が上がる。

夏芽は眉ひとつ動かさない。


「もう十分ではありませんか」

「あ?」

「話せる状態ではないように見えます」


若い組員の顔が歪む。


「お前、俺たちのやり方に口を出す気か?」

「そういうつもりではありません。ただ、このままでは――」

「女は黙ってろ」


 男が一歩近づく。


「組長のそばに立たせてもらってるからって、自分まで偉くなったつもりか? 用心棒だか何だか知らねえが、俺たちの仕事に口を挟むんじゃねえよ」


 夏芽は黙る。

 男の拳には、まだ血がついている。


「だいたい、女が刀を差して歩いてること自体が気に食わねえんだ。お前は組長の命令だけ聞いてりゃいい。余計なことを考えるな」

「……承知しました」


夏芽は静かに頭を下げる。

組員は鼻で笑い、再び男へ向き直る。


「ほら、続きだ。誰の指図で動いた」

「ちが……俺は……」


拳が振り上がる。

夏芽はその場を離れる。

背後で、また殴打の音がする。


彼女は振り返らない。


止める権限がないわけではない。腕ずくで制圧することもできる。

だが、組長の許可なく組員同士の揉め事に介入すれば、それはそれで新たな火種になる。相手が本当に白鷺組を裏切った人間なら、なおさらだ。


今の自分にできるのは、鷲一郎に報告することだ。

そう判断して歩き出した、そのとき。


「ぎゃあああっ!」


路地の奥から悲鳴が上がる。

夏芽は足を止める。

振り返る。

倒れていた男の腕が、背中側へ不自然にねじり上げられている。組員の一人が、男の肩を踏みつけている。


「最後に聞くぞ。誰に命令された」

「知らねえ……! 本当に、知らねえんだ……!」

「だったら、もう片方も折るか」


夏芽の指が刀の柄に触れる。

だが、抜かない。

代わりに、彼女は路地へ戻る。


「そこまでにしてください」


低くはない。声を荒らげてもいない。

それでも、男たちの動きが止まる。

夏芽は倒れた男の様子を一瞥し、組員たちを見る。


「組長に報告します。事情を確認するまで、これ以上はやめてください」

「てめえ……」


 若い組員が立ち上がる。


「何度言えばわかる。女が俺たちに指図するな!」


男が夏芽の胸元をつかもうと手を伸ばす。

夏芽は半歩だけ身を引き、伸びてきた手が空を切る。

男の顔が怒りで赤くなる。


「避けてんじゃねえよ!」

「……触らないでください」

「何だと?」

「仕事の邪魔になりますので」


男の手が、今度は夏芽の肩へ伸びる。

夏芽はその手首を取る。

ほんのわずかに角度を変える。


「っ、あ……!」


男の膝が落ちる。

骨が折れたわけではない。だが、関節を押さえられた痛みに、男は顔を歪めて呻く。

夏芽はすぐに手を離す。


「申し訳ありません。ですが、これ以上はやめてください」


路地に沈黙が落ちる。

男は手首を押さえ、信じられないものを見るように夏芽を睨む。


「このアマ……!」

「何を騒いでいる」


新たな声が響く。


路地の入口に、年配の幹部が立っている。

男たちは慌てて姿勢を正す。


「兄貴。こいつが俺たちの取り調べに口を挟んできたんです」


若い組員が、すかさず夏芽を指さす。


「しかも、俺に手を出しやがった」


幹部は夏芽を見る。

次に、地面に倒れた男を見る。血に濡れた顔。腫れ上がった頬。苦しそうに上下する肩。

そして、手首を押さえる若い組員。


「何があった」

「私は、組長に報告すると伝えただけです」

「こいつが勝手に――」

「お前には聞いていない」


幹部の一喝に、若い組員が口を閉じる。

幹部はしばらく夏芽を見つめるが、やがて吐き捨てるように言う。


「女がしゃしゃり出るから、話がややこしくなるんだ」


 夏芽は反論しない。


「この男の処分は俺達が決める。お前は組長のところへ行け。余計な騒ぎを起こすな」

「……承知しました」


夏芽は一礼する。踵を返す。

今度こそ、路地を離れる。

背後からは、再び怒鳴り声が聞こえ始める。

男を殴る音も。

夏芽は歩みを緩めない。


白鷺組では、正しいことを口にすれば正しい結果が得られるとは限らない。

女であれば、なおさらだ。

彼女が止めようとした暴力は、彼女が去ったあとも続く。

その事実だけが、朝の空気に重く残っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。