↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡人ーカガミビトー  作者: みかん坊や
PR
27/31

第三章 第二話


 ――「……あそこ、か」


 黄昏時、九羅が足を運んだ先は、男の客達が話題にしていた例の家。

 店が並ぶ大通を抜け、町人地を抜け、さらに長屋町からも少し外れた場所に、小屋のような小さな家が仲間はずれにされているように二つ並んでいた。

 人どおりは少ない。だが、道行く人達は皆、厳重に布で鼻と口を押さえ、顔を伏せてその前を足早に通り去っている。

 無理もない。少し離れた場所から様子を見ている九羅でさえ、風に乗って鼻を刺すような臭いに顔を顰める。

 少しずつ家に近づいていくと、家の惨状は、あの商人の男が言っていたとおり。格子窓には黒幕が掛けられて、外見からわかる以上のことは何もない。


 ——トン、トン、トン……


 試しに玄関戸を一度叩く……が、待てど暮らせど中からの返事はない。九羅は、目を細める。

 すると彼女は、玄関戸に手を掛けてスーと横に滑らせて中を開けた。充満していた生暖かい熱気と臭気が一気に九羅に覆い被さる。その耐え難い不快感を前にフッと笑みを零すと、チリン……と遊環の音を立てながら、九羅は網町の芥溜の中へ足を踏み入れ、後ろ手で静かに玄関戸を閉めた。


 入ってすぐ意外だったのは、黒幕は格子窓のみならず壁一面に貼られていたこと。ボロ屋故なのか、壁の隙間から少しでも臭気が漏れないようにするための工夫なのかは分からないが、陽が全く差さない家内は、すでに闇夜のような暗さ。老爺は寝ているのか、この暗さなのに明かり一つ灯っちゃいない。夜目が利く九羅だから、灯りをつけずとも虫や芥を避けて中に進むことができちゃいるが、普通であれば一歩足を踏み入れた瞬間、玄関に撒き散っている腐った粥を踏んで遠に滑り転けているだろう。

 中の作りは至って単純で、向かって右側に玄関と炊事場が続いており、左側は六畳一間ほどの寝所となっている。足の踏み場がない、わけではないが先述したように食材が床に包囲されていたり、屎尿らしきものが撒き散っていたりなど、視線を床から外さずにはいられない。

 土間の竈は使われている痕跡はなく、そこもまた塵芥の捨て場となっていた。その前には大きな芥箱が二つ、蓋が閉まりきらないほどにパンパンに満たされ、蝿が何匹も集っている。不快な羽虫の音が耳元でざわめくのを軽く手であしらいながら、歩を進める。ひょいひょいと足元の芥を避け、上がり框まで辿り着いて足を掛けた時だった。


「ん……?」


 そこに転がっていたあ(・)る(・)も(・)の(・)を見て、九羅は足を止めた。


「これは……」


 九羅の目についたのは、床を這いずり蠢いている数匹の蛆——。

 それを見てすぐに寝所の方に目を向けると、向かって部屋の左奥に人らしき影が……。その誰かは、この時代一般庶民の家では滅多に見ない和椅子に深く腰掛けている。項垂れ顔が見えず、微動だにしないため、男か女かでの区別はまだつかない。

 彼があの女中の祖父か?忍足で九羅はその人物にゆっくりと近づく。腐りかけの畳の上はふかふかで、一歩踏み出すごとに畳が沈み、ミシ……ミシ……と嫌でも音が立つ。誰もいないはずの静まり返った家内で誰かが歩み寄る音が聞こえても、椅子に座す人物は顔を上げる素振りは見せない。徐々に徐々に距離が縮まるにつれ、その人物の姿が段々はっきりと捉えられるようになってきた。

 座っているのは男。だが目元はなぜか布で覆われており、体も椅子に麻縄で幾重にも縛り上げられ拘束されている。明らかな異常——だが、男が縛られていることよりも九羅が気懸かりに思ったのは、その男があまりに若(・)い(・)ということ。


「失礼、しますよ」


 赤くも艶かしいその手付きで、九羅は臆することなく男の目元に手を伸ばす。布先をつまみ、上に滑らせるようにすぅっと布を外した。

 年は20前後くらい。体は氷のように冷たく、鼻元に手を当て呼吸を確認するが、男はすでに死んでいた。

 なぜこんなところに男の死体が……いやそれよりも、彼は死んだばかりなのか。室内が暗かったとは言え、九羅が呼吸を確認しなければ骸と分からないほど、死後硬直も腐敗も始まっていない。だが、骸はまるで動くことを想定されているかのように厳重に縛り付けられている。動かないはずの死体をわざわざ椅子に縛る理由などなく、仮に死体を隠すことが目的であるのならこんなに堂々と放置はしない。――まるで、まだ生きているような矛盾した扱い。

 尽きぬ疑問に、自然と顎に手を当て考える九羅。んんと悩ましい声を上げながら、何気なく男の項垂れた顔を覗き込んだ――その時だった。


「!!」


 思わず、身を仰け反らせた。

 閉じていたはずの男の瞼が、突然大きくかっぴらき、その眼で九羅の姿を捉えると、脱力していた首をぎゅるりと据わらせる。向けられたその顔には、煙の紋様が――!


「鏡人!?」


 咄嗟に釘を構える。するとその時、九羅の背後から畳が沈むあ(・)の(・)音(・)が――!


 

 ――――ミシ……



「!」


 それが誰だったのかは、分からない。

 鈍く重い音と共に、頭に衝撃が走った瞬間、九羅の視界は大きく揺れて足元がふらつき、鏡人の膝元に倒れ込んだ。霞む視界でその姿を捉えようと頭を微かに上げると、再び鈍い衝撃が彼女を襲い、その意識を掠め取った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。