第一章 第七話
「鏡人の依代はどこにあり、誰をなんの為に甦らせたのか。禁忌を犯してまで果たさねばならぬ、その想いの在り処を、明らかにする必要がある」
「どうやって……だって、このままでは誰も」
泳ぐ目で、妙弦は絶望的な状況であることを訴えてくる。
だが、それに構うことなく、九羅は再び鈴太の死体に目を向けた。
「この水死体は、記憶の片鱗です。あの鏡人は、水に纏わることで亡くなった」
「水?」
「何か……知っていることは、ございませんか?」
すると、顎に手を当てながらしばらく考えた後、「そういえば」と、心門が何かを思い出したようにゆっくりと口を開き始めた。
「さっき鏡人に捕まった時、しきりに『かえせ』て言いよった」
「『かえせ』?」
心門が持ち出した情報に、九羅は眉を顰める。
「何かを、"盗まれた"鏡人……か」
「おい、どねーした!」
振り返ると、なぜかガチガチに歯を鳴らし、異様なほどに身体を震わせている清二の姿が。
「清二! どねーしたんじゃ!」
正気を取り戻させようと、心門が頬を軽く叩くも、清二の様子は変わらない。その異常さから、心門はまさかと思い、九羅の方に視線を見やった。
だが彼女は、何かを見極めるかのように目を細め、じっと清二の様子を観察するだけで、何も動きを見せなかった。
「水……いや、鏡人が"盗まれた"ものに、なにか覚えが、あるようで」
「違う!!」
決死の形相で、被せるように清二は何かを否定した。
「『違う』、とは?」
「私、は、殺してなどいない!!」
「『殺していない』、とは」
「そうだ! 私は殺していない、違う……違うんだ! あれは……」
身の潔白を証明しようとしているのか、視線が定まらない目で、清二はしきりに自身の手を掻きむしり始めた。
「おい、やめろ! 落ち着け!」
そんな彼の自傷を止めようと腕を掴むが、これまで聞いたことがないほどの怒号で、清二は心門の手を振り払う。
あまりの取り乱し具合に、さすがの心門も呆気に取られ、それ以上の手出しはできなかった。
「殺していないなら、なにを、盗んだのですか?」
にじり寄るよう、身を乗り出して九羅が清二との距離を縮める。
それに怯え眼になりながら、清二も逃げるように、彼女との距離を保ち、腰を引いて戸の方へ段々と退いて行った。
「一体、なにを奪った?」
「盗んでいない! 私は借りただけ! 情報を流せば、長谷屋の主人が娘との婚姻を許すと」
「!」
その時だった――清二の足下の床板から泡が弾けたように見えたのを、九羅は見逃さなかった。
「私は見るだけで良かった……それなのに、大奥様が早とちりして……少し押しただけだったのに……! だから私のせいじゃない! 私は誰も、殺めていない!」
清二の感情の昂りに呼応するかのように、彼の足下が深い水溜りのようにガクン!と沈み、一瞬で清二の身体の半分が水の中に埋もれた。
「ヒぃ!!」
「動くな!」
空かさず九羅が結界の釘を水に刺した。途端に水は瞬時に引いて、水溜りはただの床に戻った。
だが――これで終わりではない。
パン!!
「え?」
一難去ったのも束の間……ホッとひと息つく間もなく、清二の背後から伸びてきたのは、見知らぬ誰かの手。
振り返る間も与えられず、伸ばした手が誰なのか分からないまま、その手に清二は顔を引っ張られ、戸外に身体を引きずり込まれていった。
本堂が段々と遠くなっていく視界の中、最後に見えたのは、愕然と目を見開きながら必死に手を伸ばす心門と、釘を構える九羅の姿。
――――バン!!
吸い込むように清二を外へ連れ去ると、行く手を阻むように再び唐戸はひとりでに閉まった。
九羅の投げた釘は鏡人に届くことはなく、カランカランと虚しく床に転がる残響だけが響いた。
「クソ!」
心門はすぐに後を追いかけようとした。
しかし足を一歩踏み出したその瞬間、柱に服が引っかかったときのような不動の力で首裏を引っ張られ、そのまま床に尻を打ち付けた。
「行くな!!」
「ぐぇっ!」
血相変えた九羅の指示に、僧達もたじろぐ。
「し、しかし清二さんが」
「下がれ! 早く!!」
すると次の瞬間、まだ開ききっていない戸の隙間から、数多の手が腕を伸ばす。
我先にと人間を手繰り掴もうとする手が空を掴みながら、一気に四体もの傀儡が本堂に雪崩れ込んできた。
「くっ……!」
逃げ向かってくる僧達の背後に、魔の手が近づく。
最も逃げ遅れた住職の服を掴みかかろうとしたその寸前、傀儡の右手に九羅が投げた数本の釘が貫通する。
「戒」
九羅が真言を唱えると、釘から法輪の紋様が浮き上がり、途端に傀儡の手が派手な血飛沫を上げて破裂した。
だが、血で鏡を汚しながらも、傀儡の勢いは止まることを知らない。
「ふん!」
九羅は瞬時に、生者との一線を引くように、彼らとの間に幾本もの釘を打ち付け、指を下に下ろした。
先ほどと同じ要領で、今度は床に数多もの法輪の紋様が浮かび上がると、途端に彼らの足は止まり、釘より先の領域に踏み入ることができないようだった。
それでも見えない壁に張り付くように、鏡の顔を恨めしそうに擦り付け、往生際の悪さを見せつける。そんな彼らを冷ややかに見つめながら、九羅はゆっくりと彼らに近づき、顔にトドメの釘を刺した。
「これは……」
「どねーした」
割れた鏡の下から出てきたその面を見た瞬間、これまで表情があまり変わらなかった九羅の顔が、一気に険しくなった。
その理由は……心門も、わざわざ彼女に聞かずとも、傀儡の顔を見てすぐに察した。
「説明、願いたい。なぜ、我々以外に生存者がいたのですか?」
背中越しに、九羅は僧達に尋ねる。
「そんなバカな……確かに我々以外に生きた人間はこの境内にはいないはずです」
「はッ! もしかして、皆様と同じで、この嵐の中、峠を越えられなかった方々が訪ねてきて、それで鏡人に」
妙弦も妙順も、他に生存者がいたことに驚き、混乱した様子を見せた。
彼らの言い分に、九羅は「そうか」と軽く受け流し「この傀儡を見てみるといい」そう言って、彼女は顔を指差した。
傀儡として操られていたのは、痩せこけた一人の男性。30代前半ぐらいのまだ若年だというのに、筋肉などない骨と皮だけのガリガリの手足に、顔でさえも頭蓋骨の形がはっきりとわかるくらいに痩せている。顔色は土色、瞳孔は異常に収縮しており、明らかに傀儡になる以前から健康を害していた。
挙句、身なりはボロボロ、草履もはかず素足なのに、足元はあまり土で汚れていない。
そしてこれらの特徴は、他の三人の傀儡も同じ。そこから導き出される、一つの仮説——
「彼らは長きに亘り、この寺に身を置いていた。……違いますか?」
それを指摘された途端、それまで優しげだった仏顔を貫いていた妙弦と妙順の顔つきは豹変し、瞳が大きく揺れた。
そんな彼らの無意識の動揺を見て、九羅は語気を強めて畳み掛ける。
「——他の生存者は、どこにいる」




